今日、お昼のニュースで大きく報じられたのは、安倍元首相の「桜を見る会前夜祭」での公職選挙法違反などに対する不起訴決定だった。
日経新聞:「桜」で安倍氏の捜査終結 検察捜査と市民感覚に温度差
今日の不起訴決定の約1週間前には、元秘書の不起訴が決定している。
時事通信:「桜」夕食会、元公設秘書ら不起訴 検審議決で再捜査ー東京地検
これで、安倍さんとその秘書の方々は法的には「無罪放免」、ということになった。
ただ一連のニュースを見ている有権者は、果たしてどう思い・考えているのだろう?
安倍さんが首相をされていた頃、官邸主導で検察トップを任命しようとしたコトがあった。
任命される予定だった方は、思わぬスキャンダルで任命されることは無くなってしまったのだが、そもそも官邸主導で検察トップを任命する、ということ自体おかしな話ではある。
何故なら、日本の民主主義の基本である「三権分立」を犯すことなるからだ。
あくまでも「司法」は、政治と結びつくような関係を持ってはいけないはずなのだ。
その基本ルールを安倍さんは、自ら破るようなことをしたのだった。
これまでの安倍さんの発言の中には、「は?」と驚くような暴言も少なくない。
個人的に一番驚いたのは、「森羅万象を担当している」という発言だった。
この発言は、ある意味数々の放言・暴言を繰り返してきた、オリンピック組織委員長をされていた森喜朗元首相よりも衝撃的な発言だった。
何故なら「森羅万象を司る=神」と捉えられるような発言だったからだ。
その様に考えると、安倍さんにとって「三権分立」などは、取るに足らないコトなのだろう。
検察トップ任命も「森羅万象を担当」する安倍さんなら、当然のことだったのかもしれないし、今回の不起訴も当たり前なのかもしれない。
ただ、このような感覚の持ち主が、政治家として「国会で国の政策を決める」ことに、不安を感じている。
何故なら安倍さんは「森羅万象を担当」しているのかもしれないが、日本は民主主義の国であり三権分立によって成り立っている国だからだ。
少なくとも、日本と同盟国として名前の挙がる国々は、民主主義の国であり政治は国民の安全や生活を豊かにするための政策を議論することを当然としている。
基本的な考えが大きく違うと、どんな場所であっても日本という国が信用されなくなってしまうのでは?
今日の「不起訴」のニュースを見て、思わずそんなコトを考えたのだった。