日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「観察する力」が必要

2014-07-03 22:16:00 | マーケティング

朝、FMを聞いていたら「大人も褒めよう」というフレーズが、聞こえてきた。
広告の主は、ACジャパン(旧公共広告機構)。
ACジャパン:おとなもほめようキャンペーン(全国キャンペーン)
東日本大震災の時、一般企業のCMが一切取りやめとなり延々と流されたCMが、ACだったこともありご存じの方も多いと思う。

これまでACのCMで、「褒める」対象は子どもだったような気がする。
どちらかと言えば「大人、しっかりしろ!」という内容が多かったという印象がある。
だからなのだろう「大人も褒めよう」と言われると、チョッとビックリしてしまったのだ。

しかし考えて見れば「褒める」ということは、とても難しい。
何故なら、「褒める相手」をよく観察していなくてはでいないからだ。
何より、最近の社会傾向をみていると「自分の都合ばかりで、相手を見ていないのでは?」と感じる場面が度々ある。
もしかしたら社会全体が「相手を見る余裕が無い」という感じなのではないだろうか。

この「相手を見る」ということを、怠るとビジネスではとても大変なことになってしまう。
違う言い方をするなら「市場を動かしている人を見ていない=市場がわからない」ということになるからだ。
先日政府案が出された「個人情報をビッグデータとして、企業が活用する(もちろん、「個人情報部分はわからない様に加工する」という条件付)」など、データ活用が盛んに言われている。
確かに、データの活用は重要だと思うのだが、その「データが何によって起きたのか?」という、データの本質となるべき点を理解しなくては、的ハズレなデータ活用となってしまう。

「モノ・コトが起きる」のには、それなりの理由がある。
その理由をキチンと理解しなくては、意味が無いと思うのだ。
そのために必要なことは、やはり「観察力」だと思う。
「人を褒める」為には、昨日と今日の違いを見つけなくてはいけない。
違いを見つける為には、相手に興味・感心を持つ必要がある。
そう考えてみると、「自分の都合ばかりで、相手を見ていない社会」というのは、ビジネスが停滞している社会のなではないだろうか?
「停滞」と言う状況だけならまだしも、「減退」あるいは「衰退」している状況なのかも知れない。

「褒められたい」という気持ちは、誰しもが持っている気持ちだと思う。
大人も子どもも関係はない。
とすれば「褒められる社会」というのは、様々なモノ・コトに興味・関心を持って観察することができる社会だと思う。
それはビジネスであっても、同じなのではないだろうか。