今年に入ってから、「希少糖入り○○」という食品やソーダを、目にする様になった。
特にサイダーなどは、人気らしくスーパーやドラッグストアーなどいろいろな場所で見かける。
以前から気にはなっていたのだが、そもそも「希少糖」というモノがわからない。
先日、偶然出掛けたやや高級品を扱うスーパーマーケットで「希少糖飴」という商品をみかけ、買うコトにした。
「希少糖」ということばだけではなく、そのパッケージにも惹かれて買ったのだ。
←私が購入した「希少糖飴」
このパッケージそのものが、とても素朴だったこともあり「一体どんなトコロが作っているのだろう?」ということと、実は、このパッケージに、香川県知事の「希少糖」についてのコメントというか、メッセージのタグが付いていたのだ。
「飴」が欲しかった、と言うよりもこの「香川県知事メッセージ」が欲しくて、買ってしまったのだった。
おそらく、食品や飲料水などの多くには、この様なメッセージタグは付いていないだろうし、何より今「希少糖」が注目される大きな理由は、「糖なのに成人病やがん予防に期待ができる(のでは?)」という点だろう。
ここ数年次々と販売されてきた「トクホ飲料」のように、人工的なイメージではなくあくまでも「自然界に存在する、これまでとは違う糖」ということで、注目されているように感じている。
香川県知事のメッセージというのは、この「希少糖」を発見した香川大学と、地元の銘品「和三盆」をあわせ、地域の産業として発展させていきたい、と言う内容だった。
この香川県知事のメッセージタグを読みながら、考えたことが「地域の活性化」ということだった。
これまでにも、地域活性化を目的として様々なローカル商品が全国で販売される様になってきた。
特に「東日本大震災」以来、東北を応援!と言うこともあって、Yahooが「復興デパート」というサイトを立ち上げ、積極的に被災地支援を兼ねた通販を展開している。
その様な機運とともに、少しずつではあるが日本全国に昔からある産物にも注目が集まる様になってきているのでは?と感じている。
江戸時代の頃は、全国各地に「銘品」と呼ばれるモノづくりがあった。
それは藩が保護をし、藩の外へそれらの技術や農作物の種などを出すコトを禁じる程だった、と高校時代の日本史で習った記憶がある。
そうやって全国各地でその地域にあった特別なモノ・コトが長い間受け継がれ、現在のモノづくりの基となったトコロもあるだろう。
燕市のステンレス加工などは、その良い例かも知れない。
戦後、「均一化」というコトを目指し、全国何処でも「同じモノが作れる」ようになった。
確かに、機械製品であれば「全国何処でも均一かされた同じモノ」を作る必要がある。
しかし、既に機械製品製造が、日本経済の中心では無くなってきている。
むしろ、地域・地域にあった特徴的で他の地域では作られない「オリジナリティーのあるモノづくり」が、求められる様になってきている。
そう考えると、今の社会的雰囲気というのは「地域活性化」のチャンスなのではないだろうか?
「地域を活性化させるお宝」は、外ではなく内にあるのではないだろうか?
母の日が終わると、百貨店や大手スーパーの「お客様カウンター」近くに、「お中元ギフトカタログ」が置かれる様になる。
百貨店のカタログなどは、「産直」と「カタログギフト」などに力を入れているのがわかる。
その理由は、大手食品会社や洗剤などが、大手スーパー系と重なるためだ。
大手スーパー系の場合、メーカー小売価格よりも10%くらい易くなっているため、「包装紙」さえ気にしなければ大手スーパーを利用した方が、安く済む。
その為、百貨店は催事販売などで関係をつくってきたメーカーさんと一緒に「産直ギフト」などオリジナリティーのある商品づくりに躍起になっているように思える。
一方、大手スーパー系も希望小売価格から10%程度値引くことで、「お中元商戦」に乗るコトができる。
生活者としては「なるべく安く・便利に買うことができる」という点では、同じ商品なら百貨店よりも大手スーパー系を選ぶのは、当然のコトだろう。
他にも、ギフトショップと呼ばれるチェーン店や郵便局なども加わり、最近の「お中元・お歳暮商戦」は、それぞれの特色を出そうと躍起になっている。
その中でも、大手スーパー系の「お中元カタログ」を見て、「なるほどな~」と感心をした。
大手スーパーともなれば、全国各地にその販売ネットワークを持っている。
例えば「AEON」などは、元々地方にあったスーパーを飲み込み、事業を全国規模にしてきた。
そうすると、元々地方のスーパーが持っていたそれぞれの地域にしかない仕入れ先も、一緒に飲み込んだ状況になっている。
大手スーパー側としては、新しい仕入れ先を見つける必要がないだけではなく、それぞれの地域にしか無かった商品を取り扱うことができるようになる、と言うメリットがあるはずだ。
それを実感したのが、大手スーパー系の「お中元カタログ」だった。
同じ様に全国各地に独自の仕入れルートを持っている百貨店だが、それ以上に細かな仕入れ先情報を持っているのが、大手スーパーでは?
実際店頭に置かれている「お中元カタログ」を見てみると、北海道から九州までの産直品が地域ごとに掲載されている。
気になって、掲載されているお店をネットで調べてみると、地元では有名だが全国的知名度はまだない、と言うトコロがいくつかあったり、バラエティに富んだ「小分けパッケージ」という商品がいくつもあるったり、予算3,000円前後で、好きな商品を3点選び、「オリジナルギフト」を作る、と言う内容のものもある。
この様なギフト内容は、少人数世帯が増えたことや料理の手間を省きたいと言う、生活者のニーズをよく捉えていると思う。
それだけではなく、百貨店のみの扱いだと思っていた「銀座千疋屋」のような高級果物店や京都の老舗料亭「菊乃井」や「下鴨茶寮」のようなところの「お総菜」なども扱っている。
百貨店の得意とする分野にも、どんどん進出している。
これまで「スーパーのギフトは・・・」と、二の足を踏んでいた客層を取り込みたい、と言うだけではなく、時代のニーズをよく考えた「お中元カタログ」だと思う。
今朝の新聞は、安倍さんの「集団的自衛権」に関する会見に多くの頁をさいているようだ。
それだけ、「関心事の高い内容」と言うことになると思うのだが、安倍さんが力めば力む程、国民は醒めていっているのでは?と言う気がする。
なんでも安倍さんが「集団的自衛権」にこだわる大きな理由の一つが、祖父である岸信介氏の思いを成し遂げるため、だとか?
本当のトコロはわからないのだが、もしそうだとしたら安倍さんには「時代観」というモノが無いのでは?と言う気がする。
安倍さんの祖父である岸信介氏が、総理大臣だった頃というのは「安保闘争」があった時代。
世間では、やっとテレビが一般家庭に普及し始めた頃だ。
「衛星生中継」もやっと始まったか?と言う頃で、「日本と世界」と言うコトがわかり難かった時代だと言える。
市民の多くが、海外の情報などに接することが無かった時代と今のようにインターネットなどで、簡単に世界の情報を知ることができる時代とでは、国民の意識そのものが全く違っているはずだ。
にも関わらず、安倍さんはおじいさんの思いに引きずられるように様々な「強い日本」を言い続けることは、ある種の「時代錯誤」的なモノを感じる。
確かに今の隣国状況を考えると、「力(武力)による国防」ということを考える必要があるかも知れない。
逆の発想をするなら、隣国の「力技」による他国への圧力というのは、今の時代には不釣り合いで古い発想だと思うし、「国の品位」を落とす行為だと思うのだ。
その様な、「古く、国の品位を落とす」やり方に、引きずれられると言うの決して賢い方法ではないと思う。
もう一つ感じるのは、安倍さんが「集団的自衛権」を強く言えば言うほど、女性は「(自分の)子どもを戦争に巻き込ませたくない」という思いが強くなるのでは?と言う点だ。
安倍さんにはお子さんもお孫さんもいらっしゃらないので、お子さんを持っている親御さんの気持ちはわからないかも知れないが、「将来自分の子どもが戦争に巻き込まれる可能性がある」と考えると、二の足を踏む女性がいてもおかしくは無い。
それでなくても、日本の出生率は低下し続けており、将来「国防のために体を張る若者」が、激減する可能性が高い。
「力技」をカバーする程の若者がいない可能性もある。(そう考えれば、先日話題になった「出生目標」という発想も、合点がいく)。
「湾岸戦争」の時のように、遠隔操作に近い方法の「力技」で対抗すれば良い、と考えられる方もいらっしゃるかも知れないが、「湾岸戦争」も最終的には、人を戦争に巻き込んでいる。
人が何らかのカタチで関わらない戦争というものは無いのだと思う。
もし安倍さんが「集団的自衛権」を通そうとするなら、「若年層が激減している日本にあった、人を巻き込まない戦争」を説明する必要があるのでは?
その様な説明が無い限り、「祖父・岸信介の思い」だけで「集団的自衛権」を進めようとするのには、無理があると思うのだ。
浦和レッズのサポーターが「Japanese Only」というダンマクを掲げ、問題になったコトは記憶に新しい。
その直後から、街中にある「Japanese Only」に近い差別的表現が、新聞などで取り上げられる様になった。
ただそれらの記事を読みながら「そうだよね」と、その様な差別的表現の掲示をする人達の気持ちもわかる様な気がしたのだった。
3月、友人と一緒に京都へ出かけた。
そして極力海外、特に中国からの団体観光客が来ない様なところへ行った。
その理由は、独特の賑やかな観光スタイルに辟易としていたからだ。
京都のような観光地ではない名古屋でも、団体の観光客の中には「もう少し、日本にあった観光をして欲しい」と思うコトが度々ある。
端から見ていると「郷に入りては、郷に従え」という言葉とは無縁な、観光態度に辟易としてしまうのだ。
しかし思い出せば、日本がバブル経済真っ盛りの頃、日本人観光客も欧州へ出掛けては、同じ様な態度で買い物に熱狂していた。
海外の有名ファッションブランドのお店の前に行列をつくり、開店と同時にワッと入りお目当ての商品を脇目も振らずに買い漁る。
ガイドブックに掲載されているレストランやカフェで、自分勝手に椅子を移動させツアーの仲間と騒ぐ、などなど批判を浴びることがあった。
その様な批判を度々され、海外旅行に行くコトが特別なことではなくなったこともあってか、その様な批判はなくなったように思う。
もっとも、私が海外旅行をしないので、その様な話を聞かないだけかも知れないのだが、それでも随分減ったのではないだろうか。
そう考えると、日本から「日本の生活マナー」という情報を、発信し、「日本人が嫌がるコト」を知ってもらうことも、重要なことなのでは?と言う気がしている。
その意味で、日本の発信力というのはまだまだ弱いのではないだろうか?
国は、海外からの観光客を増やしていきたい、と言う考えがあるようだが、観光客を増やすだけではなく「日本人」ということも知ってもらう必要があると思う。
別に「お箸を上手に使え」と言うことではなく、「日本には日本の文化があり、文化を背景とした生活観がある。観光と言えども、その文化や生活感を尊重する」ということを、理解してもらうと言うことだ。
「CoolJapan」も良いが、「Cool」なのは別にアニメやオタク文化だけではない。
それらは、日本のごく一部でしかない。
もっと地に足が付いた「CoolJapan」を発信することが大切なのではないだろうか?
今日から始まった「全広蓮名古屋大会」の一会場である、国際デザインセンターの「あの日、あの時、時代を創った広告たち」を見に行ってきた。
余り知られていないと思うのだが、日本初の民放ラジオ放送をしたのは名古屋の「中部日本放送(CBC)」。
日本初のFM放送局として開局したのは「FM愛知」。
その視点から言うと、日本初のCM(ラジオCM)はここ名古屋ということになる。
記念すべき、日本初の民放ラジオ局でのCMを聞くコトはできなかったが、高度成長期~現在に至るまでのテレビCMを見られる貴重な機会だった。
そしてテレビCMを眺めながら「たかがCM、されどCM」という気がした。
特に「昭和のテレビCM」を見ていると、その時々の時代感を上手く捉えている様に感じるCMがいくつもあった。
もちろん放映当時話題になったCMでも、今見ると「何故???」と疑問符が付く様なCMもいくつもあった。
その一つが、三菱自動車の「エリマキトカゲ」を使ったCMだ。
「エリマキトカゲ」そのものが、知られていなかったコトとそのユニークな姿で話題になった。
おそらく起用した理由は、素早い走りを自動車と重ね合わせたのだと思うのだが、今見ると「自動車のスピーディー感」と「エリマキトカゲ」が結びついているようには思えない。
一方、昭和30年代に放映された「黄桜酒造」のCMは、当時の庶民の姿を的確に捉えている様に感じた。
「黄桜酒造」のテレビCMと言うのは、「カッパッパ~、ルンバッパ~」という軽快なCMソングにのって、キャラクターである河童が登場するCM。
今回紹介されていたCMは、日本が高度成長に入った頃のモノと思われるモノで、郊外には団地が造られ、団地内には電車の駅がある。
その駅から、お父さん河童が降り、駅前の飲み屋さんで一杯。
チョットほろ酔い加減で歩いて行く通りには、学校やスーパー、公園がある。
団地の自宅に帰れば奥さん河童が、一献つけて待っている・・・、と言うCMだ。
本当にその当時は、東京や大阪以外でも「公団住宅」と呼ばれる団地が各地にできはじめ、CMと同じような光景が見られたのだった。
今では、すっかり団地そのものが老朽化し、団地ができはじめた頃に住み始めた人達がそのまま住み続けているため、世帯年齢も老齢者ばかりとなっている。
そして、一番印象的だったのは、「マクセル」のCMだった。
休校(現実には「廃校」ではないかと思われる)になる、小学校の最後の1週間をドキュメンタリータッチで作ったCMだ。
3人の小学6年生の少女達と担任の先生との最後の授業。
映像は、淡々と少女達と担任の先生の姿を記録している、と言う内容。
「記録をする」というDVDの商品特性を伝えるだけではなく、「本当のDVDの役割」を伝えている。
それは「記録の中に、大切な思い出がある」ということ。
「思い出となる時間の瞬間を切り取り保存する」と言うコトを、少女達と担任の先生の最後の授業風景を見ることで、CMを見ている側に気づかせる。
放映年度で優秀賞を獲っただけの力のあるCMだ。
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今日の午後2時、2014W杯ブラジル大会のメンバーが発表された。
この様な発表には、「サプライズ」がつきもの。
今回の「サプライズ」は、川崎Fの大久保選手だったようだ。
メディア的には大久保選手かも知れないが、個人的には鹿島から選出されなかったコトが「サプライズ」だった。
現在のJリーグの順位でも、ある程度の結果を出しているし、これまでも鹿島からは柴崎選手が呼ばれていたりしたからだ。
Jリーグでの順位というのは、あくまでも「チーム成績」というコトなので選出される選手一人ひとりの実力を図る訳では無い。
だが、それなりの戦績を残しているチームの選手というのは、個々の力もそれなりに持っている、と考えるのが普通だった。
そう考えると、現在鹿島よりも下位に低迷しているチームから選出された選手というのは、個々の力が高く評価された、と言うコトになるのだろう。
ただ、一つ考えられるのが「Jリーグでのチーム戦術と代表監督の戦術の違い」、と言うコトかも知れない。
と言うのも、ザッケローニ監督は「攻撃的なチーム」と言う表現をしているからだ。
「攻撃的なチーム」というと、攻撃的な選手中心と思われがちだが、どちらかというと「攻撃的なチーム=攻撃的ポジションであっても、しっかりディフェンスができる」という選手のほうが選ばれやすいのでは?と、思っている。
守備的なチームの場合、個々の選手の役割がハッキリしていて「攻撃的な役割=攻撃中心・守備的役割=守備中心」という場合が多い。
「攻撃的チーム」というのは、実は攻撃的役割を担う選手であっても守備がしっかりできる、と言う選手一人ひとりに課せられる能力というのは、幅広い。
攻撃だけでも×、守備だけでも×。全体のバランスを選手一人ひとりが取りながら、守備から攻撃へと素早い転換をする、と言うことが必要だとおもうからだ。
実際、欧州の強豪チームの多くは、その様な傾向にあると言われている様だ。
そう考えると、鹿島から選出されなかったのは、クラブの戦術と代表監督であるザッケローニの考える戦術が、違っていたと言うコトなのかも知れない。
選出された選手達は、ここからがスタート。
W杯で1勝をあげることは、どの国にとっても大変なこと。
前回決勝トーナメントに進出することができたからといって、今回も決勝トーナメントに進出できる保証などはない。
それぞれの試合が真剣勝負。
良い結果を残すために、しっかり準備をし、これまでの努力の成果を発揮して貰いたい。
そして選外となった多くの選手達には、次のW杯を目指すだけではなくW杯を通して「新しいサッカー」というものを発見して貰いたい。
Yahooのトピックスに「ヒットラー賞賛の隠語:洗剤回収」という記事が取り上げられていた。
素となった記事は、毎日新聞が掲載している。
毎日新聞:ヒットラー賞賛の隠語:洗剤宣伝のはずが・・・ドイツで出荷停止
対象となった洗剤は、P&Gが発売している「アリエール」。
日本でもおなじみの洗濯用洗剤だ。
そして増量キャンペーンを謳うつもりが、ヒットラー賞賛の隠語となってしまった、と言うコトのようだ。
この記事を読んでP&G程の企業が、この様なミスをするのか?と言う驚きだった。
P&Gの本社は米国だが、今やP&Gの製品は世界中で販売されている。
その意味では、本当の「グローバル企業」だと思う。
「グローバル企業」であれば、当然進出する国の文化や社会的なタブーの様なコトは当然知っている、と思っていた。
ドイツに進出してからも随分経っていると思うのだが、それでもこの様な隠語を知らなかったと言うのは、意外だった。
どうしたら、その様な問題を防ぐコトができるのだろうか?
それはもっと広い意味で「相手を知る」と言うコトように思う。
「相手」と言うのは、製品や商品・サービスを提供する人達と社会のこと。
それだけではなく、「社会的背景や文化」と言う点も十分に調べ、理解すると言うコトだ。
実はこの「社会的背景や文化を知る」というコトは、とても難しいと感じている。
なぜなら、この様なコトは単純な「調査」でわかるコトではないからだ。
一般的な「市場調査」といった場合、調べる対象となる内容は「価格・製品に対する使い心地や効果」などが中心。
もちろん、ライバル企業との製品比較なども含まれる。
今回問題となった「アリエール」そのものは、既にドイツで販売されている商品なのだから、P&Gも、この様な「市場調査」などは十分に行っていただろう。
ただ、「社会的背景と社会文化」というトコロまで、踏み込んでいなかったのかも知れない。
確かに多くの人が知っているのであれば、それは「隠語」にはならないだろう。
それでも、企業は「製品・商品を売る」という点では、様々な配慮をしなくてはならない。
「製品や商品を売る」ためには、「売る相手の生活志向」や「市場状況」を十分に知る必要がある。
そこで重要になってくるのが「マーケティング」というコトになるのだが、「数字ではわからないコトを知る」そんな視点も、マーケティングには必要だと言うコトを、この出来事は教えてくれている様な気がする。
昨日「若い女性の人口減少」という内容のエントリをした。
この問題をチョット違った視点で考えると、「地域の疲弊と閉塞感」という問題がある様な気がする。
記事にもあったが、この様な「自治体消滅」という現象とともに起きるのが「東京への一極集中」。
少し前「東京一極集中のどこに問題があるのか?」という考えもある様なので、そのコト自体否定する気は無い。
ただ、これまでの日本の経済は地方が供給し、東京が消費する、と言うパターンが基本だった。
その「供給地となる地方が消滅する」と言うコトは、何を意味しているのだろう?と、考える必要があると思う。
例えば、電力。
東京だけではなく大都市では、火力発電もましてや事故が起きたら、収拾することが難しい原発など、それらの電力を使う人達が住んでいる場所で作られるコトが無かった。
違う言い方をするなら、消費する人達はその生産現場を知らずに生活をしてきた、と言うコトになる。
生産現場を知らないからこそ、様々な問題を現実的な問題として捉えるコトが難しい、のでないだろうか?
その生産現場となる地域が、人口の現象とともに疲弊→閉塞→疲弊というある種の「負のサイクル」に陥っている、と言うが今なのでは?と言う指摘の様に思えたのだ。
一方、「地方の活性化」と言うコトが言われて久しいが、これも違う見方をすると「地方が活性化しないと、大都市部へ様々なモノ・コトが供給されない」という部分もあると感じている。
「供給する地方地域とそれを消費する大都市」と言うバランスが取れていた時代は、おそらく1960年代~1970年代までで、それ以降はバランスが崩れ始めてきていたのに、「金融」という切り口で「経済」を語るコトで、眼を逸らしてきた・・・と言う気がしている。
そう考えると「若い女性が生活し易い環境とは?」というコトを、地方は懸命に考え、その地域にあった産業を創っていくコトが「地域の再生」につながる。
と同時に、その為に必要なことは、言い古されてきた感のある「地方分権」と電力の「発送分離」だと思う。
何故なら、今までの発想が「大都市(特に東京)から見た、地方」という視点で、語られてきたために、地方の現実に合っていない、と言うコトが考えられるのだ。
例えば、地方に権威委譲が行われると、当然地方の(行政の)責任が大きくなる。
これまでの様な「霞ヶ関主導」ではできない、それぞれの地域にあった政策を自治体が責任を持って考え、実行する必要がでてくる。
当然、その中には「(その地域にあった)女性の活用」というコトも含まれるだろうし、その地域に住む女性達も声を出しやすい。
行政と市民との間で「相互理解」が深まれば、その地域独特の産業が生まれ易い環境になっていくだろうし、「自分達の意見が行政に反映できる」というコトになれば、若い世代も居やすい環境になるだろう。
上述した通り「電力の生産地」というのは、地方であるコトが多い。
地域住民とコンセンサスの取れた「地方分権」が進むと、当然のコトながら「自分達の地域で作っている電力」という意識が高まってくるだろう。
そうなると、「何故、自分達が(様々なリスクを抱えながら)作っている電力を、何故(リスクを持たない)都市で消費するのか?」という考えが生まれても当然だろう。
「(リスクの少ない)様々な自然エネルギーを組み合わせた、エネルギーの自給自足」を地方が目指し始めると、当然のことながら「電力の発送分離」と言う問題が起きるのではないだろうか?
「若い女性の人口減少」と言う問題は、それぞれの自治体がその地域にあった産業とエネルギー政策を推し進める必要がある、と言うコトも問いかけている様に思えるのだ。
朝日新聞の朝刊一面に、2040年までに若い女性(20歳~39歳)が896もの自治体で半減する、と言う記事が掲載されていた。
朝日新聞:若年女性、896自治体で人口半減、2040年までに
「若い女性」に限ったデータということで、「何故だろう?」と一瞬考えたのだが、この対象年齢というのは、仕事だけではなく出産、子育ての年齢でもある。
この世代の人口が減るということは、個人のライフスタイル云々ではなくこれまで以上に少子化が一気に進むと言うことだ。
これまでも「少子化対策」として、様々な政策が出されてきたがその効果は「・・・???」という状況にある。
しばらく前には、「出生目標」という案もあった。
さすがに「政府が、出生目標を設けることで少子化を防ぐ」という考えには、反対が多いようだが、今の状態では「少子化」と言う問題だけではなく、地域のコミュニティーどころか自治体そのものが消滅する可能性がある。
そしてこの傾向は、この記事にもある様に現在の過疎地域だけに止まらない。
大阪の寝屋川市のような、ある程度の都市規模を持っている自治体ですら、消滅の危機がある、と言う予測統計になっている。
これまでの「少子化」という問題で語られることが多かったコトは、年金や医療費などの「社会保障」という点と、労働人口の減少、そして労働人口の減少による税収の減少だった。
その視点で論じられる時、何故か「男性目線」で語られ過ぎていた様な気がする。
その結果の一つが上述した「出生目標」なのだと感じている。
女性の中には、「だったら、それを言い始めた『オジサン』が子どもを産んで、育ててよ!」と言う気持ちの方もいらっしゃったのではないだろうか?
この様なデータが出る度に不思議になるのだが、政府の政策を作る人達は何故、今の出産・子育て女性の声を聞かないのだろう?と言うコトだ。
「女性の声を聞く」といっても、聞く女性は東京の大手企業勤務とか公務員というケースが多く、消滅が予想される自治体の女性達の声を聞いているとは思えない。
その様なコトの積み重ねが、多くの女性が感じている様々な不安や不満を施策に結びつけることができない理由となっているのではないだろうか?
「自治体消滅」と言うのは、「日本」が持っている様々なポテンシャルを失うと言うコトだと思う。
この様なデータを基に、政府や自治体がどれだけ「今の20代~30代女性」の声を、聞き取るコトができるのか?
そこが重要なポイントだと思う。
夕方、百貨店の地下=デパ地下を歩いていたら、なかなか洒落たパッケージのお茶を見かけた。
株式会社ジャティックス:遥香
プラスチックの容器には水だけが入っており、お茶はキャップ内にカプセル状で入っていて、キャップをひねると、粉末のお茶が落ちてきて振ることでお茶として飲める、と言うもの。
実は、この様な形状のペットボトル飲料は伊藤園さんが、AEONとの共同企画商品として発売をしている。
伊藤園×AEON:振っておいしい!静岡茶
この商品自体、AEONとの共同企画商品だったため全国的には知られていないのかも知れないが、アイディアとしては面白い商品だったと思う。
何より「お茶の香りも味もしっかり楽しめる」と言う点では、手軽に美味しいお茶を飲みたい!と言う人には向いていた商品だったと思う。
ただ問題は、どうしても粉末のお茶が飲み残しとなりやすいコトや飲む度に振る必要がある、と言う点を除けば・・・と言う話だ。
その「ふって美味しい!静岡茶」と機能と目的は、同じ商品。
ただ、パッケージがとてもシンプルで美しい。
一見化粧品かと見間違いそうになる程。
確かに、同系列の東京の百貨店で人気になりそうなパッケージだ。
そう考えると「パッケージの美しさも味の内」ということになる。
ただ残念だな~と思ったのは、抹茶については福岡の八女茶ではなく地元の西尾の抹茶を使ってもらいたかった。
福岡の八女茶というのは、埼玉の狭山茶などとならぶ「ブランド茶」だ。
と言ってもこれはいわゆる「煎茶」でのこと。
抹茶に関して言うなら実は西尾市は全国の抹茶生産の20~30%を占める、生産地。
使っている純水が、伊吹山系の水ということなら取水した水に近い産地のお茶のほうが、より楽しめるのでは?と思ったのだ。
純水なのだから、取水地は関係ないかも知れないが、せっかく素敵なパッケージなのだから、そこまでこだわって欲しかった。
それにしても。200㎖入りで500円(税込)というのは、ギフト向きの商品だな~と感じた。
そのためか?立ち寄る人の姿が少なかったのも残念だった。