今月から始まったテレビCMに、気になるモノがある。
「ミニッツメイド」という、ジュースのCMである。
父親が台所でジュースを飲みながら、朝食を準備している。
なぜか、母親の姿はない(未公開の30秒CMでは、既に会社に出かけたという設定になっている)。
そこへ、幼稚園の年長組か小学校の低学年くらいの娘が起きてきて、一緒に食事をする。
エンドは、娘と一緒に出勤する父親というシーンで締めくくられている。
テレビCMを見ている、同じ年くらいのお子さん(特にお嬢さん)を持つ、父親としては理想?のシーンかも知れない。
このCMをはじめてみた時、「久しぶり」と思いながらも名前を思い出せなかったのが、父親役の俳優・三上博史さんだ。
いわゆるトレンディードラマ大流行の頃、ドラマだけではなくテレビCMなどで、毎日のように見ていたように記憶している。
ところが、いつのまにかテレビCMなどで見かけないな~と思っていたら、テレビドラマでも、見かけなくなってしまった。
もちろん、ご本人は舞台などで活躍をされていたようなのだが、テレビなどのメディアを基準とすれば、「忘れられた存在」となっていたような気がする。
「メディアに露出する」ということは、実際の活躍とは別に「イメージや印象での存在感」という力を持っているように感じる。
先日、現役引退を表明した中田英寿さんなども、その一例のような気がしている。
実際ここ2、3年、彼は所属チームでレギラーという、扱いの選手ではなかった。
にもかかわらず、活躍していた印象があるのは日本代表での試合と、テレビCMや「成コレ」と呼ばれた帰国時のファッションという話題が、常にあったからでは無いだろうか?
サッカー選手としての、彼の実力を云々しているのではない。
人のイメージや印象は、メディアに左右され、時には「虚像」さえも作っている可能性があるということなのだ。
実際、4年前の日韓大会終了1ヶ月あまり過ぎた頃、近所のファーストフード店で女子高校生たちが「サッカーって、終わったよね。ベッカムってどこか(カッコ)良かったんだろう?」「ベッカムって!?すっかり忘れてた!」という会話をしていたことがあった。
当時ベッカム選手は、チョコレートのCMなどに出演していて、それなりの頻度で女子高校生たちも、見ていたはずなのだ。
ところが、サッカーという話題が無くなり、「興味の対象」ということも含めて、メディアの露出が(一時に比べると)減っただけで、「過去の人」状態になってしまうのである。
「去るモノは、日々に疎し」とは言うが、日本人の忘れっぽさと移ろいやすさからいえば、今日のスターも明日には「過去の人」となってしまうのかも知れない。
「ミニッツメイド」という、ジュースのCMである。
父親が台所でジュースを飲みながら、朝食を準備している。
なぜか、母親の姿はない(未公開の30秒CMでは、既に会社に出かけたという設定になっている)。
そこへ、幼稚園の年長組か小学校の低学年くらいの娘が起きてきて、一緒に食事をする。
エンドは、娘と一緒に出勤する父親というシーンで締めくくられている。
テレビCMを見ている、同じ年くらいのお子さん(特にお嬢さん)を持つ、父親としては理想?のシーンかも知れない。
このCMをはじめてみた時、「久しぶり」と思いながらも名前を思い出せなかったのが、父親役の俳優・三上博史さんだ。
いわゆるトレンディードラマ大流行の頃、ドラマだけではなくテレビCMなどで、毎日のように見ていたように記憶している。
ところが、いつのまにかテレビCMなどで見かけないな~と思っていたら、テレビドラマでも、見かけなくなってしまった。
もちろん、ご本人は舞台などで活躍をされていたようなのだが、テレビなどのメディアを基準とすれば、「忘れられた存在」となっていたような気がする。
「メディアに露出する」ということは、実際の活躍とは別に「イメージや印象での存在感」という力を持っているように感じる。
先日、現役引退を表明した中田英寿さんなども、その一例のような気がしている。
実際ここ2、3年、彼は所属チームでレギラーという、扱いの選手ではなかった。
にもかかわらず、活躍していた印象があるのは日本代表での試合と、テレビCMや「成コレ」と呼ばれた帰国時のファッションという話題が、常にあったからでは無いだろうか?
サッカー選手としての、彼の実力を云々しているのではない。
人のイメージや印象は、メディアに左右され、時には「虚像」さえも作っている可能性があるということなのだ。
実際、4年前の日韓大会終了1ヶ月あまり過ぎた頃、近所のファーストフード店で女子高校生たちが「サッカーって、終わったよね。ベッカムってどこか(カッコ)良かったんだろう?」「ベッカムって!?すっかり忘れてた!」という会話をしていたことがあった。
当時ベッカム選手は、チョコレートのCMなどに出演していて、それなりの頻度で女子高校生たちも、見ていたはずなのだ。
ところが、サッカーという話題が無くなり、「興味の対象」ということも含めて、メディアの露出が(一時に比べると)減っただけで、「過去の人」状態になってしまうのである。
「去るモノは、日々に疎し」とは言うが、日本人の忘れっぽさと移ろいやすさからいえば、今日のスターも明日には「過去の人」となってしまうのかも知れない。