日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「ひと」とIT

2014-11-09 22:10:00 | アラカルト

先週の今頃、ネットで「10年後に消える職業」というリストが話題になっていた。
今日のYahoo!のトピックスでも、取り上げられていた。
記事そのものを読んだ時「なるほどね~」と、思いはしたが「そんなに単純じゃないと思う」という気持ちのほうが、今でも強い。
Yahooトピックス:オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった

例えば、記事で真っ先に挙げられているバーテンダー。
私は、お酒そのものをほとんど飲むコトがないので、実際のバーデンダ-がどのような接客をしているのかは知らない。
しかし、「お酒を飲む場所」としてお客となる人が欲しいと感じているのは、シェーカーを振るだけのバーテンダーではなく、お酒について熟知しているだけではなく、自分のその時の気持ちをさりげなく察して、その時の気分に合ったカクテルを提供してくれるバーテンダーなのではないだろうか?
カクテルを作る技術だけを求めるのであれば、レシピ通りに作れるロボットのほうが効率がよく味も均一でよいかも知れない。
しかし、それだけを人が求めている訳ではないはずだ。

その中でも一番「それは無いな~」と感じたのが、医療と介護だった。
確かに介護職の離職率は高い。
その大きな理由が、重労働なわりに待遇面が悪いと言うことが挙げられている。
この「重労働」の部分をロボットが肩代わりする、と言うのは良くわかるしそうなれば離職者も減るだろう。
だからと言って、介護職に人の手が必要無いのか?と言うとそうではないと思う。
介護や医療には「手当」という言葉があるように、人の手のよって患者や介護を受ける人とその家族の心が安まる、信頼する、と言うことが多いからだ。
「死の科学者」と呼ばれたキューブラーロス博士の著書「死ぬ瞬間」(だったと思う)の中に、「死を前にした患者が、ある掃除婦が掃除にいくと、それまでとは考えられない様な穏やかな表情になり、死を受け入れ亡くなる、と言う場面に遭遇し、不思議に思ったキューブラーロス博士が、その掃除婦の後をつけ、様子を見る」という話がある。
結局掃除婦は、掃除に入り患者の手を握るだけしかしていないのだが、何故「手を握るだけ」で穏やかになるのか?掃除婦に問いかけると、「私はあなたの側にいる、怖がらないで」と言って手を握っているだけだ、と話す。
この掃除婦の言葉と手を握ると言う行為こそ、患者を安心させ心穏やかな死を迎えるコトに繋がっている、とキューブラーロス博士は確信を得、「死を前にした人に必要な医療」を問いかけている。
この様に、医療の現場は「人の生と死が行き交う場所」であり、一番求められているのは的確な手術技術以上に「患者の気持ちを思い図る、人としての力」なのだと思う。

ITの進歩により、将来人に代わってロボットが仕事をする、と言うことはあるだろう。
ただ、このリストに挙げられた仕事や職業が、ロボットに変わるコトができるのか?というと、決してそうではないと考えている。
何故なら、人は誰かと接するコトで安心をしたり自分自身のことを考えたりするコトができるからだ。
それが「社会」という、大きなシステムを創っているのだ。
記事にある様なクリエイティブで芸術性のある仕事、と言うのは、実は「人を思う仕事」であり、その様な仕事や職業が、このリストには数多く含まれている、と考えている。