5日(金)のLPSA芝浦サロンは、中倉宏美女流二段の担当だった。芝浦サロンの指導対局は事前予約制なので、午後3時半の回に入れておく。
前週は「将棋ペン倶楽部」原稿執筆のためサロンを休んだが、では原稿を書けたのかと言えばそうではなく、1文字も書けなかった。気楽に書けるブログとは違い、印刷物として永遠に残る媒体への執筆は、筆が重たいものなのだ。
原稿〆切は先月末だったが、慣例で若干のロスタイムがある。しかしそれも1週間が限度だ。4日夜の時点でワープロに書いたのは数行。5日に芝浦へ向かうまでに、原稿をメール送信してしまいたい。
5日は午前中から、寝不足の頭でノートパソコンに向かった。この日の女流棋士スーパーサロンは珍しく安食総子女流初段(代打)が担当で、ぜひ指導をいただきたかったのだが、かくのごとくで予約を取れない。女流棋士との指導対局より、原稿料の出ない媒体への投稿に注力するところが、私らしい。
七転八倒の末、原稿を書き上げたが、推敲をする時間がない。そのまま、将棋ペンクラブ宛へ送信した。
LPSA芝浦サロンへは、3時10分ごろ入室した。U氏、Sug夫氏とほぼ同時の入室だったが、指導対局はTod氏が対局しているのみだった。すでに対局を終えた会員もいたが、ちょっとさびしい光景であった。
3時半から指導対局開始。この回は4面指しだ。将棋は私には珍しい、持久戦となった。途中、島井咲緒里女流初段が入室する。事務所とは隣り合わせの部屋だから、仕事中の女流棋士が時折顔を見せることがあるのだ。
「あっ、島井先生!!」
私が目を輝かせて叫んだら、中倉女流二段がキッと私を睨んだ気がした。
「あ、いやいやいやいや…だって中倉先生、(私の右にいる会員と)仲よく感想戦してるんですもん」
と私がしどろもどろになると、(咲緒里ちゃんに目がいっちゃうんだ…)とばかり、中倉女流二段がいたずらっぽい顔で笑った。
指導対局が終わり、6時の回の指導対局になる。この回も4面指し。いつも予約を入れないで来るW氏は、この回に入った。そのほかに新規のお客様が1名いるが、あとは旧金曜サロンの会員ばかりだった。芝浦に移転してから1ヶ月、いまだに顔を見せていない旧会員もいるから、これはお客の総数が減っていることを意味する。
石橋幸緒代表理事がちょくちょく顔を見せてくれ、そのたびに、お客に挨拶をして回る。なんだか恐縮してしまう。
時刻は7時半を過ぎ、最後の回になったが、7時半に予約を入れていたKun氏は、6時の対局者が空いた時点で指導対局に入っていた。これで7時半の回に余裕ができたわけだが、この「チャンス」を最大限に活用したのがW氏だった。
中倉女流二段との指導対局では和気藹藹とした雰囲気で、「オッホホホ」という中倉女流二段の笑い声がたびたび聞こえた。いったいどんなジョークを言えば、あれだけ中倉女流二段を爆笑させることができるのだろう。しかも7時半が過ぎているのに、まだ対局中である。W氏は早指しではないが、わざと長引かせているのではないか、と勘繰ってしまう。こちらは会員と将棋を指しているから様子を見に行くこともできず、どうにもおもしろくなかった。
私の対局が終わったが、中倉女流二段とW氏との将棋も終わり、感想戦は序盤の定跡講座みたいなことになっていた。もちろんマン・ツー・マンである。傍から見ていてやっぱりおもしろくなかったので、適当にチャチャを入れて感想戦を終わらせ、私も含めたしばしの雑談タイムに入った。
まあ雑談だからここでその内容を書いても意味がないが、いくつか記すと、「NHK将棋講座」の表紙になっている中倉彰子女流初段の話題になった。まあ、中倉女流初段はキレイだ、ということだ。
中倉女流二段に私の年齢を訊かれたので答えると、「若いですネ」と言われた。若い、と言われても現実は変わらないから、これは虚しい。
高校生の制服姿の話になり、中倉女流二段の制服(セーラー服)姿はどうか、という話題も上ったが、2010年現在の姿までギリギリ耐えられる、という結論に達した。それより宏美女流二段は「ANA」、彰子女流初段は「JAL」の制服が似合う、というのが私の主張であった。
さらに中倉女流二段は私のブログをいまだに読んでくれているそうで、数々の暴言にハラハラしていることも教えてくれた。読者とはありがたいものである。
放課後は会員有志と「サイゼリヤ」に行った。ここはJRの線路を跨いで行かなければならず、不便極まりない。今回は最短ルートを探したがそれが裏目に出て、かえって時間をロスしてしまった。
いまさら駒込サロンを懐かしんでも詮無いが、9時すぎまで熱い将棋を指し、「ジョナサン」で深夜12時まで将棋談議をするという2部構成は、本当にうまいシステムだったと思う。芝浦サロンでは、それがスムーズに機能していないのが悩みである。
前週は「将棋ペン倶楽部」原稿執筆のためサロンを休んだが、では原稿を書けたのかと言えばそうではなく、1文字も書けなかった。気楽に書けるブログとは違い、印刷物として永遠に残る媒体への執筆は、筆が重たいものなのだ。
原稿〆切は先月末だったが、慣例で若干のロスタイムがある。しかしそれも1週間が限度だ。4日夜の時点でワープロに書いたのは数行。5日に芝浦へ向かうまでに、原稿をメール送信してしまいたい。
5日は午前中から、寝不足の頭でノートパソコンに向かった。この日の女流棋士スーパーサロンは珍しく安食総子女流初段(代打)が担当で、ぜひ指導をいただきたかったのだが、かくのごとくで予約を取れない。女流棋士との指導対局より、原稿料の出ない媒体への投稿に注力するところが、私らしい。
七転八倒の末、原稿を書き上げたが、推敲をする時間がない。そのまま、将棋ペンクラブ宛へ送信した。
LPSA芝浦サロンへは、3時10分ごろ入室した。U氏、Sug夫氏とほぼ同時の入室だったが、指導対局はTod氏が対局しているのみだった。すでに対局を終えた会員もいたが、ちょっとさびしい光景であった。
3時半から指導対局開始。この回は4面指しだ。将棋は私には珍しい、持久戦となった。途中、島井咲緒里女流初段が入室する。事務所とは隣り合わせの部屋だから、仕事中の女流棋士が時折顔を見せることがあるのだ。
「あっ、島井先生!!」
私が目を輝かせて叫んだら、中倉女流二段がキッと私を睨んだ気がした。
「あ、いやいやいやいや…だって中倉先生、(私の右にいる会員と)仲よく感想戦してるんですもん」
と私がしどろもどろになると、(咲緒里ちゃんに目がいっちゃうんだ…)とばかり、中倉女流二段がいたずらっぽい顔で笑った。
指導対局が終わり、6時の回の指導対局になる。この回も4面指し。いつも予約を入れないで来るW氏は、この回に入った。そのほかに新規のお客様が1名いるが、あとは旧金曜サロンの会員ばかりだった。芝浦に移転してから1ヶ月、いまだに顔を見せていない旧会員もいるから、これはお客の総数が減っていることを意味する。
石橋幸緒代表理事がちょくちょく顔を見せてくれ、そのたびに、お客に挨拶をして回る。なんだか恐縮してしまう。
時刻は7時半を過ぎ、最後の回になったが、7時半に予約を入れていたKun氏は、6時の対局者が空いた時点で指導対局に入っていた。これで7時半の回に余裕ができたわけだが、この「チャンス」を最大限に活用したのがW氏だった。
中倉女流二段との指導対局では和気藹藹とした雰囲気で、「オッホホホ」という中倉女流二段の笑い声がたびたび聞こえた。いったいどんなジョークを言えば、あれだけ中倉女流二段を爆笑させることができるのだろう。しかも7時半が過ぎているのに、まだ対局中である。W氏は早指しではないが、わざと長引かせているのではないか、と勘繰ってしまう。こちらは会員と将棋を指しているから様子を見に行くこともできず、どうにもおもしろくなかった。
私の対局が終わったが、中倉女流二段とW氏との将棋も終わり、感想戦は序盤の定跡講座みたいなことになっていた。もちろんマン・ツー・マンである。傍から見ていてやっぱりおもしろくなかったので、適当にチャチャを入れて感想戦を終わらせ、私も含めたしばしの雑談タイムに入った。
まあ雑談だからここでその内容を書いても意味がないが、いくつか記すと、「NHK将棋講座」の表紙になっている中倉彰子女流初段の話題になった。まあ、中倉女流初段はキレイだ、ということだ。
中倉女流二段に私の年齢を訊かれたので答えると、「若いですネ」と言われた。若い、と言われても現実は変わらないから、これは虚しい。
高校生の制服姿の話になり、中倉女流二段の制服(セーラー服)姿はどうか、という話題も上ったが、2010年現在の姿までギリギリ耐えられる、という結論に達した。それより宏美女流二段は「ANA」、彰子女流初段は「JAL」の制服が似合う、というのが私の主張であった。
さらに中倉女流二段は私のブログをいまだに読んでくれているそうで、数々の暴言にハラハラしていることも教えてくれた。読者とはありがたいものである。
放課後は会員有志と「サイゼリヤ」に行った。ここはJRの線路を跨いで行かなければならず、不便極まりない。今回は最短ルートを探したがそれが裏目に出て、かえって時間をロスしてしまった。
いまさら駒込サロンを懐かしんでも詮無いが、9時すぎまで熱い将棋を指し、「ジョナサン」で深夜12時まで将棋談議をするという2部構成は、本当にうまいシステムだったと思う。芝浦サロンでは、それがスムーズに機能していないのが悩みである。