一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

信濃わらび山荘将棋合宿(第4話)・指導対局の思いやり

2010-11-11 01:00:40 | 将棋イベント
将棋盤と駒を宿泊棟に運び入れる。将棋を指す場所は内部中央にあるラウンジになるが、床に厚さ一寸半の将棋盤を置くのはちょっと厳しい。備え付けのヒーターが稼動し暖房は入っているが、少し肌寒い。灯りも薄暗い。
どうするかと思案していると、各部屋に木の机と椅子(2脚)が備えられていたので、これをラウンジに持ち出した。私たちは7部屋中5部屋の使用なので、将棋盤は5面分しか置けない。
そこで、空室の机と椅子も使わせてもらおう、という話になり、私は管理人さんにお願いに行った。返事はOK。これで7脚の机と14脚の椅子が揃った。部屋には丸椅子も置いてあったので、これも出す。椅子のほうはどうにか確保できた。
しかしそれでも10面の将棋盤は置けないので、私たちは机と机を等間隔に拡げて空間を作り、そこに将棋盤をまたがせるように置いた。最初はいびつに見えたが、横から眺めると、盤は手前から奥まで整然と置かれていて、なかなかいい雰囲気になった。案じていた灯りも、将棋盤が高い位置に載ったことで、それほど暗さを感じなくなった。
風呂からあがった会員らも、「ほお」と感嘆の声を上げる。中井広恵女流六段、植山悦行七段、大野八一雄七段もいらした。男性棋士はまあアレだが、中井女流六段は、い…いいカンジであった。
2人そろえば声を掛けあい、そこここで将棋が始まった。基本的にチェスクロック使用で、持ち時間は15分ないし20分、秒読みは30秒である。
私もY氏やR氏と対戦した。Y氏とは、私の香落ち。優位に進めていたが、終盤☖3九銀、と打ったところで私の時間切れになってしまった。すでに30秒将棋だったのに、隣の感想戦をのんびり見ていたのがマズかった。局面は☖5九馬がいて、持駒は角、金。以下の仮想手順は☗3九同玉☖4八金☗2八玉☖3九角☗1八玉☖3八金☗1七銀☖2八銀まで必死。なんでもないタダの対局だからよかったものの、これがリーグ戦やトーナメン戦だったら、全身の血が逆流しているところだった。
R氏は序、中盤の構想が秀逸だった。ただ、R氏は受けにやや雑なところがある。終盤、私が☖5七歩成とと金を作ったが、ここは歩成を防いで☗5八歩と受けるところ。玉の近くに無条件でと金を作らせては、絶対にいけない。
Y氏とR氏との対局の間だったと思うが、植山七段、大野七段にも指導対局を受けた。植山七段とのそれは、1対1。しかし植山七段に駒を落とす気配がないので、
「あの…駒を落としていただけるとありがたいです」
と申し出た。
「え? どっち引くの? 角? 飛車?」
「あ、では角で」
「大沢さんと角じゃ厳しいなあ…」
と意味不明の会話になる。プロの七段がアマチュアに駒を引くことを渋るとは、訳が分からない。ましてや植山七段は駒落ち名人である。アマと平手で指してラクして勝とうという考えは許されないのだ。
対局開始。私はふだんどおりに指しているつもりが、1対1の対局、しかも早指し戦だから、固くなって手が伸びない。ところが植山七段は、
「しょうがないなァ」「チッ」「誘われてるよなあ」「ウ~ン」
とボヤキながら攻めてくる。
何が不満なんだかよく分からないが、植山七段は受けの棋風で、下手の攻めをいなして勝つのが得意なのだが、私がヘッポコな手を連発して自陣に隙を作ってしまったものだから、やむを得ず攻めた、ということらしかった。
攻められれば私に駒が入る。私が☗7六桂と☖8四飛取りに打った手に、植山七段は飛車を逃げず別の手を指す。私はありがたく飛車を入手し、これでボロ負けはなくなったと思った。
さらに下手☗3五角、上手☖4二金☖5二金、の配置で私は☗5三歩と打ったが、これも植山七段は素直に☖同金上と取る。
最後の場面を記すと、☗4一金☗6一飛・持駒が銀…、☖2二銀☖2三歩☖3二王☖3三歩☖4三歩☖5三金・持駒が角、金…、の局面で、☗6二飛成☖5二金打☗5三竜☖4一王☗3二金、まで私の勝ちとなった。
表面的には私の快勝だったが、私はこれがプロの本当の力でないことは知っている。事実、このちょうど1年前の7月30日、私はLPSA駒込サロンにて植山七段に角落ちで教えていただいたのだが、手も足も出ず完敗した。そのとき植山七段は
「六分の力で指した」
と言ったのだ。つまり本局は、植山七段が巧妙に指し手を緩めてくれたのだ。
少しでも本気を出していれば、先の☗7六桂は飛車が9四に逃げていたかもしれないし、☗5三歩にもじっと☖5一金と引いて、後の角切りを防ぐこともできた。植山七段には、将棋合宿だから下手にいい手を指してもらおう、の配慮があったと思う。
続けて大野七段の指導を受ける。これも角落ち。前回は同じ手合いでこちらが優勢となったのだが、決め手を逸して受け潰された。本局、同じ轍は踏むまいと気合を入れて臨んだが、この将棋は自陣の歩が六段目に並んだまま攻めることができず、上手からは7~9筋から先手先手で殺到され、軽く吹っ飛ばされた。これがプロの実力、アマの実力であった。
感想戦は初手から行われた。私が
「(私の歩が並んでいるけど)どこから攻めていいのか分かりませんでした」
とうなだれたからだろう。
大野七段は、
「ここで大沢さんは☗3八飛と寄りましたよねえ。だけど単なる歩交換に終わりました。じゃあどの筋に振ればよかったですか?」
「…ああ!! ☗4八飛!」
「そうです」
「そうですよねえ! ☗4八飛から歩交換をすれば、☗4六銀から☗3七桂と、どんどん攻める手ができます!!」
私が目を輝かせてそう言うと、大野七段はニコッと笑って、感想戦はそこで終了した。アッサリしているようだが、大沢クンならこのアドバイスだけで、あとはもういいでしょう、という意味があった。
気がつけば、会員のほとんどが将棋を指していた。人が集まればラウンジの温度も上がり、寒さも気にならなくなっていた。ヒーターの前の赤煉瓦の上には、大矢順正氏がデーンと座って酒をチビチビやっている。みなが将棋を指す光景を肴に酒を飲む。これが大矢氏の至福の時間なのだろう。
せっかくの機会なので、私もお話を拝聴した。以前山田史生氏にお話を伺ったときもそうだったが、観戦記者を生業としている方からは、ふだんは聞けない話が聞けて、とてもおもしろい。今回も実に勉強になった。
Is氏が「マッカラン」を持ってくる。これ、下手をすると私が1~2ヶ月あとに、松尾香織女流初段にプレゼントしなければならない代物だ。ただしIs氏のそれは12年物で、リーズナブルである。私は酒は飲めないが、ストレートで一口だけいただく。十分いい香りだ。Is氏によると、「12年」は、3,000円台で買えるという。ああ、松尾女流初段には12年物で十分だ。そう思うと、急に気分が軽くなった。
黙々と、粛々と対局が進んでゆく。夜空の星が綺麗らしく、眺めに行く人もいる。私は沖縄の夜空を毎年堪能しているので、ヤセ我慢をして、見に行かない。
大矢氏の隣にはTat氏がどっかり根を下ろして、赤ら顔でおしゃべりをしている。まさかこの組み合わせが出現するとは思わなかった。
そのTat氏は酒が入ると饒舌になるのだが、残念ながら話にキレがない。酔ったとき、いかに面白い話で笑いを取れるかが、彼の今後の課題であろう。
もう日付が変わり、みなは徐々に床に就く。とくにドライバーは帰りの運転もあるから、将棋もほどほどにしなければならないのがつらい。
その点私は気楽なものだが、それでも気がつけば、午前3時になっていた。対局はY氏とUe氏が指しているのみである。そろそろオレも寝るか…と宿泊部屋に入ろうとしたら、Kaz氏から、
「将棋を指しましょう」
と声を掛けられた。
(つづく)
コメント (2)
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