先週から、東大の授業料の値上げが、話題になっている。
東京新聞:東大の授業料値上げ 学長「待ったなし」学生は「拙速」総長対話で示された「10万円引き上げ」と支援策
この時の総長との対話は、オンラインで行われたようだが、この対話の後には学生たちが安田講堂周辺に集まり、抗議を行っていたようだ。
その抗議の収集に警備員だけではなく、警察まで動員され、一時期騒然となった、という報道もある。
産経新聞:東大・安田行動に学生侵入 警備員けが、周囲で集会
実は、安田講堂で警察官と学生が対峙する、というニュースを聞いて思い浮かべた場面がある。
1969年の安田講堂占拠事件だ。
小学生だった私にとっても、このニュースは衝撃的で今でもよく覚えている。
学生と対峙したのは警察官ではなく、機動隊員だったのだが、同世代の若者が睨みあうという光景は、異常な雰囲気だった。
そして、この「安田講堂占拠事件」が、当時の学生運動の象徴的なモノとなっていったような記憶がある。
勿論、今回の「学費値上げ」に対する学生と、1969年の学生運動とはその様相も全く違うし、目的も違うように感じている。
ただ社会全体として考えなくてはいけない問題の一つなのでは?という、気はしている。
何故なら、政府が国立大学を「独立行政法人化」したことによって、大学は「自分である程度儲けなくては行けなくなった」という、背景があるからだ。
それが、国立大学の能力低下の要因になっているのでは?という指摘が、されるようになってきている。
JBpress:国立大学の能力低下、法人化は失敗だったのか?
元々大学という場所は、儲けるということとは無縁の場所だったはずだ。
そこに「儲けて、自立せよ」というのは、的外れな考えだったような気がする。
大学が金儲けをしてはいけない、のではない。
勉学をし、そこから基礎研究をはじめとする様々な分野の学術的深化をする場所として、大学という場があるはずだからだ。
そのような大学に、国からの支援が徐々に減少していけば、能力低下を招いてしまうのは、当然だろう。
世界の大学における日本の大学ランキングが、年々下がっているのもそのような背景があるのでは、ないだろうか?
それは、10年ほど後には日本から「ノーベル賞受賞者がいなくなる」という懸念にもつながる話だ。
OECD諸国の中で、日本は子供の教育にお金を掛けない国と言われている。
OECD i Library:日本(2021年版)
このレポート内にもあるが、「社会経済的背景に関わりなく均等な教育機会の提供」という視点から考えれば、国立大学こそその教育の場である必要があると思う。
その一つが給付型奨学金だと考えられるし、大学卒業と同時に「奨学金という名の学生ローン」の支払いで、生活が困窮するようでは、日本経済という視点で考えても、決してプラスにはならない。
とはいえ、現在の政策を考える官僚の皆さんだけではなく多くの国会議員は、経済的に恵まれた環境の中で子供時代を過ごし、経済的不安も無く大学生活を楽しく過ごしてきた人たちがほとんどだろう。
そのような人達が、安田講堂に集まった学生たちの気持ちがどれだけ理解できるのか、疑問なところだ。
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