今朝、FMを何気なく聞いていたら、面白い話題があった。
何でも「読書でもフィクションを読むのか?ノンフィクションを読むのか?読む本によっては、語学力の身につく力が違う」というのだ。
もちろん、根拠なくこのような話をしているわけではない。
カナダにある、コンコルディア大学の調査で判明し、論文を発表している、という話だった。
TABI LABO: 「フィクション」を読むと「言語スキル」が磨かれる【研究結果】
おそらく拙ブログに来てくださる方の中には、「趣味・読書」という方々もいらっしゃると思う。
私も履歴書などの欄には、「趣味・読書」と書く事が多かったし、実際、ある程度子どもの頃から本には慣れ親しんだと、自負している。
だからこそ、「フィクション=言語スキルアップ」という繋がりを感じないのだ。
確かに子供の頃、楽しく読んだ本の多くは、「フィクション(=物語)」だったように思う。
それが大人になると「フィクション」から「ノンフィクション」へと読書が変わる、という傾向はあるのかな?という、自分の経験から感じてはいる。
感じてはいるのだが、だからと言って「言語スキル」に差があるのか?と、聞かれると「どうなのだろう?」と、思ってしまうのだ。
というのも、子どもの頃「フィクション」を読む過程で、物語の進行に合わせて頭の中で描く話もまた進行していった習慣が、「ノンフィクション」を読むようになっても、身についているからだ(あくまでも、個人的な感覚である点は、ご理解頂きたい)。
「フィクション」は頭の中で物語を想像する事だとすれば、「ノンフィクション」を読む時は、頭の中で自分に関係する事例を思いおこし、私ならどうするだろう?と、想像しながら読んでいるからだ。
随分前に拙ブログで書いたかもしれないのだが、「本を読む」ことと「文字を読む」ことは、別だと思っている。
幾人かの知人に、尋ねたことがあるのだが、「読書=文字を追って読むこと」だと思っている方が、案外多いことに驚いたことがある。
文字を追って読んでいるとすれば、それは「フィクション」であろうと「ノンフィクション」であろうと、物語や書いてある内容を追っていきながら、頭で想像することは難しいのではないだろうか?
「言語力」というのは、「数多くの場面に合わせて、適切な言葉を選ぶ力」だとすると、「フィクション」のほうが「ノンフィクション」よりも優位な要素は多いとは思う。
思うのだが、「ノンフィクション」を読みながら、自分に置き換えて「この時、自分はどうするだろう?」と考える事は、自分の頭の中で違う内容を組み立てるという作業をしている、ということになる。
当然、自分の頭の中で違う内容を組み立てるためには、それなりの「適切な言葉を選ぶ」ということを必要としている、ということにもなるのでは?
むしろ、子どもの頃から「文字を追っていく読書」ではなく、「自分で物語を組み立てていく読書」を身につけさせる事が、重要なのではないだろうか?
そのような中から「場面に合わせた言葉を選ぶ力=言語力」が、身についていくような気がするのだ。
そのためには「課題図書(を読んで感想文を書く)」などという「強制される読書」ではない、読書をすることが大切な気がするのだ。