19日の金曜サロン、昼は藤田麻衣子女流1級、夕方は船戸陽子女流二段の担当だった。
藤田女流1級との指導対局では惜敗を繰り返し、今日は1ヶ月ぶりのリベンジ、というところだが、実はこの日私は、旅行に出ているはずだった。とくに理由はないが、2ヶ月ぐらい前から、6月の第3週に旅行に行きたい、というイメージが湧き上がっていたからだ。
だがいろいろあって、旅行は後回しになった。その理由は、機会をみつけて後日書きたい。
さて、藤田女流1級との指導対局平手戦6局目の前に、角落ち戦1局を含む、過去の6局を振り返っておこう。
08年1月27日 角落 ○ 三間飛車
08年6月13日 平手 ● 四間飛車
09年2月27日 平手 ● 対急戦矢倉
09年3月27日 平手 ● 対ゴキゲン中飛車
09年4月17日 平手 ● 四間飛車
09年5月15日 平手 ● 四間飛車
大阪の1DAYトーナメントの中で教えていただいた角落ち戦は、終盤までこちらがうまく指していたが、終盤で決め損ね、そこを咎められていたら、めんどうな形勢になっていた。藤田女流1級は、この負けは仕方ない、と諦めていたに違いないが、実は藤田女流1級にも勝機があった。
2局目から東京駒込・金曜サロンで平手戦。四間飛車で挑んだが、△6五歩早仕掛けに受けを間違え、完敗。
3局目、ここから扇子サイン勝負になる。相矢倉を志向したが、藤田女流1級は急戦の構え。中盤の入り口で銀バサミの手筋が決まり優勢になったが、上手の無理攻めを受け損なって逆転負け。
4局目は対ゴキゲン中飛車。これも中盤の入り口で飛車銀交換の駒得になったが、簡単な決め手を逸し、最後はココセのような悪手を指して、詰まされた。
5局目は私の四間飛車に藤田女流1級は居飛車穴熊の作戦。それは許さじと向かい飛車に振り直し、仕掛ける。以下形勢は微妙に揺れるも、最後は自玉が不詰めなのに「投了」という大悪手を指して、4連敗。
そして先月の6局目は、私が再び四間飛車を採用。中盤でうまく捌いたかに見えたが、攻め急ぎがあり、敗勢に。終盤で藤田女流1級にポカが出るも、それを咎め損ねて、またも無念の負け。平手戦5連敗となった。
以上のように、互角に指してはいるのに、どうしても勝ち切れない。
平手戦だから何連敗しても一応言い訳はできるが、ほかの女流棋士とはほぼ互角に戦っているのだから、5連敗はないと思う。
植山悦行七段は、相性が悪いんだよ、と慰めてくれるが、それは指導対局で下手が用いる言葉ではない。とにかく勝ちを焦らず、落ちついて指すことを心がけた。
この日は早めに将棋会館を出て、駒込に向かう。会館道場であまりクタクタになると、対藤田戦に影響が出る。とはいえ、この日はすでに6局も指していた。
駒込サロンに着くと、ロビー前で植山七段が煙草を吹かしているので、一緒に入室する。
藤田女流1級の指導対局は、私のため?に1面が空けられていたので、すぐに対局に入ることになった。
この日の藤田女流1級は、夏用のLPSAブレザー?を着用していた。しかしその下に、ピンクのお召し物が見える。ワンピースだろうか。
まさか対藤田綾戦のエントリを読んで…いや、それはないだろう。偶然…だろう。
妙な考えを振りきり藤田女流1級のお顔を拝見すると、いつもよりメイクが決まっている。ちょ、ちょっといい感じである。藤田女流1級も気合十分と見た。望むところである。
将棋は、私が矢倉早囲いを志向したが、藤田女流1級はそうはさせじと、またも急戦でくる。こちらは先手番だし、普通に対処すれば、悪くなることはない。
中盤の入り口で、▲6四角と銀を取り、△同飛に▲7三歩成も考えたが、後の反撃が恐くて決行できなかった。
最近の私の女流棋士との将棋は、将棋を教えていただく、という概念が薄れ、あまり考えがまとまらないまま、乱暴な指し方をしてしまっている。朝の上田初美女流二段戦もそうだ。
だから、大駒を切っても十分と思いつつも、自重した。臆病風に吹かれたのではなく、冷静な判断をしたのだ。
私の周りにピリピリした空気が漂っていたのか、植山七段が、「一公さん、静かですねぇ」と、緊張をほぐしてくれる。私はいつも静かなのだが、こうした配慮がなんだか嬉しい。
それからは藤田女流1級の攻めが続いたが、丁寧に受ける。攻めが途絶えたところで、▲6四桂、と△7二の金取りに打つ手が入り、形勢の好転を感じた。
さらに1手すいたところで、私は角を切り、取った銀を2三に打ち、藤田陣に迫る。
ここで最終盤の部分図を記してみよう。
上手 藤田麻衣子女流1級:1一香、1四歩、2一桂、3一王、3四歩、4三歩、4四角、8一飛 持駒:角、銀、桂
下手 一公:2三金、2八飛、5二成桂 持駒:歩ばかり
ここで私は▲2二歩と打った。これは▲2一歩成△同王▲3三桂△3一王▲2二金、までの詰めろ。それを防いで、藤田女流1級は△2六桂と受けたが、構わず▲同飛と切り、△同角に▲2四桂と打って、上手は受けなしになった。
以下数手指し、ついに藤田女流1級が投了した。
平手での初対局から丸1年。ついにLPSAの最強棋士に勝利することができた。もちろん嬉しいには違いないが、ほっとした、というのが正直な気持ちだった。
藤田女流1級は、「仕掛けが早すぎましたね」と言った。
植山七段は、「今日はしっかり指してましたね」と、珍しく褒めてくれた。
指導対局である限り、下手はどの対局も一生懸命指すのが最低の礼儀だが、今回はあまり周りを見渡さず、とにかく眼前の一局に集中することだけを心がけた。こんな気持ちになったのは、初めてのサイン勝負をした島井咲緒里女流初段と、船戸陽子女流二段以来だった。
サロン会員のみんなも祝福の言葉をかけてくれた。夕方以降に入室した会員も、まず藤田女流1級と私との勝敗を聞いて、私の勝ちと聞くや、同様にお祝いの言葉をくれた。中には、
「ずっと藤田さんが勝ち続けてくれることを願ってたんだけどなぁ」
と憎まれ口を叩く会員もいたが、これも私への祝福の婉曲表現である。
正直、一女流棋士と一アマチュアの指導対局が、ごくごく一部の中にしろ、こんなに注目されているとは思わなかった。
また私は金曜サロンに通い始めてから1年3ヶ月になるが、こんなに温かい気持ちになったのは初めてだった。本当に将棋を続けていて良かったと思った。
最後は待望の「儀式」である。サインラリー用の扇子には、ほぼ真ん中の位置に、藤田女流1級のサインを戴いた。サイン勝負5局目にして、やっとの思いで得た宝。それは扇子の中央で、キラキラと光って見えた。
藤田女流1級との指導対局では惜敗を繰り返し、今日は1ヶ月ぶりのリベンジ、というところだが、実はこの日私は、旅行に出ているはずだった。とくに理由はないが、2ヶ月ぐらい前から、6月の第3週に旅行に行きたい、というイメージが湧き上がっていたからだ。
だがいろいろあって、旅行は後回しになった。その理由は、機会をみつけて後日書きたい。
さて、藤田女流1級との指導対局平手戦6局目の前に、角落ち戦1局を含む、過去の6局を振り返っておこう。
08年1月27日 角落 ○ 三間飛車
08年6月13日 平手 ● 四間飛車
09年2月27日 平手 ● 対急戦矢倉
09年3月27日 平手 ● 対ゴキゲン中飛車
09年4月17日 平手 ● 四間飛車
09年5月15日 平手 ● 四間飛車
大阪の1DAYトーナメントの中で教えていただいた角落ち戦は、終盤までこちらがうまく指していたが、終盤で決め損ね、そこを咎められていたら、めんどうな形勢になっていた。藤田女流1級は、この負けは仕方ない、と諦めていたに違いないが、実は藤田女流1級にも勝機があった。
2局目から東京駒込・金曜サロンで平手戦。四間飛車で挑んだが、△6五歩早仕掛けに受けを間違え、完敗。
3局目、ここから扇子サイン勝負になる。相矢倉を志向したが、藤田女流1級は急戦の構え。中盤の入り口で銀バサミの手筋が決まり優勢になったが、上手の無理攻めを受け損なって逆転負け。
4局目は対ゴキゲン中飛車。これも中盤の入り口で飛車銀交換の駒得になったが、簡単な決め手を逸し、最後はココセのような悪手を指して、詰まされた。
5局目は私の四間飛車に藤田女流1級は居飛車穴熊の作戦。それは許さじと向かい飛車に振り直し、仕掛ける。以下形勢は微妙に揺れるも、最後は自玉が不詰めなのに「投了」という大悪手を指して、4連敗。
そして先月の6局目は、私が再び四間飛車を採用。中盤でうまく捌いたかに見えたが、攻め急ぎがあり、敗勢に。終盤で藤田女流1級にポカが出るも、それを咎め損ねて、またも無念の負け。平手戦5連敗となった。
以上のように、互角に指してはいるのに、どうしても勝ち切れない。
平手戦だから何連敗しても一応言い訳はできるが、ほかの女流棋士とはほぼ互角に戦っているのだから、5連敗はないと思う。
植山悦行七段は、相性が悪いんだよ、と慰めてくれるが、それは指導対局で下手が用いる言葉ではない。とにかく勝ちを焦らず、落ちついて指すことを心がけた。
この日は早めに将棋会館を出て、駒込に向かう。会館道場であまりクタクタになると、対藤田戦に影響が出る。とはいえ、この日はすでに6局も指していた。
駒込サロンに着くと、ロビー前で植山七段が煙草を吹かしているので、一緒に入室する。
藤田女流1級の指導対局は、私のため?に1面が空けられていたので、すぐに対局に入ることになった。
この日の藤田女流1級は、夏用のLPSAブレザー?を着用していた。しかしその下に、ピンクのお召し物が見える。ワンピースだろうか。
まさか対藤田綾戦のエントリを読んで…いや、それはないだろう。偶然…だろう。
妙な考えを振りきり藤田女流1級のお顔を拝見すると、いつもよりメイクが決まっている。ちょ、ちょっといい感じである。藤田女流1級も気合十分と見た。望むところである。
将棋は、私が矢倉早囲いを志向したが、藤田女流1級はそうはさせじと、またも急戦でくる。こちらは先手番だし、普通に対処すれば、悪くなることはない。
中盤の入り口で、▲6四角と銀を取り、△同飛に▲7三歩成も考えたが、後の反撃が恐くて決行できなかった。
最近の私の女流棋士との将棋は、将棋を教えていただく、という概念が薄れ、あまり考えがまとまらないまま、乱暴な指し方をしてしまっている。朝の上田初美女流二段戦もそうだ。
だから、大駒を切っても十分と思いつつも、自重した。臆病風に吹かれたのではなく、冷静な判断をしたのだ。
私の周りにピリピリした空気が漂っていたのか、植山七段が、「一公さん、静かですねぇ」と、緊張をほぐしてくれる。私はいつも静かなのだが、こうした配慮がなんだか嬉しい。
それからは藤田女流1級の攻めが続いたが、丁寧に受ける。攻めが途絶えたところで、▲6四桂、と△7二の金取りに打つ手が入り、形勢の好転を感じた。
さらに1手すいたところで、私は角を切り、取った銀を2三に打ち、藤田陣に迫る。
ここで最終盤の部分図を記してみよう。
上手 藤田麻衣子女流1級:1一香、1四歩、2一桂、3一王、3四歩、4三歩、4四角、8一飛 持駒:角、銀、桂
下手 一公:2三金、2八飛、5二成桂 持駒:歩ばかり
ここで私は▲2二歩と打った。これは▲2一歩成△同王▲3三桂△3一王▲2二金、までの詰めろ。それを防いで、藤田女流1級は△2六桂と受けたが、構わず▲同飛と切り、△同角に▲2四桂と打って、上手は受けなしになった。
以下数手指し、ついに藤田女流1級が投了した。
平手での初対局から丸1年。ついにLPSAの最強棋士に勝利することができた。もちろん嬉しいには違いないが、ほっとした、というのが正直な気持ちだった。
藤田女流1級は、「仕掛けが早すぎましたね」と言った。
植山七段は、「今日はしっかり指してましたね」と、珍しく褒めてくれた。
指導対局である限り、下手はどの対局も一生懸命指すのが最低の礼儀だが、今回はあまり周りを見渡さず、とにかく眼前の一局に集中することだけを心がけた。こんな気持ちになったのは、初めてのサイン勝負をした島井咲緒里女流初段と、船戸陽子女流二段以来だった。
サロン会員のみんなも祝福の言葉をかけてくれた。夕方以降に入室した会員も、まず藤田女流1級と私との勝敗を聞いて、私の勝ちと聞くや、同様にお祝いの言葉をくれた。中には、
「ずっと藤田さんが勝ち続けてくれることを願ってたんだけどなぁ」
と憎まれ口を叩く会員もいたが、これも私への祝福の婉曲表現である。
正直、一女流棋士と一アマチュアの指導対局が、ごくごく一部の中にしろ、こんなに注目されているとは思わなかった。
また私は金曜サロンに通い始めてから1年3ヶ月になるが、こんなに温かい気持ちになったのは初めてだった。本当に将棋を続けていて良かったと思った。
最後は待望の「儀式」である。サインラリー用の扇子には、ほぼ真ん中の位置に、藤田女流1級のサインを戴いた。サイン勝負5局目にして、やっとの思いで得た宝。それは扇子の中央で、キラキラと光って見えた。