日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

選挙演説は「ことば」を聞こう

2015-04-06 18:53:04 | 徒然

せっかく桜が満開になった週末。
残念ながら、名古屋はお花見日和とはならず。
久しぶりの「読書日和」として、過ごした。
その中で、元外務省分析官であった佐藤優さんとフリージャーナリストの池上彰さんが対談をされた「希望の資本論」を読んだ。
本の内容については、さまざまなとらえ方や考え方があると思うので、感想を述べるということは控えさせていただくが、いくつか気になった点があった。
その中の一つが、「ことば」を聞くというコトだった。
もちろん、本の中に「ことばを聞く」という記述はなく、「なるほど、ここにポイントがあるのか!」と個人的に感じた点だ。

本の中に「女性と資本主義」という内容の章がある。
その中に昨年安倍総理が、盛んに言っていた「あることば」を取り上げていたのだ。
そのことばとは「(女性の)活用」。
池上さんも佐藤さんもこの「活用」ということばから、「女性を人としてではなく、物として考えているのでは?」という指摘をされていたのだ。
なるほど、安倍さんが盛んに「女性の活用」ということばを言っていた時、なんとなく「嫌な感」があった。
確かに「活用する」といったとき、物やサービスを活用することはあっても、人を活用することはない。
安倍さんの頭の中にある「女性」は「物」だったのだ。
さすがに、しばらくしてから「活用」ではなく、「活躍」という言葉を使うようになったが、安倍さん自身は「女性は活用する物」という思考を持っている、ということには変わりない。

ちょうど今、地方統一選挙まっただ中。
1/5の立候補者は、無投票で当選することが決まっているようだが、残り4/5の立候補者は、「議員」という椅子を目指している。
とすれば、4/5の立候補者の話を聞くとき、「話」ではなく「ことば」に注意をしたほうが、その立候補者の「思考」がわかるのでは?という気がしたのだ。

例えば、私の地区で立候補している方の該当演説を聞いたとき、妙に引っかかる言葉があった。
それは「エリートを育てる」ということばだった。
「エリート」というのは、「選ばれた人」 である。
「選ばれなかった人(この場合は、子どもたち)」は、どうでも良いのか?という、疑問がわいてくる。
おそらく立候補者は「優秀な子どもを育てる」と、言いたかったのかもしれない。
しかし実際、口にしてしまった言葉は「エリートを育てる」だった。
そんなことばを口にする人が、いくら「子育て支援をします」といっても、「本音は違うんじゃない?」ということも考えられる。

街頭演説のような場では、あらかじめ「原稿」ができているので、なかなか「本音」というか、その人の「思考を図ることば」は出にくいかもしれない。
それでも、フッとしたときに「引っかかることば」を言う立候補者がいたら、その「ことば」をチェックしてみたほうがよいかもしれない。 
特に「耳障りの良い公約」を話している時は、注意するポイントだと思う。 


無用なサービス向上が、サービス低下を招く?

2015-04-04 22:28:47 | アラカルト

「お客様は、神様です」といったのは、国民的歌手であった三波春夫さんだった。
この「お客様は、神様です」という言葉は、その後サービス業を中心に「お客様と接する心得」のような言葉として扱われるだけではなく、ユーザーから要求される無用というかわがままな要求に対しても使わるようになった。

そして最近思うことなのだが、このユーザーから求められる無用なサービスが、実は、サービスを低下させているのでは?というコトだ。
昨年話題というか問題になった、24時間営業の牛丼店での深夜勤務。
確かに、一人深夜勤務というのはさまざまな意味でリスクがあり、そもそも深夜営業をしていてどれだけ採算が取れるのだろう?という疑問を持っていた。
今年に入り、「人材の確保ができた」 という理由で再開されたようだが、この深夜営業を担当していた従業員の言葉がとても印象的で、覚えている。
その言葉とは「確かに、深夜の一人勤務は大変なのだが、それよりも大変なのは必要以上のサービスを求めてくる客の対応であった」という趣旨の言葉だ。

考えてみれば、日本のサービスというのは本当にきめ細かい。
「お客様は神様」という言葉通り、ユーザーの意見を取り入れ、サービスの充実を図ってきた。
ところが最近、そのサービスそのものが過剰ではないか?という気がするときがある。
特に、人の手が加わるサービスにして、自分のわがままを通そうとする生活者が増えているように感じる。
携帯電話の普及で「すべての人がいつも携帯電話で通話できる」と思い込んでいる人などは、分かり易い例かもしれない。
実際、宅配などのサービス部門で仕事をしている知人に話を聞くと、宅配や食品のデリバリーサービスなどは、車やバイクの運転中であれば携帯電話に出ることはできない。
しかし、電話をかけてくる側はそんな状況であるコトがわからないにしても、少し時間を空けて再度電話をするという発想がないらくし、「自分の電話に出ないのは、怪しからん!」とクレームをつけられるコトが、間々としてあるという。
そのようなコトが繰り返されると、仕事に従事する人そのものが嫌気をさし、辞めていく。
実際、宅配業者などは慢性的な人手不足だといわれている。
結果として、今いる人たちにこれまで以上の負荷がかかり、より一層サービスそのものが低下する、という「サービス低下スパイラル」の状況に陥ってしまうのだ。

「そんなこと知ったことではない。私には関係ない」というコトなのかもしれないが、その「私には関係のない=私のいうことは聞いてもらって当然」という感覚は、単なるユーザーのわがままでしかなく、その要求が他のユーザーに迷惑をかけている、という想像力というか、以前は当たり前にあった「他者との関係の想像力」の低下が、過剰なサービス提供となり、結果として「サービスの質の低下」を招いている、というコトにユーザー側(=生活者側)も、気づく必要があるように思うのだ。
そしてそのような「他者と自分の関係(=世間と自分の関係)」というは、少なくとも大学進学や就職などで、親元を離れる 高校卒業までに身に着けておく必要がある、感覚なのではないだろうか?

市場というのは、企業側だけで創れるものではない。
しかし、ユーザー側だけでも創れるものでもない。
企業とユーザーが一緒になって、初めて市場は創られていくのだ。
ユーザーにも「市場を創る」コトで生まれる、メリットとは何か?というコトを考える時代になってきているように思うのだ。
 


近くて遠い地方選

2015-04-03 20:48:12 | 徒然

今日から、統一地方選がスタートした。
その前から、立候補を予定している人たちが街頭で演説をしたりしていたので、「やはりこの人が立候補したのだな」という程度の印象で、なんとなく選挙というか公約そのものに興味をひかれるところがない。

いくつかの理由を考えると・・・。
1、地方議員さんの日頃の活動がわからない
2.おそらく、一番身近な議員さんなのだが、一番遠くにいるような印象がある
3.選挙演説の内容が、地方選挙と結びつかない
という理由があるのでは?という気がした。

1と2に関しては、関連する内容で、新聞や市の広報誌などで「議員活動」をある程度知るコトができるのだが、それでも「日頃はどんなコトをしているのだろう?」というコトが、わからないのだ。
ずいぶん前、実は毎週のように駅近くの交差点の歩道に立ち、活動報告をされていた市議さんがいらっしゃったのだが、その方くらいでいったいどんな活動をしているのか、あまり知られていないような気がする。
もちろん、新人立候補の方もいらっしゃるので、活動報告ができる立候補者とは限らないのだが、それにしても地方議員さんの日頃の活動がよくわからない。
よくわからないだけではなく、昨年発覚した「号泣地方議員」さんのような例もある。
先月には朝日新聞が、地方議員の政務活動費の使い方のような記事を掲載していた。
その中には、高機能の電子レンジや洋服を着せるトルソー(=オーダーメードのテーラー店などのショーウィンドーにある顔のないマネキン)を公費から出していた。
高機能電子レンジを購入した理由もなかなかで、「事務の女性が高齢でお茶を出すため、安全にお湯を早く沸かすために購入した」と回答をしていて、「電気ポットのほうが少量のお湯を沸かすのには早くて安全だと思うのだが・・・」と、新聞を読みながらツッコミそうになった。
トルソーに至っては、趣味で購入したものを政務活動費として計上した、という回答であったが、トルソーそのものを趣味で使うという方は、洋裁が趣味でそれなりの腕がある人くらい。
言い訳にしても、ずいぶん苦しい言い訳をするのだな~という印象が残った。

もちろん、このような議員さんは少ないと思うのだが、地方議員というのは本来一番身近な議員さんのはずなのに、なぜか遠い存在になってしまっているような気がする。
遠い存在になってしまっている理由の一つが、おそらく3の「選挙演説の内容が、地方選挙と結びつかない」という点だろう。
自民党の地方議員さんたちが「アベノミクスを強力に推し進める」といっても、「アベノミクス」の中心は都市部と大企業向けの政策。
地方の中小企業対策などは、ほとんど語られてこなかった。
この統一選挙直前になって「地方の再生」とか「日本の元気は地方から」のような言葉が、目立つようになってきたが、昨年暮れまではそのような言葉など一切なかった。
いうなれば、その場の言葉でしかないのだ。
何も自民党に限らず、どの政党も同じようなもの。
政治の中心はあくまでも国で、地方はそれに従う、という印象しか持てなくなっているように感じている。

それは地方議員さんだけの責任ではないと思う。
「近くて遠い地方議員」という意識から選挙を始めると、今のような所属している政党の全国向けの公約の焼き直しではない、言葉が出てくるような気がしているし、その言葉が選挙民の意識を変えるような気がする。

 


木材の輸出が増えている?

2015-04-02 21:36:02 | ビジネス

しばらく前、FM番組を聞いていたら「日本の木材の輸出量が増えている」という話があった。
一瞬わが耳を疑ったのだが、それは本当の話だった。
林野庁の外郭団体(?)・一般社団法人日本木材輸出振興会が発表しているデータなどを見ると、中国や韓国、台湾向けの木材がこのところ伸びているのだ。
日本木材輸出振興協議会:中国の市場 韓国の市場
 
私を含め「日本の木材は海外からの輸入木材に押され、日本の林業は風前の灯」だと、思い込んでいると思う。 
実際、国内需要を見込んで植林された国内の森林は、安価な輸入木材によって林業に従事する人が激減し、山は荒れ果てている、とずっと言われてきたように思う。
しかし、今やアジアの富裕層が自分の家の内装用に求めているのは、なんと日本の木材なのだ。
なぜ、「日本の木材が国内で使われにくくなったのか?」というコトを考えると、私たちの中で「木造家屋」という範疇でしか、考えていなかったからではないか?という気がしてきたのだ。

確かに、日本の木造建築のような木材の使われ方と、今の中国や韓国での日本の木材の使われ方は、大きく違う。
中国や韓国は、あくまでも「内装用」として、日本の木材を輸入しているのだ。
そう考えると、今の日本の住宅事情などを考えると、もっと積極的に日本の木材を使うチャンスがあるのでは?という、気がしたのだ。
というのも、ここ数年我が家近辺で建てられる戸建て住宅は「重量鉄骨」の骨組みが多く、マンションなどは当然のことながら重量鉄骨を組み上げて建てられている。
実際の木材を使う意味が、以前と大きく変わってきているというコトなのだ。
内装を国内の木材を利用する、となればまっすぐ伸びた「大黒柱」や立派な一本の木で作られた梁などは、必要ない。
防音という点での難点はあるが、内装として使うとなれば「吸音」の優れた木材のほうが有利かもしれない。

何より、なぜ中国や韓国が日本の木材を輸入するのか?という点を考える必要があると思う。
中国の高級マンションの建築ラッシュという話は、ずいぶん前から聞いている。
そのバブルがいつはじけるのか?という懸念があるコトも知っている。
ただ今の状況は、中国国内の木材不足というだけではなく、日本の木材の質の良さという点でも、輸入される理由となっているらしいのだ。
おそらく「JAPAN BRAND」という、日本のさまざまな製品の質の高さのイメージが、木材も同様だと考えられている部分もあるとは考えるのだが、そんな身びいきの部分を差し引いても、日本の木材輸出が増えている、という点を考え直す必要があるのでは?と、考える。

これをきっかけに、日本の林業そのものが回復するチャンスとなるかもしれないのだから。