一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

とちのきカップを見に行く(後編)

2009-06-19 01:38:35 | 観戦記
石橋女流王位-船戸女流二段の決勝戦は3時から始まる。対局室の観戦客はまたも10人たらず。最前列の左から2つめの席に空きがあったので着座したが、ここからは船戸二段の斜め後ろの姿しか見えない。しまった…こんなことなら2人の決勝戦にかける意気込みなど聞かずに、早く席取りをしておくのだった…。
まあいい。石橋女流王位のキリッとした対局姿も絵になる。盤上の駒の動きも見えるし、観戦に没頭することにした。
石橋女流王位の先手で対局開始。宣言どおり▲5六歩。ここで船戸女流二段は△5四歩と指した。石橋女流王位の初手は分かっている。後手番になったら…と用意した作戦だろうか。しかし3手目▲7六歩に、早くも船戸女流二段の動きが止まった。
船戸女流二段は早指しを得意としているが、序盤のなんでもない局面で、突如考えることがある。2月に新宿で指導対局を受けたときも、4手目で長考?されたことがあり、まあこちらはその間ボーッと船戸女流二段に見とれていたから構わないが、このときは後々までの構想を練っていたのであろう。
本局では△5二飛と指した。石橋女流王位の作戦を逆手にとったのだ。なるほど、長考するだけの価値はある手だ。
対して石橋女流王位は、準決勝での非難?に懲りてか、やはり中飛車に構え、変則的な相中飛車となった。
20畳の和室にこの1局だけ。床の間には大山康晴15世名人書「夢」の一幅が掛けられている。盤と駒はタイトル戦でも使われた逸品と聞いた。いやが上にも緊張感が高まってくる。それは公式戦の決勝と何ら変わらない。
船戸女流二段が高い駒音で着手する。NHK杯などを見ていると、駒音を立てないでソッと指す棋士がいるが、あれは気合に欠ける。これだけ厚みのある、いい盤である。いい駒音を響かせてこそ、盤も喜ぶというものだ。
私は昨年の同カップでは、松尾香織女流初段を優勝に推した。しかし決勝で北尾女流初段に敗れている。今年こそは優勝予想が当たってほしいと思いつつ、将棋を観戦する。
石橋女流王位-盤面-船戸女流二段の背中、の順に視線を回すが、そのあと船戸女流二段のおしりに目がいってしまう。どうもいけない。これではただの変質者ではないか。
私は場を中座し、大ホールの解説室に入った。
解説は片上大輔六段と、中倉宏美女流二段のコンビである。片上六段の解説は論理的で勉強になる。中倉女流二段の聞き手もよい。横顔も相変わらず素敵だ。
解説では、ここで△4六歩と突きだす手が検討されていた。これは私の第一感でもあった。しかし船戸女流二段は、ガツンと△4六銀。すこし船戸女流二段が気負っているように感じた。
中倉女流二段が、おふたりのどちらかに優勝予想をした人を聞く。
「船戸女流二段を予想した人は…」に、恐る恐る手を挙げると、中倉女流二段が私を見て、「あ、そうなんだ…」という顔をしたように見えた。
この2日前の、金曜サロン夕方の部が中倉女流二段の担当で、そのとき私は、「とちのきカップ、がんばってください!!」と激励の言葉を投げていたのだ。
なんだか「私に優勝予想を入れてくれてると思ったのに…」と非難された気もして、ちょっと居心地が悪くなる。
局面は、石橋女流王位に急所の▲6二歩が入って、先手が面白くなったようだ。船戸女流二段も飛車を取り返すが、駒不足は否めない。これは百戦錬磨の石橋女流王位が逃さない気がした。
私は解説者が入れ替わるのを機に、再び対局室へ入る。席は先ほどと同じところが空いていて、そこにしぶしぶ正座する。
局面は、船戸女流二段が盛り返していた。しかし石橋女流王位はこの緊迫した場面で、将棋を指すのが楽しそうに見えた。うっすらと、笑みさえこぼれている。指し手に自信が漲っている。
船戸女流二段も姿勢よく、時おり指を動かして読みを確認する。しかし「ああ…」「うん」とつぶやく声はすこし苦しげだ。やはりこの将棋、最終的には石橋女流王位が勝つ、と確信した。船戸女流二段の投了を告げる声は聞きたくないが、ここまできたら最後まで見届けるのがエチケットであろう。
果たして局面は徐々に形勢が開き、素人目にも石橋女流王位の勝勢が分かった。これは逆転できる類の将棋ではない。最後は石橋女流王位が船戸玉を鮮やかに詰め上げ、見事優勝を飾ったのだった。船戸女流二段の赤紫の扇子は、最後まで開くことはなかった。
感想戦は大ホール解説室で行われた。中盤で形勢を損ねてからは船戸女流二段に勝ちがないと思っていたが、終盤のギリギリまで逆転の筋はあったようだ。しかし最終的には石橋女流王位が勝つ将棋だったと思う。また、そう思わせるところが、強さの証でもある。
だが表彰式では、石橋女流王位が馴れたスピーチで観戦の御礼を述べたあと、「勝てたのは指運でした」と言った。敗者へのいたわりが感じられた。
準優勝の船戸女流二段の瞳は、すこしうるんでいた。中盤まで優勢だったのに、それを勝ち切れなかった悔しさ。しかしそれ以上に、自分を応援してくれた人に申し訳ない、という心の痛みがあったのだと思う。この人にはそういう優しさがある。
他人からの応援なんてどうでもいい、いらない、という棋士もいっぱいいると思う。形ばかりの応援なんか無視して、ひたすら将棋に専念するほうが、確かに勝率もいいかもしれない。しかし、自分を応援してくれる人の期待に応えたい、と頑張る棋士を、私は支持する。
帰りの東武電車に乗ると、ついに雨が降ってきた。雨男の私としては、この時間までよくもってくれたと思う。この雨は、船戸女流二段の悔し涙だったのか。それとも北尾女流初段の、別れの涙だったのだろうか。
来年またあの場所で、とちのきカップが行われるかどうかは、分からない。
コメント (3)
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