一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

村山聖九段からの挑戦状

2009-06-15 18:34:47 | 将棋雑考
金曜サロンの会員であるI氏が言うには、本日6月15日は、故・村山聖(さとし)九段の生誕日だそうだ。村山九段は1969(昭和44)年生まれ。1998(平成10)年8月8日、29歳で夭折。もし生きていれば、きょうで40歳になったわけだ。
「この棋士が長生きしていれば、将棋界の歴史が変わっただろう」というケースがある。1970(昭和45)年、36歳の若さで急逝した山田道美九段はその筆頭であろう。
村山九段もA級に昇級し、タイトル戦にも登場した俊英である。もし存命ならば、将棋界の勢力地図が変わっていたに違いない。
あれは村山九段が奨励会二段のときだったか、将棋専門誌に彼が紹介されたとき、少年らしからぬキリッとした面構えに、この男はタダモノではない、将来タイトルのひとつやふたつは獲るだろう、と唸った覚えがある。
プロ棋士にデビューしてからの、村山九段の活躍は記すまでもない。終盤の読みが正確で、「終盤は村山に聞け」と謳われたものだった。
惜しむらくは、村山九段は難病という爆弾を抱えていた。しかし村山九段は病をおして対局に全精力を傾けた。その情熱には、頭が下がる。
やがて病が進行し、入院。村山九段が昏睡状態に陥ったとき、うわ言で「2七銀…」と叫んだと聞く。村山九段の頭の中には、将棋しかなかったのだ。もっと将棋を指したかっただろう。心行くまで指したかっただろう。それを思えば、大事な将棋を負けても、引退しても、再び将棋が指せる私たちは、なんと幸せなことか。
そんな村山九段が亡くなって、来年で13回忌になる。時の経つことの早さをあらためて思う。そこでひとつ、夢のような提案がある。2010(平成22年)年8月8日、詰将棋作家有志に「追悼詰将棋」を競作してもらいたいのだ。
ただしこの詰将棋、ひとつ条件がある。最終手を「▲2七銀」にしてほしい。
▲2七銀が最終手ということは、入玉形の可能性もある。しかも小駒でのトドメ。むろん村山九段を納得させるような、芸術的な手順でなければならぬ。これ、簡単なようで、なかなか難しいと思う。
「あなたたちに、この詰将棋が創れますか?」
昏睡状態の中で、村山九段が詰将棋作家に突きつけた挑戦状。皆さんで受けてみませんか?
コメント (8)
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