5月31日放送のNHK杯アーカイブスは、第38回大会準決勝第1局・谷川浩司名人VS羽生善治五段戦だった。対局日は1989年2月6日、オリジナル放送日は同年3月5日。
司会は、もはやおなじみの永井英明氏である。
「今日は平成の将棋界を占うような大一番かと思います」
この言葉が大げさでなかったことは、後の歴史が証明している。
トーナメント表を見ると、片方の山は中原誠NHK杯選手権者(棋聖・王座)と内藤國雄九段が勝ち上がっていた。内藤九段は当時、A級順位戦で6勝1敗とトップを走っていた。
さっそく対局室が映されるが、谷川名人が若い。名人ゆえ、和服での登場である。当時は26歳で、棋王も合わせ持つ二冠だった。もう押しも押されもせぬ風格が出ていて、それでいながらギラギラしたものをうちに秘めている。
対する羽生五段はおなじみのマッシュルームカットである。だが、やや大人びた感じにも見えた。何か精神的に一皮むけた感じで、早くも一流棋士の風格が見て取れた。
解説は、24日に引き続き?森雞二王位。
「すごい対決ですね。2人とも物凄い攻め将棋で、棋風が似ていると思うんですネ。でも(本局は)羽生さんが攻め込んでいって、谷川名人が胸を貸す、という展開になると思います」
ちなみに、森王位と谷川名人は誕生日が同じである(4月6日)。
対局開始。棋譜読み上げは蛸島彰子女流五段、記録・秒読みは山下カズ子女流五段である。
谷川名人の先手で、▲7六歩。△3四歩に▲2六歩△8四歩で、横歩取り模様となった。
▲3四飛の局面になり、現代なら△3三角だが、羽生五段は△8八角成! 以下▲同銀△7六飛▲7七銀△7四飛と進んだ。いわゆる相横歩取りである。
これには「(▲7四同飛以下)先手が指しやすかったと思うんですが……」
と森王位。「(先手が)いくらかいいということは、だいぶいいということなんです」
だが谷川名人は羽生五段の研究を警戒してか、▲3六飛と穏やかに引いた。気合負けの感もあるが、これはこれで立派な手である。
永井氏は事前準備に怠りなく、両者の今年度成績、通算成績をスラスラそらんじる。
森王位「私はこの間まで羽生君に2連勝してエバってたんですけど、この前1局負けちゃったんです」
森王位、羽生五段に勝ち越し1で余裕綽々である。ただし平成の世界では、森王位は第43期王座戦五番勝負を含め、羽生九段に6連敗を喫して現役を終える。羽生九段に序盤で勝ち越した棋士は、このパターンになることが実に多い。
「(対局者の)2人の対戦は、3局指して谷川名人が負け越しています」
と永井氏。初対局は1986年10月の早指し将棋選手権戦で、相矢倉の激戦となったが、羽生四段の一手勝ちとなった。
2局目は前回のNHK杯戦で、羽生四段の先手で横歩取り。谷川王位の△2三歩~△2五角に、羽生四段が▲3六飛と引いたのが当時話題になった研究手。以下△3六同角▲同歩△2七飛で後手が悪くないはずだったが、羽生四段は金銀で厚みを築き、気が付けば勝勢になっていた。
最後、負けを言い聞かせて△4一玉と指す谷川王位の無念の手つきが、私の脳裏に深く刻まれている。
谷川名人は3局目の新人王戦記念対局でようやく1勝を返したものの、谷川名人にとって羽生五段は、おのが輝ける未来に影を射す、厄介な存在になりつつあった。
局面。双方自陣の整備に移ったが、谷川名人が居玉のまま▲3七銀と立ったのがやや危険な手。
羽生五段はすかさず△3六歩と手裏剣を飛ばす。森王位によると、これをA▲4八銀は気合が悪くて論外。B▲3六同銀は△1五角の準王手飛車。C▲3六同飛は△2七角で馬を作られる。
谷川名人はCを甘受し、羽生五段は△5四角成と馬を作る。そしてこの馬が、最後の最後までいい働きをするのである。
谷川名人は▲4八玉。この位置も微妙で、何かの時の△6九角を気にする必要が生じた。
が、さすがは名人である。1筋の位を取り、二枚銀を4六と6六に繰り出し、△5四馬を圧迫する。さらに▲1四歩と待望の端攻め。以下▲1二角から▲5六角成とこちらも馬を作り、こうなったら谷川名人も十分に見える。
羽生五段は△1五歩~△1六歩としたが二階から目薬のような手で、利いているとは思えない。
93手目、谷川名人の▲2六の飛車が▲7六飛と回って△7二金取り。
これが存外厳しく、羽生五段は△7三銀(打)と辛抱するしかない。しかしこれでは、谷川名人に形勢の針が傾いたようである。
谷川名人は▲5四歩と玉頭を攻め、いよいよ好調。だが羽生五段は△8五飛と浮き、▲6五馬取り。早指し将棋でこの類の手を指されると慌ててしまう。谷川名人は焦りながらも、5三の歩を駒台に乗せたあと、▲5三歩成。谷川名人の所作も、実に美しい。
101手目▲3四歩。ここで羽生五段が慌てた手つきで△5五馬(図)と敵馬にぶつけたのが強手だった。
これを▲同馬は△同飛で、次に△5九飛成と△5七角がある。この時、△1六歩が地味ながらいい働きをしていて、▲2八玉と逃げにくい。
よって谷川名人は▲7七桂と跳ねたが、羽生五段が△6五飛と、飛車のほうで馬を取ったのが好手だ。以下▲同桂△同馬となって、この馬の存在感がさらに増した。
ここで飛車を逃げたらプロではない。谷川名人は攻め合いに出たが、羽生五段は△7六馬と飛車を取り、勝勢となった。しかし……。
△7三銀の局面では谷川名人がよかったはずで、その後谷川名人に疑問手らしき手はなかったと思う。
ならばどこで逆転したのだろう? △8五飛、△5五馬が連続の名手だったということだろうか。
谷川名人▲4二銀不成の形作りに、羽生五段は△5九角。ここで谷川名人が投了した。
永井氏は「ほ~っ」と息を吐く。18歳の若武者が、現役名人まで破っちゃいましたか、というテイだ。
本局は大熱戦だったため、感想戦の放送はなし。谷川名人の肉声も拝聴したかったところだが、やむを得ない。とはいえ本局も手に汗にぎる好局で、私は再放送であることを忘れ、すっかり見入ってしまった。
そして準決勝第2局は、中原NHK杯が勝ち上がった。よって決勝戦は、中原NHK杯VS羽生五段となった。
当時の将棋ファンは、わくわくしながらテレビの前に座ったのである。
司会は、もはやおなじみの永井英明氏である。
「今日は平成の将棋界を占うような大一番かと思います」
この言葉が大げさでなかったことは、後の歴史が証明している。
トーナメント表を見ると、片方の山は中原誠NHK杯選手権者(棋聖・王座)と内藤國雄九段が勝ち上がっていた。内藤九段は当時、A級順位戦で6勝1敗とトップを走っていた。
さっそく対局室が映されるが、谷川名人が若い。名人ゆえ、和服での登場である。当時は26歳で、棋王も合わせ持つ二冠だった。もう押しも押されもせぬ風格が出ていて、それでいながらギラギラしたものをうちに秘めている。
対する羽生五段はおなじみのマッシュルームカットである。だが、やや大人びた感じにも見えた。何か精神的に一皮むけた感じで、早くも一流棋士の風格が見て取れた。
解説は、24日に引き続き?森雞二王位。
「すごい対決ですね。2人とも物凄い攻め将棋で、棋風が似ていると思うんですネ。でも(本局は)羽生さんが攻め込んでいって、谷川名人が胸を貸す、という展開になると思います」
ちなみに、森王位と谷川名人は誕生日が同じである(4月6日)。
対局開始。棋譜読み上げは蛸島彰子女流五段、記録・秒読みは山下カズ子女流五段である。
谷川名人の先手で、▲7六歩。△3四歩に▲2六歩△8四歩で、横歩取り模様となった。
▲3四飛の局面になり、現代なら△3三角だが、羽生五段は△8八角成! 以下▲同銀△7六飛▲7七銀△7四飛と進んだ。いわゆる相横歩取りである。
これには「(▲7四同飛以下)先手が指しやすかったと思うんですが……」
と森王位。「(先手が)いくらかいいということは、だいぶいいということなんです」
だが谷川名人は羽生五段の研究を警戒してか、▲3六飛と穏やかに引いた。気合負けの感もあるが、これはこれで立派な手である。
永井氏は事前準備に怠りなく、両者の今年度成績、通算成績をスラスラそらんじる。
森王位「私はこの間まで羽生君に2連勝してエバってたんですけど、この前1局負けちゃったんです」
森王位、羽生五段に勝ち越し1で余裕綽々である。ただし平成の世界では、森王位は第43期王座戦五番勝負を含め、羽生九段に6連敗を喫して現役を終える。羽生九段に序盤で勝ち越した棋士は、このパターンになることが実に多い。
「(対局者の)2人の対戦は、3局指して谷川名人が負け越しています」
と永井氏。初対局は1986年10月の早指し将棋選手権戦で、相矢倉の激戦となったが、羽生四段の一手勝ちとなった。
2局目は前回のNHK杯戦で、羽生四段の先手で横歩取り。谷川王位の△2三歩~△2五角に、羽生四段が▲3六飛と引いたのが当時話題になった研究手。以下△3六同角▲同歩△2七飛で後手が悪くないはずだったが、羽生四段は金銀で厚みを築き、気が付けば勝勢になっていた。
最後、負けを言い聞かせて△4一玉と指す谷川王位の無念の手つきが、私の脳裏に深く刻まれている。
谷川名人は3局目の新人王戦記念対局でようやく1勝を返したものの、谷川名人にとって羽生五段は、おのが輝ける未来に影を射す、厄介な存在になりつつあった。
局面。双方自陣の整備に移ったが、谷川名人が居玉のまま▲3七銀と立ったのがやや危険な手。
羽生五段はすかさず△3六歩と手裏剣を飛ばす。森王位によると、これをA▲4八銀は気合が悪くて論外。B▲3六同銀は△1五角の準王手飛車。C▲3六同飛は△2七角で馬を作られる。
谷川名人はCを甘受し、羽生五段は△5四角成と馬を作る。そしてこの馬が、最後の最後までいい働きをするのである。
谷川名人は▲4八玉。この位置も微妙で、何かの時の△6九角を気にする必要が生じた。
が、さすがは名人である。1筋の位を取り、二枚銀を4六と6六に繰り出し、△5四馬を圧迫する。さらに▲1四歩と待望の端攻め。以下▲1二角から▲5六角成とこちらも馬を作り、こうなったら谷川名人も十分に見える。
羽生五段は△1五歩~△1六歩としたが二階から目薬のような手で、利いているとは思えない。
93手目、谷川名人の▲2六の飛車が▲7六飛と回って△7二金取り。
これが存外厳しく、羽生五段は△7三銀(打)と辛抱するしかない。しかしこれでは、谷川名人に形勢の針が傾いたようである。
谷川名人は▲5四歩と玉頭を攻め、いよいよ好調。だが羽生五段は△8五飛と浮き、▲6五馬取り。早指し将棋でこの類の手を指されると慌ててしまう。谷川名人は焦りながらも、5三の歩を駒台に乗せたあと、▲5三歩成。谷川名人の所作も、実に美しい。
101手目▲3四歩。ここで羽生五段が慌てた手つきで△5五馬(図)と敵馬にぶつけたのが強手だった。
これを▲同馬は△同飛で、次に△5九飛成と△5七角がある。この時、△1六歩が地味ながらいい働きをしていて、▲2八玉と逃げにくい。
よって谷川名人は▲7七桂と跳ねたが、羽生五段が△6五飛と、飛車のほうで馬を取ったのが好手だ。以下▲同桂△同馬となって、この馬の存在感がさらに増した。
ここで飛車を逃げたらプロではない。谷川名人は攻め合いに出たが、羽生五段は△7六馬と飛車を取り、勝勢となった。しかし……。
△7三銀の局面では谷川名人がよかったはずで、その後谷川名人に疑問手らしき手はなかったと思う。
ならばどこで逆転したのだろう? △8五飛、△5五馬が連続の名手だったということだろうか。
谷川名人▲4二銀不成の形作りに、羽生五段は△5九角。ここで谷川名人が投了した。
永井氏は「ほ~っ」と息を吐く。18歳の若武者が、現役名人まで破っちゃいましたか、というテイだ。
本局は大熱戦だったため、感想戦の放送はなし。谷川名人の肉声も拝聴したかったところだが、やむを得ない。とはいえ本局も手に汗にぎる好局で、私は再放送であることを忘れ、すっかり見入ってしまった。
そして準決勝第2局は、中原NHK杯が勝ち上がった。よって決勝戦は、中原NHK杯VS羽生五段となった。
当時の将棋ファンは、わくわくしながらテレビの前に座ったのである。