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「手段」が「目的」になってはいないか?

2021-01-19 21:04:17 | ビジネス

朝日新聞のWEBサイトに、微笑ましい記事があった。
記事そのものは微笑ましいのだが、とても違和感を感じたのだった。
朝日新聞:リンゴ皮むき18m、妹が姉の記録更新 研究の成果出た

映像を見ていただければわかる通り、小学生が冬休みの間に「リンゴの皮むき」に挑戦をし、その成果を実演発表した、という内容だ。
我が家にテレビがあった頃(今から10年前)にも、おそらく同じ小学校で行われたのでは?と思われる「リンゴの皮むきの長さを競う」というニュースがあったので、今は冬休み明けの風物詩のようなことなのかもしれない。
とても微笑ましい光景だし、一生懸命に細く・長く・切れないようにリンゴの皮をむく小学生の姿は、ある種の感動を感じられる方もいらっしゃるかもしれない。

だが私は、このニュース映像を見ながら、どこかモヤモヤしたものを感じていた。
随分前から、子どもたちがナイフ等で鉛筆が削れない(=刃物を上手に使えない)ということが問題になっている。
何となくだが、このような「刃物が使えない子どもたち」が問題視されるようになった頃ぐらいから、このような「リンゴの皮むき」を競わせるような行事が小学校で生まれたような記憶がある。

鉛筆に関しては鉛筆削りがあるので、ナイフで削る必要は無いとは思うのだが、「刃物が上手に使えない」ということは、学校の授業の図画工作や家庭科などの授業に差しさわりが出る、ということなのだろう、と思っていた。
実際、大人になり生活をする中で包丁はほぼ毎日使うし、カッター等の刃物を必要に応じて使わなくてはならない場面もある。
その時、刃物の基本的使い方を知らないと、怪我の要因になるだけではなく近くにいる人を怪我させることにもなりかねない。
その意味で「刃物の使い方」を知っておく、というのはとても大事なことだと思う。

では「リンゴの皮を切れないように長くむく」目的は何か?ということだ。
上述したように、「刃物の使い方に慣れる」というのであれば、何も「長く・細く・切れない」ようにリンゴの皮をむく必要は無い。
まして、競わせる理由もないはずだ。
学習成果の一つとして、子どもたちに実演させるにしても「上手に刃物(この場合包丁)が使えたね」で、十分だと思うのだ。
それをあえて「長く・細く・切れない」ように競わせる理由は、何だろう?ということなのだ。
何となくだが、手段(=皮をむくことが上手になる)が、目的(=長く・細く・切れない)となってしまっているような気がするのだ。
しかも「競争させる」という動機付けが、更に違和感を感じさせるモノになっているのだ。

このようなことは、決して特別なことではない。
ビジネスにおいても、このように手段が目的化してしまうことは多々ある。
手段が目的化してしまうと、「一体何のために、その仕事をしなくてはならないのか?」という、本質を見失い仕事の意味も失ってしまう。
営業の成績発表などで、上司となる人物が数字目標を達成できなかった社員を叱責するのと同じだ。
その仕事の意味・目標となる最大顧客利益の提案と提供という目的が、十分理解されずに「売ってこい!」だけでは、数字は上がってこない。
にもかかわらず、まだまだ日本の企業には「売ってこい!」しか言えない管理者が多いのでは?

少なくとも、この微笑ましいニュースを見ながら「手段の目的化」と「事業の本質を忘れる」ことの怖さを感じるのだ。




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