19日深夜は、風呂に入っていたら眩暈がしたので、風呂から上がったらすぐ床についた。しかし気分が悪くてしばらく寝付けなかった。突然死とは、こんな時に起こるのかと思った。
戻って18日の深夜は寝付けず、午前3時ごろまで起きていた。それで19日は職安に行き、1社申し込んだものの、会社側から「できれば40代前半までの人が望ましい」との要望を伝えられ、申し込みは控えた。こんなケースは初めてで、ショックだった。
こういう時はロクな夢を見ない。20日未明に見た夢を記しておく。
舞台は「相棒」で、アパートの住人がいなくなったという報を受けたらしい。
杉下右京と冠城亘はボロアパートに出向く。そこはモスグリーンを主調とした造りだった。
2人は部屋を順繰りに回ったが、あまり人がいない。その中に、右京の情報屋の部屋もあった。彼は大平武洋六段のイメージだった。
部屋に彼はおらず、室内はゴミ屋敷のごとく、各種資料が散乱していた。これは強盗が入ったからではなく、ふだんからこんな感じだったようだ。
右京らは部屋を後にしたが、亘が「右京さん、もう一度部屋を調べさせてください」と言うので取って返して調べると、ひっくり返ったちゃぶ台の表面に、「こいつらはマジで恐ろしい。オレは9日にさらわれた」というメッセージが書かれてあった。
以降の内容は憶えていない。胃液がせり上がってきて、私は目が覚めた。
何でこんな夢を見たかといえば、昼の件もそうだったが、19日夜にフジテレビで始まった坂上忍の番組も一因だと思う。1979年に起こった銀行強盗の事件をやったのだが、この再現フィルムがリアルで恐ろしくて、それが脳裏に残ったからだと思う。
8時半に起床したが、やはり眩暈がする。完全に、精神と肉体がやられている。それで、しっかり働いている社会人にはまことに申し訳ないが、朝食を摂ったあと、私は再び横になった。しかし、この罪悪感は何であろう。まったく、やってることが人間のクズである。
熟睡はしなかったが、安静にしていると、いくらか体調はよくなった。でも、また胃液がせり上がってきて、今度は口から出てしまった。
胃のほうは昨年5月に胃カメラを飲んで異状なしだったからまだ大丈夫だと思うが、精密検査をすれば、どこかに異状があるような気がする。
戻って18日の深夜は寝付けず、午前3時ごろまで起きていた。それで19日は職安に行き、1社申し込んだものの、会社側から「できれば40代前半までの人が望ましい」との要望を伝えられ、申し込みは控えた。こんなケースは初めてで、ショックだった。
こういう時はロクな夢を見ない。20日未明に見た夢を記しておく。
舞台は「相棒」で、アパートの住人がいなくなったという報を受けたらしい。
杉下右京と冠城亘はボロアパートに出向く。そこはモスグリーンを主調とした造りだった。
2人は部屋を順繰りに回ったが、あまり人がいない。その中に、右京の情報屋の部屋もあった。彼は大平武洋六段のイメージだった。
部屋に彼はおらず、室内はゴミ屋敷のごとく、各種資料が散乱していた。これは強盗が入ったからではなく、ふだんからこんな感じだったようだ。
右京らは部屋を後にしたが、亘が「右京さん、もう一度部屋を調べさせてください」と言うので取って返して調べると、ひっくり返ったちゃぶ台の表面に、「こいつらはマジで恐ろしい。オレは9日にさらわれた」というメッセージが書かれてあった。
以降の内容は憶えていない。胃液がせり上がってきて、私は目が覚めた。
何でこんな夢を見たかといえば、昼の件もそうだったが、19日夜にフジテレビで始まった坂上忍の番組も一因だと思う。1979年に起こった銀行強盗の事件をやったのだが、この再現フィルムがリアルで恐ろしくて、それが脳裏に残ったからだと思う。
8時半に起床したが、やはり眩暈がする。完全に、精神と肉体がやられている。それで、しっかり働いている社会人にはまことに申し訳ないが、朝食を摂ったあと、私は再び横になった。しかし、この罪悪感は何であろう。まったく、やってることが人間のクズである。
熟睡はしなかったが、安静にしていると、いくらか体調はよくなった。でも、また胃液がせり上がってきて、今度は口から出てしまった。
胃のほうは昨年5月に胃カメラを飲んで異状なしだったからまだ大丈夫だと思うが、精密検査をすれば、どこかに異状があるような気がする。