1970年 2年余りで30件。
神社仏閣の賽銭ばかりを荒らし250万円を盗んだ男が
東京の上野署に自首してきました。
自首した理由は、
「仏罰があたって最近頭がぼーっとするから。」
賽銭箱荒らし30件で得た金額が250万円。
と言うことは一つの賽銭箱に平均8万円強となります。
参拝者の多い東京の寺院の場合には、
それ位のお賽銭が入っているということでしょうか。
お賽銭箱のお賽銭の回収について少し調べてみたら
参拝者が多くてお賽銭が多い神社やお寺では
毎日回収(そうだろうとも)。
そうでないお寺や常駐していない神社では
回収は1ヵ月程度に一回の所もあるようです。
となると自首した男は、
都内の回収が数週間毎の神社を調べ上げて
お賽銭が程よく集まった頃を狙っての犯行なんでしょうけど、
お賽銭は、小銭が大多数なので8万円ともなると量と重量が………。
それと男が自首した理由の「仏罰神罰で頭がぼーっと」は、
神は、本人の心に宿ると言いますから
盗みを働く度に本人の良心が悲鳴をあげていたんでしょうね。
何も盗みを働かなくても
日常で心に反する行動をし続けると心に負担がかかり、
身体に何らかの悪い影響を及ぼすことについては、
多くの例があります。
つまり良心に反することをするととなるのですが、
この良心の正体ってなんなんでしょうね。
本能のようなものなのか?
両親から教えられたり自然と学んだものなのか?
あるいは、
刹那的には自分にとって利益があるけれども
総合的に考えると不利益が起きる可能性について
心が瞬間的に行う計算結果の反応なのか?