5月某日、前回に続き今回も奈良へ、
いつもの友人と月に一度の名所巡りに出発しました。
決行日は、天候は快晴で絶好の観光日和となりました。
観光シーズンの真っ最中なので
交通渋滞を少しでも回避するためと、
到着後の駐車場を確実に確保するために
朝の7時過ぎに出発したお陰でスムーズに奈良に到着です。
ところが、私達がよく利用させてもらっている
東大寺に隣接する駐車場が観光バス増加に対応するために
バス専用駐車場に模様替えとなっていたので
駐車場確保に暗雲が立ち込めたのですが、
なんとか春日大社の駐車場にインです。
朝から夕方の5時30分まで駐車して、
料金が1000円の観光客に優しい料金設定です。
春日大社駐車場到着時刻が、
どこもまだ開門前の午前8時30分。
春日大社駐車場で春日大社の開門まで
車中でただ待つのは時間を無駄にするような気がしたので、
車をそこに置いたままにして
駐車場から遠い所から拝観することになり、
車は駐車場に置いて徒歩で、
今回の目的地の一つへと向かうことに。
春日野国際フォーラム
春日野国際フォーラムの前を通って
目的地へ向かいます。
春日野国際フォーラムは、
平成27年7月にリニューアル・オープン。
能楽ホール、会議室、コンサート、展示会、
パーティー等、多目的ホールを備えています。
春日野国際フォーラムの正面の構えは、
芝生がびっしりと植えられ、
ちょっとした日本庭園が造られ、
他ではちょっと見られない荘厳なものとなっています。
昨日、ベランダに吊るしたテルテル坊主のお陰で、
写真の様な素晴らしい天候に恵まれました。
奈良公園
東大寺方面へ公園内を歩いて移動中、
いつもより小鹿が多く闊歩しているように感じます。
面白いのが一般的な野生の鹿の子供は、
私達人間を見ると警戒して逃げていきますが、
奈良公園の場合、生まれて間もないような小鹿でも
平気で人を近づけさせます。
これって生育環境が個体の反応の仕方に
大きな影響を与える事例の一つですね。
東大寺 南大門【国宝】
東大寺の南大門は、大仏殿に並ぶ有名処ですね。
この大きな門が平安時代に2度ほど、
台風で倒壊したとは驚きです。
現在の南大門は、
鎌倉時代に復興されたものだそうです。
東大寺も開門前なので、人の姿もまばらですが、
鹿は、早起きをして山から降りてきて
各所に配置完了のようです。
南大門 金剛力士立像 阿形像【国宝】
高さ8,3m、3000ものパーツで製作された
このあまりにも有名な南大門の金剛力士立像は、
建仁3年(1203年)に伝説の仏師・運慶の総指揮の元で
わずか69日で造られたそうです。
南大門 金剛力士立像 吽形像【国宝】
この立像の前にある網?スクリーン?が、
写真で言うところの紗(しゃ)の効果を生み出して、
白っぽくふわっとした雰囲気となっているのが
実に好きです。
この迫力、威厳さ、魅力は、
何度見ても薄れることはありません。
私は、この像をおかずにして
飯を茶わん三杯はいけます。
東大寺 鏡池
今回の名所巡りに東大寺は予定に入っていないので
南大門を潜り、左へと舵を切り、
私達が向かうは名勝・依水園、そして、吉城園です。
名勝 依水園
現在、午前8時50分。
依水園の開園は、午前9時30分。
吉城園の開園は、午前9時なので、
吉城園の方から拝観することに。
吉城園
吉城園と依水園は、お隣さん同士で、
写真の吉城園の入り口から左を見れば、
依水園の入り口があります。
私達が、今日の吉城園の一番乗りです。
昔に誰かが言った「2番じゃダメなんですか。」が、
物議を呼びましたが、
この場合、2番でも3番でも良いのですが、
一番乗り、何か気持ちが良いものです。
吉城園 池の庭 旧正法院家住宅
入園後、直ぐに目の前に広がる『池の庭』の景色。
吉城園は、『池の庭』『苔の庭』『茶花の庭』の
3つの庭園があります。
ここ『池の庭』と名付けられた庭園は、
その名の通り池と建物と緑が美しい庭園です。
旧正法院家住宅
旧正法院家住宅側から観る庭園
旧正法院家住宅と池の庭の最初の一枚は、
この写真の左奥の高台にある『あずまや』から
撮影したもので、2枚目の写真は『あずまや』の下から
撮影したものです。
ゆっくりとゆったりと庭園の雰囲気を
目と身体で味わいながら歩みます。
時間が許すならもっとゆっくりと歩んで
庭園に溶け込んでしまいたい。
苔の庭へと続く小径
離れ茶室
苔の庭
『苔の庭』は、杉苔で覆われています。
この広い庭は、苔が育つ条件の逆の条件、
池(水気)が見当たらず。
風通しが良く。日当たりが良さそう。。。
これだけの苔を枯らさずに維持するには、
大変な苦労がありそうです。
離れ茶室
苔の庭にある離れ茶屋。
苔の庭を奥に進みます。
苔の庭の奥から観る離れ茶室。
茶花の庭へ
茶花の庭
茶花の庭は、茶席に添える季節感のある草花が
複数植えられているそうです。
藤の棚も発見したのですが、
私達が訪れる少し前にピークが過ぎてしまったようで
藤の花びら一つも残っていませんでした。
あずまや
吉城園 小径
『興福寺古絵図』には、
ここに興福寺の子院の摩尼珠院(まにしゅいん)が
あったとされていることからも
当時の興福寺が如何に興隆を極めていたか
窺い知ることが出来ます。