日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

経済学者の限界?

2009-09-03 19:57:10 | アラカルト
夕飯を食べながらテレビを見ていたら、竹中平蔵さんが今回の民主党のマニフェストについて、イロイロ話をしていた。
竹中さんは、ご存知の通り「経済学者」なのだから、予算配分などについてどんなお考えなのか?と思い、興味深く見ていた。

そうしたら・・・。
民主党がマニフェストに掲げていた「子供手当て支給」について、「経済学者って、そんな風に見ていたのか?」と言うお話をされていた。()内は、私が思ったコトだ。
それが
「子供手当てを全世帯に支払うと言うことは、1世帯あたり年間約100万円支給するというコト(そうなんですか?)。一人の子供に10数年払うというコトは、1500万以上のお金を支払うと言うことになります(単純計算では、そうなりますね)。東京や大阪などでは考えられないかも知れませんけど、地方に行ったら家1軒建つお金を渡すと言う話なんですよ!『家を無料で差し上げます』と言っているようなもんなんです!そんな政策できるわけないでしょう!(エ!それって、子供と家が同じと言うコトですか?)」
 私が、竹中さんのこの「家を1軒無料で差し上げます」という考えに、チョッと驚いたのと同時に、経済学者の限界と言うモノを感じた瞬間でもあったのだ。

先日読んだ本に、こんな一節があった。
それが「経済学者の中谷巌さんが、『経済学者(として)は社会を見ていなかった』と話していたコトなんです」と言う内容だった。
作者は、この言葉に驚き、経済学者の考える経済のあり方と、現実とのギャップが生まれる理由が分ったような気がした、と言うようなコトを書いていた。
マーケティングを仕事としている私だけではなく、おそらく多くの人にとって今回の竹中さんの発言に違和感を持たれたのではないだろうか?
「ヘ~、経済学者って、子供を社会的資産(と言うと、経済学的な感じだが)だと見ていないんだ。むしろ家などと同じ減価償却されるモノと同じだと考えているんだ・・・」と。

もちろん、竹中さんの考えに賛同されるかもいらっしゃると思うし、その考えは自由だ。
ただ、子育てが家を建てるのと同じだと言う考えは、使われる金額は同じでもその内容は大きく違うし、何より減価償却されるようなモノではないと思うのだ。
その考え方に経済学者のある種の限界を感じるのは、私だけなのだろうか?