昨年暮れに発覚した「国の基幹統計、書き換え」という事件があった。
朝日新聞: 「すべての数字を消す」国が指示 消しゴムで書き換えた統計データ
このことが発覚してから、犯罪行為があったとして誰かが逮捕された、というニュースにはなっていない。
逮捕されるようなことが無ければ、問題はない、と認識される方もいらっしゃるとすれば、それは違う意味で大問題だと考えている。
なぜなら「国の基幹統計」は過去のものではないからだ。
「国の基幹統計」が過去のものではない、というと奇異な印象を持たれる方がいらっしゃるかもしれない。
なぜなら、統計の数字というは、調査した時点での数字であって、まとめられた時点では過去の数字に他ならないからだ。
では、なぜ「過去のものではない」といえるのか?というと、統計から見える数字を基に未来を予測することができるからだ。
社会学者という一面を持っていたドラッカーは「人口統計から未来を見ることができる」と、話していた。
例えば、今10歳の子供たちは、10年後20歳になっている。
ということは、10年後の20歳を対象とした市場は、今の10歳の子供たちの人口を最大とした市場である、と考えられるからだ。
同様に、10年後の70歳以上の市場規模を考えたとき、平均寿命を参考にしながら今の60歳以上の人たちが最小の市場規模だと考えることができる。
その間に、劇的な医薬品が開発され不治の病のように言われてた病気が治るようになれば、その数字は増えることはあっても減ることは少ない、と考えることができる。
ほかにも、現在問題となっている「新型コロナ」の感染拡大についても、「感染者」の定義を明らかにし、調査対象となった人を分母とし、感染者を分子とすれば、感染率というものがわかる。
それを職種ごとに分析をしたり、居住環境などの条件を付け分析をしたりすれば、今生活者が一番知りたい「どのような環境で、どれくらい感染するのか?」と一つの指標となるものがわかってくる。
そのデータに、感染者の症状や濃厚接触者から何日後の発症なのか?という条件を加えることで「潜伏期間」がわかるようになるし、陽性者数に対して軽症者・中等程度・重症という数字を当てはめていくことで、「オミクロン株」の特性のようなものも少しは見えてくる。
ところが残念なことに、メディアで伝えられる情報は「陽性者の数字」だけになっている。
「オミクロン株」以前に流行した「デルタ株」などと比較するためにも、このような基礎的な統計は、政策を立てる時にとても重要な役割を果たすだけではなく、その時々の対応策に影響を与えるはずだ。
そのように考えた時、日本では「統計」の意味を十分に理解しているのだろうか?という、疑問がわいてくるのだ。
理解が十分にされていないがために、統計の改ざんなどをすることに抵抗がないのだ。
統計は数字の羅列ではない。
統計を取る時には、とる理由と目的があったはずだ。
その理由と目的を理解することなく、「印象の良い数字」だけを求めているとすれば、それは「統計」ではなく、意味のない数字の羅列になってしまう。
意味のない数字の羅列は、公正な数字ではないし、最悪な場合一部の権力者にとって、都合の良い数字の羅列ということにもなり兼ねない、ということでもあるのだ。