しばらく前から、京都の八坂神社での海外観光客と地元の方とのトラブルが、話題となっている。
海外からの観光客が、深夜八坂神社の鈴の緒を激しく振り回すという動画が、拡散されテレビのニュース等にとりあげられた、という内容だ。
MBSニュース動画(YouTube):八坂神社で「鈴の緒」を激しく振り回す迷惑行為 神社側は“夜間に鈴をよう”対応(2024年5月31日)
この問題に対して、日本に住む外国籍の方々も様々な意見や考えをYouTube等で述べるような動画も、散見されるようになっている。
まずこの問題の発端となったのは、「日本の神社のお参りの仕方を知らない」という点が挙げられると思う。
しかし、問題なのはそれ以前にあるのでは?という気がしている。
その「問題」とは、訪日する意識だ。
確かに現在の円安で、訪日客は増加傾向にあると、言われている。
円安による訪日客の急増が悪い、とうよりも「何のために日本を訪れたいの?」という、意識を持たず「日本は『おもてなしの国』だから、何をしても大丈夫(=何をしても許される)」という、気軽さで訪日しているのでは?という気がするのだ。
その一つが、「日本語で挨拶すらしない訪日客」の姿のように思える。
私たち日本人の多くが、海外旅行をする際団体旅行であっても「おはよう、こんにちは、ありがとう」程度の言葉は覚えていく。
多くの場合、英語ということになるのだが、それでもフランスに行くのであれば、フランス語の挨拶程度は覚えていく努力をして、海外旅行に行っているはずだ。
そのような意識が、訪日客に対してほとんど感じられないことが、これまでも度々あった。
「なぜ、日本語の挨拶を覚えないの?」と尋ねると、多くの訪日客は「なぜ、日本語の挨拶を覚えなくてはいけないの?私の母国語は英語(あるいはその他言語)なのに」と、堂々と言い切らる。
「訪問する国の挨拶を覚えてくるのは、訪問する国に対する文化を知りたい、というコミュニケーションのスタートでは?」と、たずね返しても「そんな必要はない。日本人が英語で説明してくれればよいだけ」と、相当強気なことを言われたこともある。
おそらく、日本で傍若無人な行動を起こす訪日客というのは、同様の意識を持っているのではないだろうか?
マーケティングでは「意識が言葉となり、言葉が行動に結びつく」と考えている。
海外から、日本という国が近しいと思われるようになることは、良いことだと思う。
しかし、「海外に旅行する」という目的の中には「異文化を体験する」ということもあるはずだ。
むしろ、「体験型旅行」が増えつつある、という指摘もされている。
そのような観光意識の変化の中で、「何でも至れり尽くせり」の訪日サービスを提供する必要があるのか?ということなのだ。
訪日客に「ここは日本なので、日本の文化を理解できないのであれば、ご帰国を願う」位の態度を旅行会社をふくめ、毅然とした態度を示す必要があるのではないだろうか?
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