今月に入り「東京オリンピック・パラリンピック」開催是非についての動きが、加速している。
「中止のデモが行われた」というニュースがある反面、「東京オリンピック」の模擬的な陸上イベントが行われたり、IOCと組織委員会は開催に向けての歩みを止める気配はない。
まさに「混沌」とした状態が、開催日を100日切ってから続いている、という状況だ。
IOCと組織委員会は「(新型コロナ感染の)危険性を排除し、開催をする」と言っているが、それが本当に実現できるのか?という、疑問は日本国内にあるはずだ。
何故なら「新型コロナ」の感染拡大に歯止めがかからず、昨年の今頃よりも日々状況が悪くなっているからだ。
だからこそ、感染拡大が急速に増え続けている自治体に対して、「緊急事態宣言」が発令され、飲食店や映画館、図書館などは営業時間の短縮要請や閉館の要請がされているのだ。
そのような状況の中で、IOCや組織委員会、日本政府の発言をみて「現実が見えていない」と、感じる生活者は多々いると思っているのだが、反面IOCや組織委員会、日本政府が「オリンピック・パラリンピック」というスポーツイベントに対して、見えている「風景」が違うために、このような意見の相違が起きるのでは?という気がしている。
IOCと組織員会の考えの中心に、「開催しないことで起きるリスク」があるのでは?という気がしたのだ。
「開催しないことで起きるリスク」というのは、テレビの放送権に対する違約金のようなものが中心だろう。
他にも、スポンサーへの違約金も発生するかもしれない。
とは言っても、スポーンサーへの違約金は、リオオリンピック終了直後から東京オリンピック・パラリンピック絡みでテレビCMなどを制作し、相当量のテレビCMを流し、「聖火リレー」でもスポンサー企業のAD広告をプリントしたトラックが、聖火ランナーを取り囲むように並走し、それがニュースとして流れれば「対費用効果」はあったのでは?と、判断されるかもしれない。
そしてもう一つ気になるのは、「万全な対策をすれば開催ができる」と考えているのでは?という点だ。
毎日新聞:世界陸連会長「五輪開催、厳しい状況だから意味がある」
世界陸連のセバスチャン・コ―会長の言葉の揚げ足取りをするつもりはないのだが、コー会長が言う「世界各国から300人が参加したした世界リレーで、陽性者が出なかった」というのは、選手とその関係者という限られた人たちのことを指しているのだと思う。
しかし、オリンピック・パラリンピックとなるとその規模も人数も、桁違いに多い。
それだけではなく、競技種目も多くメイン会場となる国立競技場には、常に人が入れ代わり立ち代わりし続けている。
その中には、ボランティアや報道メディアのような競技とは関係のない人たちも含まれている。
この報道メディアに対して、丸川五輪相は「海外の報道関係者は、決められて場所以外には行かない」と説明をしている。
朝日新聞:海外の五輪報道陣「うろうろ絶対ない」丸川氏が断言
現時点で「うろうろ絶対ないようにします」と、言い切ってしまうことに驚くのだが、選手を除くオリンピック・パラリンピック関係者の発言があまりにも楽観すぎて、逆に「本当にこの人達に任せて大丈夫なのだろうか?」と、不安を感じてしまうのだ。
イベントを主催する側にとって、何らかの事故が起きるということが、最大の懸念材料のはずだ。
だからこそ「最悪の状況を想定して、最善の対応策を練る」必要があるはずなのだ。
にもかかわらず「最善の対応策」となる具体性はなく、「最悪の状況」も想定していないように感じる「温度差」こそが、「東京オリンピック・パラリンピック中止」の声であり、「万全の体制で安心・安全なオリンピック・パラリンピック開催」の違いのような気がしているし、この違いの溝は埋まることが無いように感じている。