日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

マスクを外すきっかけは、いつなのだろう

2022-05-07 20:57:03 | 徒然

5月に入り、汗ばむ陽気になってきた。
「コロナ禍」になってから、5月からの暑さにマスクの生活が耐えられず、世間の冷ややかなそして反社会的な存在のような視線を浴びせられながらも、ソーシャルディスタンスが保たれている戸外ではマスクを外すようにしている。
というのも、「マスクで熱中症」になったことがあるからだ。
今でも、「マスク頭痛」という状態に陥りやすいので、一人でいる時はマスクを外すようにしている。

「慣れですよ」といわれるのだが、この2年以上「マスク生活に慣れる」ということはなかった。
現実には「マスク生活に慣れている」という方のほうが、世間では圧倒的に多いようだ。
中には、「顔の表情が悟られないので、便利」という方もいらっしゃる。
読売新聞:素顔見せるのが恥ずかしい・感情を悟られにくい・・・すっかり定着した「マスク生活」

「マスク生活」が当たり前になり始めた頃から、「素顔を見せるのが恥ずかしい。マスクは顔パンツだ!」と言った方がいらっしゃったように記憶している。
読売新聞:マスクの「顔パンツ」化を考える

その表現の面白さに、「座布団1枚!」と言ってしまいそうになった。
ただ、このような「マスクをすることによって、感情を悟られたくない」という人たちは、「コロナ禍」になる前から一定数いらっしゃったはずだ。
「夏でもマスクをする若者」という記事を、「コロナ禍」になる数年前に読んだことがある。
理由は「自分の感情を周囲に、知られたくない」というものだったと思う。
考えてみれば、日本の文化には「口を隠す」という仕草が、昔からあった。
それが「奥ゆかしさ」と、受け止められていたからだ。
「物語絵巻」の中にも、口元を扇子で隠す女性たちの姿が、描かれている。
最も、この時代は直接話をする関係は、家族くらいで男女の仲の始まりは「和歌の交換」からだった。
姿も見えない相手に、和歌を送り自分の気持ちを伝える、というところから恋愛がスタートしていたのだ。

そう考えると、日本人の「マスク好き」は、日本文化と深くかかわっているのでは?と、思ってしまう。
ただ、平安時代と今とでは、社会状況が全く違う。
それだけではなく、物語絵巻に登場するのは帝を頂点とした貴族だ。
おそらく庶民は、扇子で顔を隠しながら話すようなコトはなく、大らかに笑い、話をしていたのでは?と、想像している。
逆に「口元を隠す」ような人は、信用できないと思われていたかもしれない。
確かに「目は口ほどにものを言う」という諺があるが、今の若者には「口ほどにものをいう目」の表情があるのだろうか?
むしろ「表情を隠す」コトによって、リアルな生活の中での自分の存在を消しているようにも感じるのだ。
自分の存在を消すことで、「いじめにあわない」とか「諍いから逃れられる」という、ネガティブな理由のほうが大きいのでは?

それが「同調圧力」となった社会は、果たして健全なのだろうか?
自分の表情が悟られないコトで、潜在意識下で感じている「孤独感」は強いのではないだろうか?
私のような「マスク頭痛」のようなわかりやすさとは別に、このような「孤独感」から起きるコミュニティーの崩壊のリスク等にも、目を向ける時期にきているのではないだろうか?
何より「同調圧力」によって生まれる、「全体主義的思考」の広がりは、健全な社会とは言えないと思うのだ。

政府は、6月から海外の団体旅行客の受け入れを検討している、と昨夜のニュースにあった。
とすれば、昨日エントリしたように、海外からの観光客を受け入れる時が、マスクを外すきっかけとなれば良いのだが・・・。