「礼は之和を以て貴しと為す。」
この言葉は、聖徳太子が制定した十七条憲法に
出てくる有名な言葉で
日本人の精神性を表す言葉のように語られています。
このような精神性は、聖徳太子がこう説いたから
日本人の精神性がそうなったのではなく
元々、農耕民族であった日本の精神性に
自然と発生した考え方であって
それを聖徳太子が言葉にしたことで
その精神性の輪郭がより強調されただけだと思うのです。
このような精神性について、
なるほど大切だと納得をするのですが、
この精神の優先順位を上位に配置をし、
尊ぶのは良いとしても
絶対的に優先するものとして
自分を縛ってしまわないようにしなければなりません。
不快な思いをした人には
それが何故不快なのかの堂々とした理由があり
それゆえに、
その理由は、相手にとって強い説得力があります。
「ふざけるな!」には、
堂々とした理由があるのが普通です。
「やめろ!」には、
堂々とした理由があるのが普通です。
「しなさい!」にも
堂々とした理由があるのが普通です。
嘘偽りのない堂々とした理由なのですから
言われた方は、納得できれば
気持ちよく「謝る。」ことが出来るのが普通です。
納得できない場合には、
そこには、ある種の互のズレや誤解があるのですから、
話し合いズレを修正し誤解を正すことで
互いが納得をして、それを収めることができます。
時に、この堂々とした理由が
はっきりと言葉で語られないことで、
本人の意図したものとは違う解釈を招いてしまい
摩擦が生まれることもありますが、
それも語られていないその理由を明らかにすることで
落ち着くところに落ち着くのが普通です。
このように普通は、堂々とした理由と
その気持ちや感情は強く結びついています。
ところが、
その理由が詐話的、詐欺的な場合、
その気持ちや感情とその理由や説明との結びつきは脆く弱く、
綻びや穴が目に付き、説得力に欠けるのが普通です。
天才的な詐話師や詐欺師は、
この脆く弱い結びつきを、
綻びや穴を非常に上手く誤魔化し隠してくるのですが。。。
天才的な人からの場合ではないそれには綻びや穴が目に付きます。
それに対して、
まともに指摘したり、反論したり、説明をしたりしても
ああ言えばこう言う的な感じで
堂々とした理由であるはずのものの
理由の中心がコロコロと移りゆきます。
詐話、詐欺の意図を持っている人は、
悪意ある真の意図を明らかにすることはありませんので
その真の理由を決して語ることはありません。
耳障りのいい理由や罪悪感を刺激したり
正義感を刺激したり、不安や恐怖、欲求を刺激したり
と言葉巧みに語ります。
ゆえに、和を以て尊しと為す精神を優先しすぎている方は、
互いに納得できる落としどころを持とうとしますが、
結果、コロコロと移りゆく理由を
いつまでも追いかけることになります。
このような相手と落とし所を探し決着を図ることは、
相手の要求を飲む決着しか待っていません。
そうこうするうちに、もしかすると
ややこしさに精根尽きて、諦め、
相手の言い分を納得できないまま
受け入れてしまうことになるかもしれません。
悪意ある相手は、その受け入れたものを盾にして
その後の話を優位に進めてさらなる要求を通そうとしてきます。
そして、少しずつ少しずつ、
ズルズルとズルズルと蝕まれるように侵食され
気がつきた時には、
とんでもないことになっていることがあります。
自分を守るためにも
「あれ、変だな。」「釈然としないな。」と
無意識が感じ取った時には出来るだけ早めに
和を以て貴しと為すを手放して
相手と決別しなければなりません。
今、あなたがそのようなことに巻き込まれていたとするなら
その相手から悪者にされることを恐れないで
相手と決別する判断を下して欲しいのです。
さてですが、
心に悩みを抱えている方の場合も
自分の感情の理由が定まらずに
変化していくことがあります。
この二つは、同じようでいて質が全く違います。
先の一つは、悪意ある混乱であり、
後の一つは、悪意なき混乱です。
悪意ある混乱は、
互いの目的が違います。
悪意なき混乱は、
カウンセラーと相談者との
最終目的は一致しています。
一致しているからこそ
和を以て貴しと為す精神のもとで
互いの熱意ある取り組みにより
その目的を達成することが出来るのです。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計