平安時代に定められた律令法では、
『女性は、恋文を頻繁に出さないこと。』
『人目に触れても宛名が分からないようにする。』等、
恋文に関しての数々のタブーが書かれていたようです。
現代と違って平安時代は、言うまでもなく
交通機関が発達しておらず
書類や手紙を走って届ける飛脚が登場したのは
鎌倉時代以降のようなので
手紙と言うか文のやり取りは、近場が殆ど。
文字を読み書きできるのは上流階級で
文は、使用人が届けていたようです。
平安時代の貴族の女性は、成人になると
屋敷の奥に入り、家から移動する時には
すだれを垂らした牛車に乗り、
人前では扇で顔覆う等して姿を隠したそうです。
男性を性的に刺激しないように
肌や髪を隠して女性を感じさせないようにして
男性を性的に刺激しないようにする。
男性自身も目線を下げて女性を眼で追わないようにし、
露出の多い恰好は控えるように求められる
イスラム教の教えに似ているような………。
なので平安時代は、現代のように学校でとか
同じ趣味の集まりでとか、ナンパでとか
実際に女性の容姿を見て会話をしてとかで
付き合いが始まるなんてことは殆ど無かったようです。
親同士が話し合って決める結婚も
あったのではないかと思うのですが、
恋愛の場合は、
あの屋敷には美しい女性がいるとの噂を聞くと
貴族の男性は、自分をアピールする文を
使用人に届けてもらっていたようです。
美しい女性がいるとの噂を
自分だけが知り得たはずもないので
噂の女性の元には、複数の男性から文が
届けられている可能性があるので
ライバルに勝たなければなりません。
また文の内容も
「あんたが綺麗と聞いたので付き合わへん?」
てな内容の文では、相手にされないので
美しい文字で書くことや
高い教養を感じさせることが出来たり、
面白い内容であったりするだけでななくて
香りを付けたりと興味を持ってもらうために
色々と工夫したようです。
何とかライバルたちに勝って会うことが出来ても
互いに文のやり取りでイメージした人物像と
大きく違っていたら残念ですが今回は………
てこともあったはずなので
恋愛が成就するまで大変だったのではないかと。
現代では、どこの誰だか全く知らない人から
恋の文が届いたら男性の場合はまだ増しですが
女性の場合は、喜ぶどころか怖がられるような気もしますが
平安時代は、そのようなことが普通であったことや
文を届けるのが使用人と言う所がミソかもね。
思へども 験(しるし)もなしと 知るものを
なにかここだく 吾が恋ひ渡る
💔
いくら貴方を思っても
仕方がないことだと知っているのに
どうしてこんなに恋しいのでしょう。
むすぶ手の しずくににごる 山の井の
あかでも人に 別れぬるかな
💔
雫が落ちただけでも濁ってしまうほど
浅い山の水場では、満足に水を飲むことも出来ません。
同じ様に満足いくほど話が出来ずに
貴方と別れてしまったことが心残りです。
昔とも 今ともいさや 思ほえず
おぼつかなさは 夢にやあるらむ
💔
昔のことなのか、今のことなのか区別が付きません。
こんな感覚を覚えるのはお会いしたのが
夢だったからなのでしょうか。
嘆きつつ 一人寝る夜の 明くる間は
いかに久しき ものとかは知る。
💔
貴方がいないことを嘆きながら
一人で寝る夜明けまでの時間がどれ程長いものなのか
貴方には分からないでしょう。
信濃なる 千曲の さざれ石も
君し踏みてば 玉と拾はむ
💔
信濃の千曲川の小さな石も
貴方が踏んだのなら宝石と思って拾いましょう。
朝霧の おほに相見し 人ゆえに
命死ぬべく 恋ひ渡るかも
💔
朝霧の中でお目にかかった貴方に
私は死にそうなほどの思いでずっと恋をし続けています。