徳迎山 正法寺は、建久2年(1191年)に
鎌倉幕府の御家人の高田蔵人忠国により
天台宗の寺として開創。
天文15年(1546年)に
室町時代に住職となった伝誉上人は、
後奈良天皇の帰依を受け勅願寺となりました。
正法寺を菩提寺とする志水宗清の娘『お亀(相応院)』が
伏見城に住んでいた徳川家康公の目に留まり側室となり
家康公の第9子を産み(後の尾張徳川家初代の義直)
正法寺は繁栄していきます。
京都 徳迎山 正法寺
子供を行水中であったお亀の方が
まもなく家康公が訪れると聞き、
このままでは無礼になると
行水中だった子供をたらいごと抱えて建物の中へ。
そのお亀の姿を見た家康公は、
丈夫で健康な我が子を産んでくれるに違いないと
側室へと向かえたという話が面白い。
今の時代、女性は子供を産む道具じゃないって
家康公も怒られるのかな。
徳迎山 正法寺 総門
1616年に家康公が亡くなると
お亀の方は髪を下ろして『相応院』となり
義直と共に名古屋に移りますが
その後も正法寺は、尾張藩の厚い庇護を受け続けます。
1629年頃には、相応院の寄進によって
現在も残る本堂・唐門・大方丈が建立されました。
正法寺 地蔵堂
そんな徳迎山 正法寺は、通常は非公開で
年間8日間だけ、たった8日間だけ特別公開されます。
今回の京都巡りは、松花堂庭園の特別公開日と
ここ正法寺の特別公開日に合わせて出発しました。
正法寺 法雲殿
法雲殿の中には、男山の八角堂に安置されていた
480㎝に及ぶ石清水八幡宮の本地仏(鎌倉時代作)の
木造阿弥陀如来坐像【重要文化財】が安置されています。
以前、清凉寺の霊宝館で拝見させて頂いた
源氏物語の光源氏のモデル源融の供養のために造られた
阿弥陀三尊像以来の感覚が生じるほど
素晴らしい仏像です。
時間にゆとりがあれば仏像の前に腰を下ろして
1時間でも2時間でも拝見し続けたくなります。
徳迎山 正法寺 唐門【重要文化財】
唐破風造りと入母屋造りを組み合わせた屋根。
親柱筋の牡丹の透かし彫り。
桟唐戸(扉)の牡丹唐草の浮彫等で装飾されています。
唐門に掲げられている扁額の徳迎山の文字は、
徳川家を迎え入れるとも読めますが
この文字は後奈良天皇(室町時代)から
賜った額字(書)を元にしたもので
この扁額を掲げた頃は、
徳川家とは縁もゆかりもないどころか
徳川家は存在すら知られていなかったのですが
後に徳川家と縁深くなったのは不思議な縁ですね。
正法寺 庫裡門
正法寺 庫裡
ここまでは普段でも入ることが出来るようです。
正法寺 大方丈玄関・中門
正法寺 鐘楼【京都府指定文化財】
1621年(江戸・元和7年)に建立されたもの。
正法寺 庫裡内
ここからが通常では入ることが出来ない区域。
徳迎山 正法寺の特別拝観は、
約10人単位の拝観者に一名の観光ガイドの方が付いて
約1時間にわたって一緒に巡り
色々な事について詳しく説明をしてもらえます。
なんか特別の寺院感がビシビシ伝わります。
大方丈・本堂【重要文化財】
左の建物が大方丈で右奥の建物が本堂。
その二つの建物に面して美しい本堂庭園があります。
大方丈前 手水鉢
手水鉢の形が亀の形をしているように見えます。
お亀の方にちなんでいるのかも知れません。
正法寺 本堂庭園
大方丈は、前三室と後三室の二列六室の構成となっていて
歴史を感じられる雄大な襖絵と上段の間等を
観賞することが出来ます。
それらは撮影禁止で
写真に残すことが出来ないのが残念。