食堂に入ると、午後5時45分。まだ対局は続いていた。しかし夕食は6時からなので、キリのいいところで終わりにする。植山悦行七段に、Akiちゃんとの将棋の行方を訊かれたので、
「負けましたよ。横歩取り☖4五角で、Akiちゃんはこの変化を知らないと思ったから指したのに、全部知ってて、吹っ飛ばされました」
と言ったら、
「上手がそんな姑息な手を使って負かされちゃあ…」
と、ゲラゲラ笑われた。まったくそのとおりで、返す言葉がない。
中井広恵女流六段は、夕食はかなりのボリュームがあると言った。宿泊費があまりに安いため(1,500円)、少しでも山荘の売り上げに貢献できればと、通常の夕食(800円)ではなく、特別メニュー(1,500円)を注文したらしい。これも「和」を重んじる中井女流六段らしい配慮だった。
食堂棟中央に食事が運ばれ、私たちはそちらへ移動する。豚肉(鍋)、刺し身、グラタン、サラダ、小鉢など、バランスが取れたメニューである。ご飯とみそ汁はセルフサービス。何だかユースホステルに来たみたいだ。
それぞれにビールとジュースが注がれ、乾杯。
みんなでおしゃべりしながら食べる食事は美味しい。
Hak氏が、行きのクルマの中で話していた探偵小説の話を暴露する。2時間ドラマにした場合、午後9時54分からの入浴シーンは誰がいいか、という話になった。あの重厚なストーリーは、安っぽい2時間ドラマより映画のほうが相応しいと思うのだが、入浴シーンを挿れるとすれば、やはりフナトヨーコしかいないだろう。
彼女の名前は私が最初に出したわけではないが、全員の証言を総合すれば、たぶん私の発言になってしまうのだろう。しかし私も私で、
「ナカクラヒロミもいいと思いますよ。でも彼女は山荘というより、和風旅館の露天風呂かなあ」
とうっかり口を滑らせ、またもや変態のレッテルを貼られてしまったのだった。
夕食のおかずはかなりあり、全部を平らげたときはお腹いっぱいになった。向かいに座っているY氏がグラタンを丸々残したので、意地汚く戴いたが、全部は食べきれなかった。それほど夕食のボリュームがあったということだ。でもとても美味しかった。ごちそうさまでした。
腹もくちてぶらぶらしていると、植山七段に大局観問題のうちの1問の答えを訊かれる。
「☗3五歩にしたんですけど…違いますか」
「お、正解」
「あ、そうですか。☗3五歩☖同歩に☗3六歩☖同歩☗同金と出て、あとは7八の飛車を4八に回る構想で…」
「うん、これはボクと大野クン(八一雄七段)との将棋なんだけど、大野クンは☗5五歩と言ってたなあ」
心の兄弟子・植山七段の指し手が当たって、まずはホッとした。蛇足ながら、私の心の師匠は真部一男九段、心の女師匠は藤田麻衣子さん、心の姉弟子は松尾香織女流初段である。船戸陽子女流二段はどこにも絡んでいないので、念のため。
夕食後は、当然将棋である。宿にテレビはなく、外は闇。必然的に将棋を指すしかないのだが、みんなそれが楽しいのである。私たちは再び先ほどの対局スペースに戻る。今回の合宿で私は、LPSA駒込サロンや芝浦サロンであまり指せない人と指すことを心掛けた。その中のひとり、Kaz氏と指すことになった。
Kaz氏とは昨年の11月28日、蕨市の将棋大会で顔を合わせたが、終盤で私が相手玉の7手詰を見落とし、逆転負けを食らった苦い経験がある。そのあと3局指したが、いずれも負け。社団戦で指した通算4局目の将棋は、最後の最後でこちらに勝ち筋があったらしいが、まったく読みに入っていなかった。Kaz氏には総じて読み負けている印象で、この辺で勝たないと、棋力が違うと言われそうだ。
将棋は後手番Kaz氏の一手損角換わり。私は棒銀で攻めたが、後手が居玉なのでいまひとつ響きが薄く、苦戦を意識しながら指していた。
終盤の入口で優勢になったと思いきや、後手玉が意外に広く、容易でない。
この将棋も負けたか…と観念した刹那、Kaz氏に早逃げのココセが出た。私が☗2二竜と引いた手が、☖7二玉と☖2九馬の両取り。これは私の勝ちになった。
感想戦では、☖7二玉で☖4七馬と引く手がよしとされた。これが☖6九馬☗8八玉☖8七馬☗同玉☖9五桂以下の詰めろになっている。それを受けても一手一手で、この変化は私が負けていた。
将棋は勝てば何でも嬉しいというわけではなく、納得がいかない勝局もある。この一局がまさにそうで、何かモヤモヤしたものが残った。
実戦が一段落すると、まず、詰将棋トライアルで優秀な成績を収めたHak氏が盛大な拍手を受けた。問題兼解答用紙も全員に返却され、続いて大局観問題の解答&解説が行われることになった。
大盤までは用意していなかったはずだが…と見ていると、食堂の黒板をガラガラと移動し、そこに持参したビニール製の盤を磁石で留め、大判駒を張り付けた。こんなものまで用意していたのかと、私は大いに感心した。
中井女流六段を中心とした講義が始まった。アマ有段者には、この大局観講義がいちばん身になるのではなかろうか。
私は6問正解だった。間違えた2問は、ひとつが終盤の寄せあいで、ひとつが中盤の難所だった。前者は玉の早逃げ(☗9七玉)が正解。私は攻めに行って間違えたのだが、序・中盤ならともかく、一手違いの終盤戦は、正解がひとつしかない。考慮時間がなかったこともあるが、ここは正解しなければならなかった。
そして後者はまったく指し手が分からず、とりあえず解答を記入したが、当然間違えていた。正解は、遊んでいる銀をじっと上がる手(☗3六銀)。言われてみれば味わい深く、なるほど、と唸った。
ちなみに米長邦雄永世棋聖著「米長の将棋2・居飛車対振飛車・下」(毎日コミュニケーションズ発行)に収録されている田中魁秀七段との将棋では、米長九段が遊んでいる☖3五銀を、☖4四銀と引く手が出てくる。この手について解説が割かれているので、引用しよう。
「ここで攻めても、駒を渡すだけで効果がない。盤上を見わたすと、3五銀が遊んでいる。これを働かせなければ勝てない、いや勝負にならないと判断した。
4四銀、これがプロの粘り方である」
この将棋は当時の観戦記で見た覚えがあり、本のほうではあまり読まなかった。しかしその中に、将棋を指す上での重要な心得が記されてあったのだ。この一節をしっかり頭に叩きこんでいたら、上の大局観問題も正解に達していたかもしれない。
さらにいえば、植山七段の「☗3五歩」も、「米長の将棋1」で、米長九段が大山康晴十五世名人を相手に、「☗7五歩☖同歩☗7六歩☖同歩☗同金」という手を指しており、この記憶が私を正解に導かせたのだった。ともかく「米長の将棋」シリーズは、不朽の名著である。
やや話が逸れたが、「☗3六銀」は正解者がひとりだけで、Kun氏だった。実力者のKun氏、さすがである。
それにしても、中井女流六段、植山七段、大野七段は、詰将棋24問と大局観問題8問を、わざわざ用意してきてくれたのだ。今回の合宿参加費の中にその作業が含まれているかは知らぬが、かなりのサービスであったことはたしかである。ありがたいことだと、改めて思った。
ところで食堂の利用は8時までらしく、宿の人からマキが入ってしまった。
大局観。将棋の考え方。ここを中井女流六段はチカラを入れて教えたかったのだが、全体的に駆け足の解説になってしまったのは、残念だった。
8時を15分近く回ったところで、解説は終了。風呂に入ってなかった人はこれから急いで入浴。私は宿泊棟へ向かった。ところがこの宿泊棟で、深夜の3時半まで将棋を指すことになろうとは、予想もしていなかった。
(つづく)
「負けましたよ。横歩取り☖4五角で、Akiちゃんはこの変化を知らないと思ったから指したのに、全部知ってて、吹っ飛ばされました」
と言ったら、
「上手がそんな姑息な手を使って負かされちゃあ…」
と、ゲラゲラ笑われた。まったくそのとおりで、返す言葉がない。
中井広恵女流六段は、夕食はかなりのボリュームがあると言った。宿泊費があまりに安いため(1,500円)、少しでも山荘の売り上げに貢献できればと、通常の夕食(800円)ではなく、特別メニュー(1,500円)を注文したらしい。これも「和」を重んじる中井女流六段らしい配慮だった。
食堂棟中央に食事が運ばれ、私たちはそちらへ移動する。豚肉(鍋)、刺し身、グラタン、サラダ、小鉢など、バランスが取れたメニューである。ご飯とみそ汁はセルフサービス。何だかユースホステルに来たみたいだ。
それぞれにビールとジュースが注がれ、乾杯。
みんなでおしゃべりしながら食べる食事は美味しい。
Hak氏が、行きのクルマの中で話していた探偵小説の話を暴露する。2時間ドラマにした場合、午後9時54分からの入浴シーンは誰がいいか、という話になった。あの重厚なストーリーは、安っぽい2時間ドラマより映画のほうが相応しいと思うのだが、入浴シーンを挿れるとすれば、やはりフナトヨーコしかいないだろう。
彼女の名前は私が最初に出したわけではないが、全員の証言を総合すれば、たぶん私の発言になってしまうのだろう。しかし私も私で、
「ナカクラヒロミもいいと思いますよ。でも彼女は山荘というより、和風旅館の露天風呂かなあ」
とうっかり口を滑らせ、またもや変態のレッテルを貼られてしまったのだった。
夕食のおかずはかなりあり、全部を平らげたときはお腹いっぱいになった。向かいに座っているY氏がグラタンを丸々残したので、意地汚く戴いたが、全部は食べきれなかった。それほど夕食のボリュームがあったということだ。でもとても美味しかった。ごちそうさまでした。
腹もくちてぶらぶらしていると、植山七段に大局観問題のうちの1問の答えを訊かれる。
「☗3五歩にしたんですけど…違いますか」
「お、正解」
「あ、そうですか。☗3五歩☖同歩に☗3六歩☖同歩☗同金と出て、あとは7八の飛車を4八に回る構想で…」
「うん、これはボクと大野クン(八一雄七段)との将棋なんだけど、大野クンは☗5五歩と言ってたなあ」
心の兄弟子・植山七段の指し手が当たって、まずはホッとした。蛇足ながら、私の心の師匠は真部一男九段、心の女師匠は藤田麻衣子さん、心の姉弟子は松尾香織女流初段である。船戸陽子女流二段はどこにも絡んでいないので、念のため。
夕食後は、当然将棋である。宿にテレビはなく、外は闇。必然的に将棋を指すしかないのだが、みんなそれが楽しいのである。私たちは再び先ほどの対局スペースに戻る。今回の合宿で私は、LPSA駒込サロンや芝浦サロンであまり指せない人と指すことを心掛けた。その中のひとり、Kaz氏と指すことになった。
Kaz氏とは昨年の11月28日、蕨市の将棋大会で顔を合わせたが、終盤で私が相手玉の7手詰を見落とし、逆転負けを食らった苦い経験がある。そのあと3局指したが、いずれも負け。社団戦で指した通算4局目の将棋は、最後の最後でこちらに勝ち筋があったらしいが、まったく読みに入っていなかった。Kaz氏には総じて読み負けている印象で、この辺で勝たないと、棋力が違うと言われそうだ。
将棋は後手番Kaz氏の一手損角換わり。私は棒銀で攻めたが、後手が居玉なのでいまひとつ響きが薄く、苦戦を意識しながら指していた。
終盤の入口で優勢になったと思いきや、後手玉が意外に広く、容易でない。
この将棋も負けたか…と観念した刹那、Kaz氏に早逃げのココセが出た。私が☗2二竜と引いた手が、☖7二玉と☖2九馬の両取り。これは私の勝ちになった。
感想戦では、☖7二玉で☖4七馬と引く手がよしとされた。これが☖6九馬☗8八玉☖8七馬☗同玉☖9五桂以下の詰めろになっている。それを受けても一手一手で、この変化は私が負けていた。
将棋は勝てば何でも嬉しいというわけではなく、納得がいかない勝局もある。この一局がまさにそうで、何かモヤモヤしたものが残った。
実戦が一段落すると、まず、詰将棋トライアルで優秀な成績を収めたHak氏が盛大な拍手を受けた。問題兼解答用紙も全員に返却され、続いて大局観問題の解答&解説が行われることになった。
大盤までは用意していなかったはずだが…と見ていると、食堂の黒板をガラガラと移動し、そこに持参したビニール製の盤を磁石で留め、大判駒を張り付けた。こんなものまで用意していたのかと、私は大いに感心した。
中井女流六段を中心とした講義が始まった。アマ有段者には、この大局観講義がいちばん身になるのではなかろうか。
私は6問正解だった。間違えた2問は、ひとつが終盤の寄せあいで、ひとつが中盤の難所だった。前者は玉の早逃げ(☗9七玉)が正解。私は攻めに行って間違えたのだが、序・中盤ならともかく、一手違いの終盤戦は、正解がひとつしかない。考慮時間がなかったこともあるが、ここは正解しなければならなかった。
そして後者はまったく指し手が分からず、とりあえず解答を記入したが、当然間違えていた。正解は、遊んでいる銀をじっと上がる手(☗3六銀)。言われてみれば味わい深く、なるほど、と唸った。
ちなみに米長邦雄永世棋聖著「米長の将棋2・居飛車対振飛車・下」(毎日コミュニケーションズ発行)に収録されている田中魁秀七段との将棋では、米長九段が遊んでいる☖3五銀を、☖4四銀と引く手が出てくる。この手について解説が割かれているので、引用しよう。
「ここで攻めても、駒を渡すだけで効果がない。盤上を見わたすと、3五銀が遊んでいる。これを働かせなければ勝てない、いや勝負にならないと判断した。
4四銀、これがプロの粘り方である」
この将棋は当時の観戦記で見た覚えがあり、本のほうではあまり読まなかった。しかしその中に、将棋を指す上での重要な心得が記されてあったのだ。この一節をしっかり頭に叩きこんでいたら、上の大局観問題も正解に達していたかもしれない。
さらにいえば、植山七段の「☗3五歩」も、「米長の将棋1」で、米長九段が大山康晴十五世名人を相手に、「☗7五歩☖同歩☗7六歩☖同歩☗同金」という手を指しており、この記憶が私を正解に導かせたのだった。ともかく「米長の将棋」シリーズは、不朽の名著である。
やや話が逸れたが、「☗3六銀」は正解者がひとりだけで、Kun氏だった。実力者のKun氏、さすがである。
それにしても、中井女流六段、植山七段、大野七段は、詰将棋24問と大局観問題8問を、わざわざ用意してきてくれたのだ。今回の合宿参加費の中にその作業が含まれているかは知らぬが、かなりのサービスであったことはたしかである。ありがたいことだと、改めて思った。
ところで食堂の利用は8時までらしく、宿の人からマキが入ってしまった。
大局観。将棋の考え方。ここを中井女流六段はチカラを入れて教えたかったのだが、全体的に駆け足の解説になってしまったのは、残念だった。
8時を15分近く回ったところで、解説は終了。風呂に入ってなかった人はこれから急いで入浴。私は宿泊棟へ向かった。ところがこの宿泊棟で、深夜の3時半まで将棋を指すことになろうとは、予想もしていなかった。
(つづく)