一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

実力制名人は名乗れるか

2009-06-10 01:23:29 | 将棋雑考
6月10日は、米長邦雄日本将棋連盟会長のお誕生日。おめでとうございます。

以下の文章は、私の不確かな記憶も交じっているので、読者の皆さまは読まれないほうがいいと思う。でも読むんでしょ?
日本将棋連盟の昇段規定にはあいまいなところがあって、ときどきマイナーチェンジをする。最近では竜王戦の昇段規定が改定され、飛び段規定もできた。
順位戦での昇段もしかり。順位戦で「昇級昇段」といえば、いままでは4月1日付だった。それがいつからか、「昇級昇段が確定したその日」から、昇段することになった。これは女流名人位戦にも当てはまる。たとえば中村桃子女流2級や山口恵梨子女流2級が予選決勝で勝ってB級リーグ入りしたときも、その対局日が昇級日だった。
本題はこれから。
升田幸三九段が昭和54年に現役を引退されてから数年が経ち、昭和63年、日本将棋連盟は、升田九段の功績を讃えて、「名誉名人」の称号を与えようとした。しかし升田九段は、「時の名人に香を落として勝っとるモンが、なんで『名誉』なんていう余計なものが付いた称号をもらわなあかんのや」と拒否した。
困り果てた連盟は、「名人を2期以上取り、70歳に達した者(または故人)は、『実力制名人』の称号を名乗る」という規定を作った。
升田九段も連盟の「配慮」にしぶしぶ折れ、「勝手にせい」となり、これにより升田九段は、「実力制第4代名人」の肩書きとなった。
ちなみに「実力制」の初代は木村義雄14世名人(当時は故人)、2代は塚田正夫名誉十段(当時は故人)、3代は大山康晴15世名人(当時は現役)であった。このとき中原誠16世名人も、「5代」として確定したと思う。
ところが先日、日本将棋連盟のHPをなにげなく見ていると、「実力制名人」の規定が、「名人を3期以上取るか、それに準ずる規定をあげた者」に変わっていたのだ(実は現在、これが記載されていたサイトがどうしても見つからない)。
そもそも「実力制名人」云々は、升田九段のためにできた規定である。だから一旦称号を授けてしまえば、ハードルを上げても構わないわけだ。それにしても連盟も、えげつないことをする。
現在の現役棋士で、永世名人有資格者を除き、名人位を2期保持しているのは、佐藤康光九段と丸山忠久九段である。
佐藤九段は竜王経験者だし、永世棋聖の有資格者である。これはこのさき名人を獲れなくても、実力制名人を名乗る資格がある。しかし丸山九段はどうか。名人2期のほかに、棋王1期では、このまま現役生活を終えてしまえば、「実力制名人」を名乗るにはちょっと厳しい。
丸山九段外しなのか? しかし妙だ。昭和59年に制定された勝星昇段や、フリークラスでの昇段制度など、ルールの改定は、棋士にとってつねに「甘いもの」であった。おかしい…と考えたとき、「あっ!」と思った。
逆ではないのか!? たとえ名人獲得が1期でも、ほかのタイトルを多数獲るなどした実績があれば、実力制名人を名乗ることができるのではないか?
そこで浮上してくるのが、名人1期の加藤一二三九段と、米長邦雄日本将棋連盟会長(永世棋聖)である。
加藤九段は来年の1月1日で70歳である。しかし現役バリバリであることと、C級1組に在籍している棋士に、「名人」を含んだ肩書きを名乗らせるかどうか。また7大タイトルになってから25年も経っているのに、加藤九段は名人以外のタイトルを7期「しか」取っていない。これは微妙な数字である。
いっぽうの米長会長はどうか。名人以外のタイトルは堂々の18期。名人は入ってなかったものの、一時は7大タイトルの過半数である四冠保持者となり、「世界一将棋が強い男」を標榜したこともあった。名人1期を補って余りある活躍である。これは十分に「実力制名人」を名乗れる資格がある。
4年後の70歳は、東京・将棋会館の老朽化で、建て直しの準備が進むころだろう。このとき、米長会長の肩書きが「永世棋聖」と「実力制第○代名人」とでは、かなり響きが違う。かつて千駄ヶ谷に将棋会館を建てる際、大山康晴棋聖が、現役なのに「15世名人」を名乗ったのと同じ理屈だ。
そこで私は考える。今回の称号規定改正は、米長会長のために書き換えられたものではなかったのか、と――。
加藤九段や谷川九段の存在もあるので、何代になるかは分からない。しかし米長会長に、「名人」の肩書きが付くとしたら、それは喜ばしいことだと思う。
4年後の自分を想像すると、いま以上に堕落した生活を送っているだろうから考えたくもないが、米長会長の肩書きがどうなっているか、興味はある。

妄想とは、こういうことを云うのである。
コメント (10)
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