きょう11月16日は、日本将棋連盟女流棋士会所属・上田初美女流二段の誕生日。おめでとうございます。
平成20年1月、大阪で開催されたLPSA・1dayトーナメントで藤田麻衣子女流1級から角落ちで指導対局を受け、その年の3月からLPSA駒込サロンに通い始めた私は、数ヶ月後には女流棋士に平手で指導を受けるようになっていた。
これは私の棋力が上がったわけではなく、たまたま角落ちでの勝率がよかったので、香落ちに手合いを変えて指していたところ、
「香落ちだったら平手で指してもいいんじゃない?」
という植山悦行手合い係のアドバイスにしたがったことによる。よって当初から私は、女流棋士と平手で指せる棋力はあったようだ(ただし多面指しに限る)。以来、平手での対局は202局に上った。
最多対局は、やはりというか当然というか、船戸陽子女流二段との30局。ほかに角落ちが1局、香落ちが6局あり、合計37局にも上っている。LPSAが芝浦に移ってからまだ1ヶ月半しか経っていないが、そこでもすでに8局指導を受けている。
ちょっと脱線した。この全202局、いまも記憶に残る会心の一手がある。
以前もチラッと書いたことがあるが、それは平成21年5月22日(金)、女流棋士スーパーサロンで、上田初美女流二段との将棋で指したものだ。
このときの模様は同年5月24日にアップしていて、「80余局にのぼる女流棋士との指導対局の中では、3指に入る名局だったと自負している」と書いている。
さらに同年7月23日のアップ分では、「女流棋士との指導対局100局の中で、会心の一手」に、やはりそのときの一手を挙げている。そしてその末尾には、女流棋士会から棋譜公開の承認を得られないと思うので、その手の披露は無理だろう、という旨の記述がなされている。
しかしきょうは上田女流二段の誕生日であり、冒頭でお祝いも述べた。また最近私は、再び女流棋士スーパーサロンに通い始めてもいるので、ここでその一手を紹介してしまおう。
では例によって駒の配置を記す。
上手・上田女流二段:1二香、1三歩、1九竜、2一桂、2四歩、5四歩、6三歩、7一金、7三歩、8一桂、8二王、8三歩、9一香、9四歩 持駒:角2、金、銀、香
下手・一公:1六歩、3七桂、3九歩、4八銀、5六歩、5八玉、6一竜、6七歩、7六歩、8七歩、9六歩、9九香 持駒:金2、銀2、桂、歩4
上手・上田女流二段の四間飛車に、私が左☗4六銀から急戦に出た。中盤から突然駒の取り合いになり、私の☗6一同飛成に上田女流二段が☖7一金とハジイた局面である。
指導対局は(女流)棋士がお客からおカネを貰って指しているので、言葉はわるいが接待のようなものである。棋士側には「指導対局だから勝敗にはこだわっていません」という大前提があり、本気は出していない。
しかし本局、この局面に限っては、上田女流二段は勝ちを確信していたと思う。
すなわち☖7一金の局面で、☗2一竜と逃げるのは一手の価値がなく下手勝てない。また☗5二竜と王手をしても、手順に☖6二金打と固められて、これもダメ。
では下手負けかと思いきや、パッと閃いた手があった。
☗9三銀!!
上田女流二段が戻るとこの銀が置いてあり、「おおーっ!!」と声を挙げた。
この局面、とにかく竜が逃げていては勝てない。何か王に迫る手はないか、と考えていたとき、端に駒を捨てる手が浮かんだ。
これを「次の一手」として出題されれば、慣れた人なら☗9三銀は一目であろう。しかしこれを指導対局という緊張状態の中で、1分ほどの考慮時間で発見したことに価値があるのだ。
実戦は以下、☖9三同王☗8五桂☖8二王☗9三金☖同香☗7三桂成☖同王☗7一竜☖6四王☗6五金☖5三王☗5一竜☖4四王☗4五銀、まで85手で私の勝ちとなった。
☗9三金から☗7三桂成も自慢の手順。感想戦では、☖9三同王に代えて☖同香、☖6四王に代えて☖7二合を検討したが、いずれも上手王は寄っていた。いま並べてみても奇跡的な手順で、現在より1年前のほうが強かったのではないかと錯覚する。
上田女流二段との指導対局は、この将棋で止めておけば、私の「1戦全勝・勝率10割」だったのだが、昨年はその後も3局、今年も2局教えていただき、いずれも敗れてしまった。すぐにメッキが剥がれたようで、この勝ちはやはり、マグレだったのだ。
1勝5敗――。こんな成績では、もう駒を引いていただくしかないのだが、LPSA女流棋士とはみな平手なので、そうもいかない。けれど次に上田女流二段に指導いただくときは、ちょっと悩みそうである。
平成20年1月、大阪で開催されたLPSA・1dayトーナメントで藤田麻衣子女流1級から角落ちで指導対局を受け、その年の3月からLPSA駒込サロンに通い始めた私は、数ヶ月後には女流棋士に平手で指導を受けるようになっていた。
これは私の棋力が上がったわけではなく、たまたま角落ちでの勝率がよかったので、香落ちに手合いを変えて指していたところ、
「香落ちだったら平手で指してもいいんじゃない?」
という植山悦行手合い係のアドバイスにしたがったことによる。よって当初から私は、女流棋士と平手で指せる棋力はあったようだ(ただし多面指しに限る)。以来、平手での対局は202局に上った。
最多対局は、やはりというか当然というか、船戸陽子女流二段との30局。ほかに角落ちが1局、香落ちが6局あり、合計37局にも上っている。LPSAが芝浦に移ってからまだ1ヶ月半しか経っていないが、そこでもすでに8局指導を受けている。
ちょっと脱線した。この全202局、いまも記憶に残る会心の一手がある。
以前もチラッと書いたことがあるが、それは平成21年5月22日(金)、女流棋士スーパーサロンで、上田初美女流二段との将棋で指したものだ。
このときの模様は同年5月24日にアップしていて、「80余局にのぼる女流棋士との指導対局の中では、3指に入る名局だったと自負している」と書いている。
さらに同年7月23日のアップ分では、「女流棋士との指導対局100局の中で、会心の一手」に、やはりそのときの一手を挙げている。そしてその末尾には、女流棋士会から棋譜公開の承認を得られないと思うので、その手の披露は無理だろう、という旨の記述がなされている。
しかしきょうは上田女流二段の誕生日であり、冒頭でお祝いも述べた。また最近私は、再び女流棋士スーパーサロンに通い始めてもいるので、ここでその一手を紹介してしまおう。
では例によって駒の配置を記す。
上手・上田女流二段:1二香、1三歩、1九竜、2一桂、2四歩、5四歩、6三歩、7一金、7三歩、8一桂、8二王、8三歩、9一香、9四歩 持駒:角2、金、銀、香
下手・一公:1六歩、3七桂、3九歩、4八銀、5六歩、5八玉、6一竜、6七歩、7六歩、8七歩、9六歩、9九香 持駒:金2、銀2、桂、歩4
上手・上田女流二段の四間飛車に、私が左☗4六銀から急戦に出た。中盤から突然駒の取り合いになり、私の☗6一同飛成に上田女流二段が☖7一金とハジイた局面である。
指導対局は(女流)棋士がお客からおカネを貰って指しているので、言葉はわるいが接待のようなものである。棋士側には「指導対局だから勝敗にはこだわっていません」という大前提があり、本気は出していない。
しかし本局、この局面に限っては、上田女流二段は勝ちを確信していたと思う。
すなわち☖7一金の局面で、☗2一竜と逃げるのは一手の価値がなく下手勝てない。また☗5二竜と王手をしても、手順に☖6二金打と固められて、これもダメ。
では下手負けかと思いきや、パッと閃いた手があった。
☗9三銀!!
上田女流二段が戻るとこの銀が置いてあり、「おおーっ!!」と声を挙げた。
この局面、とにかく竜が逃げていては勝てない。何か王に迫る手はないか、と考えていたとき、端に駒を捨てる手が浮かんだ。
これを「次の一手」として出題されれば、慣れた人なら☗9三銀は一目であろう。しかしこれを指導対局という緊張状態の中で、1分ほどの考慮時間で発見したことに価値があるのだ。
実戦は以下、☖9三同王☗8五桂☖8二王☗9三金☖同香☗7三桂成☖同王☗7一竜☖6四王☗6五金☖5三王☗5一竜☖4四王☗4五銀、まで85手で私の勝ちとなった。
☗9三金から☗7三桂成も自慢の手順。感想戦では、☖9三同王に代えて☖同香、☖6四王に代えて☖7二合を検討したが、いずれも上手王は寄っていた。いま並べてみても奇跡的な手順で、現在より1年前のほうが強かったのではないかと錯覚する。
上田女流二段との指導対局は、この将棋で止めておけば、私の「1戦全勝・勝率10割」だったのだが、昨年はその後も3局、今年も2局教えていただき、いずれも敗れてしまった。すぐにメッキが剥がれたようで、この勝ちはやはり、マグレだったのだ。
1勝5敗――。こんな成績では、もう駒を引いていただくしかないのだが、LPSA女流棋士とはみな平手なので、そうもいかない。けれど次に上田女流二段に指導いただくときは、ちょっと悩みそうである。