明日、いよいよ「安倍元首相」の国葬が、日本武道館で行われる。
海外からの要人と言えば、G7からは誰も参列をせず、米国からはハリス副大統領が参列。
ただ、先般行われた英国のエリザベス2世の国葬に参列をされなかったインドのモディ首相などが参列をされる。
インドと英国との関係の難しさを感じるのは、私だけではないと思うのだが、もしかしたら安倍元首相は、国内よりもアジア諸国での評価が高かったのかもしれない。
国内においては、「モリカケ、桜を見る会、自己満足で終わった感のあるアベノマスク」等「説明責任」を十分にされず、都合がよいように法律を解釈し、周囲から忖度をさせる事で、問題を乗り切った感がある。
何より、安倍元首相が胸を張っていたはずの「アベノミクス」は、実質的には大失敗だったと感じている。
改めてその理由を言うまでもないと思うのだが、大企業への優遇により大企業の内部留保はどんどん増えたが、それが給与や設備投資に回る事は無かった。
むしろ、ここ30年間の間で日本の労働賃金は、OECD諸国の中でも最低に近い状態に陥っている。
違う言い方をするなら、「アベノミクス」で生活が豊かになるどころか、国民の多くは貧しくなったと言えるかもしれない。
とすると、安倍元首相は国内政策はことごとく失敗したが、対外国政策は一定の成果があった、ということになるのかもしれない。
これほど、両極に振れる首相も珍しいと思うのだが、安倍元首相を始め現在の岸田首相に至るまで、「国民を見る目」が昭和なのかもしれない。
というのも、先日の英国・エリザベス2世の国葬を見た岸田首相が、「見栄えの良い国葬にするように」と指示をしたとか、しなかったとか…という週刊誌報道があったからだ。
今の若い方からすれば、「何を見栄を張って」などと思われるかもしれないが、盛大な葬儀というのは故人の業績や人柄などが良かった、という意味合いを持っていたのが、昭和だったからだ。
そのための「箔付け」が必要だと、考えたのかもしれない。
だからこそ、参列者の人数の多さにもこだわったような、気がしている。
故人に対する業績や人望というだけではなく、立派なお葬式を出すことは、お葬式を出す側もまた「立派な人」という見方をするのが、昭和だったからだ。
岸田さんの目的の一つが「弔問外交」ということのようだが、人数が多ければ多いほど、立ち話だけで内容のある話等は、できないだろう。
「国葬」という場で、自分を売り込みたい!という、岸田さんの考えも透けて見える。
岸田さんご自身は、「安倍元首相の後継者」というアピールをしたいのかもしれないが、多くの有権者は「国葬」を力づくで行うことを決めたことで、むしろ反感を持ってしまった。
半ば都市封鎖に近いような厳戒態勢で行われる「安倍元首相の国葬」、果たしてどのような成果が生まれるのだろうか?
そして「費用対効果」は?
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