一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

第九回 シモキタ名人戦(3)

2020-11-23 02:15:22 | 将棋イベント
15時30分からトークショーの3回目である。題して「表現者としての囲碁棋士、将棋棋士」。演者は先崎学九段、囲碁の星合志保二段。
先崎九段は例年通り、寝起きのような顔だ。星合二段は初見だが背が高く、モデルかと思った。
冒頭に下平憲治氏が一言述べたがすぐに退き、本編は2人のみのトークとなった。



先崎九段「将棋の先崎です。よろしくお願いします」
星合二段「シモキタ名人戦には初めてお邪魔します。囲碁の星合志保です。今日は表現者と言うテーマですが、私は勝ち負けを念頭に打ってきたので、普段はそこまで考えて打ってなかったです」
先崎九段「棋士はいろいろな面がありますが、重要なのは勝つこと。勝たないと話にならない。勝つためにはスキルを高める。それは研究者なんですね。盤上に指し手を表現することに、芸術家的要素はあると思いますね」
星合二段「どんなところにその要素はありますか」
先崎九段「子供のころから将棋だけに打ち込んできましたからね、そういうものが対局中に出るんですね」
星合二段「それはひとつのことに打ち込んできたこと、芸術でしょうか」
先崎九段「そうですね、その指し手でファンの皆様に何かを感じてもらわないと、私たち棋士が存在する意味がない。AIにならって、その指し手がすべてだと捉えられたらいいことじゃないんです」
なんだか禅問答のようだ。星合女流二段はなかなかの美人で、船戸陽子女流二段にイメージが似ているか。私はズームレンズを持参しなかったことを、このとき心底悔やんだ。
星合二段「私もAIを使って勉強してるんですね。そうすると最近は、この手はAIが好きそうな手だな、と思って打つことがあるんです。でもその一方で、これはAIが好まないけど、私はそこに打ちたいから打つ、というときがあります。対局のリズムを崩したくないという意味もあって……」
先崎九段「コンピューターの手ばかりになると面白くないんですね。将棋のソフトは、奨励会の三段程度じゃ役に立たないんですよね……」
星合二段「囲碁界って、最初の布石が似てきてるんですよ。40手くらいまではパターンが同じなんです」
先崎九段「将棋の世界もそういうところはありますね。ひとつの時代における流行の手というか……」
先崎九段は江戸時代の囲碁の布石などを流暢に語る。先崎九段の奥様は囲碁の穂坂繭三段なので、囲碁にも明るいのである。
星合二段「それで、NHK杯で、山下敬吾九段が初手に『5五』に打ったりするんですね。これはいい手じゃないんですけれども」
先崎九段「あれは山下君なりの現代の風潮に対する反骨精神ですね」
私は囲碁がまったく分からないが、将棋でいえば初手▲8六歩みたいなものだろうか。
星合二段「その碁は山下先生が勝って、NHK杯は番組の終わりに『私の一手』という、その一局の勝因になった手を紹介するコーナーがあるんです。そこで山下九段は、『私のこの一手は、初手の5五です』と言ったんです」
あとで分かったのだが、星合二段は2019年度からNHK杯囲碁トーナメントの司会をしていた。ニヤリとするエピソードである。
先崎九段「そのあたりは同じ棋士として尊敬しますね。
先ほどから評価値という言葉が出てきてますが、将棋と囲碁はAIの評価値が違うんですね。将棋は終盤で悪手が多い。だから一手悪手を指すと振り幅がドーンと変わったりするんです。囲碁のほうはリードしたほうが収束に向かうので、評価値がアテになるんですね。でも将棋はアテにならない。評価値が-1000を越えても、人間が悪手を指しそうな局面ならば、意味がないんです。将棋は逆転のゲームなんです」
星合二段「囲碁は終盤になればなるほど、逆転するのは難しいです」
先崎九段「将棋はワーッと開いて一気に閉じていくゲームなんです」
星合二段「あー……。先生、奥様は囲碁の穂坂繭先生ですね。先生はどのくらいお打ちになるんですか?」
先崎九段は、四、五段ですね、と答えた。「朝とかね、お互い囲碁と将棋の話ばかりですよ。コーヒーを飲みながらね」
このトークショーは、星合二段が聞き手に徹しているようだ。例年の中倉宏美女流二段の役回りである。
ここで話題は本の話に移った。
先崎九段「私は棋士なので、文章で何かを表現しようということはなく、将棋ファンの方によろこんでもらおうと、その一心で文章を書きました。
……下北沢は演劇の街ですけど、将棋は文学や演劇、絵画などの世界とは違う気がします」
星合二段「自分らしい手を考えていくことが表現なのかなと考えます」
先崎九段「人間は自分らしく指す、自分らしく打つことです。何十年も将棋を指してきたんだから……」
星合二段「AIが発達してきましたけれども、アマチュアの皆様には、自分らしい手を打っていただきたいと思います」
先崎九段「AIは囲碁将棋の技術を高めるのに必要だけど、それでファンの方によろこんでもらえるか、となるとどうなのかと思います。……序盤における個性は大事です」
星合二段「AIのお蔭で可能性が拡がったというのは大きいです」
先崎九段「AIを利用するのはいいんですけど、そればかりだとどこかで飽きられますよね。人間のやる手に注目してもらいたいですよね。数字ってつまんないじゃないですか。90:10とか。
将棋で詰みの場面がありますよね。名人戦や竜王戦で、詰まない局面があったとしますよね。そうすると『週刊将棋』で詰まないの記事が載った時、読者は次の号が発行されるまで、1週間考えられたわけです。
だけどいまじゃ、コンピューターが結論出してオワリ。これじゃあね……」
星合二段「こんなことでこれから大丈夫でしょうか」
先崎九段「囲碁と将棋じゃゲーム性が違いますからね。芸術的側面は囲碁のほうが強いんですよ。盤上に散らばる形は囲碁のほうが重要なんですよ。将棋は狭い。将棋は詰む、詰まないが重要だから、そこで間違えたほうが負けるんです。
そこへいくと囲碁は、盤上に美しいものを描くという意識のほうが強いんです。いい手を打ったほうが勝つゲームなんです」
星合二段「私も囲碁ファンから、絵を描いている気分になる、と言われたことがあります」
先崎九段「囲碁にも将棋にも“手筋”がありますが、囲碁は効率がいい形を手筋というんです。だけど将棋の手筋は、相手を破壊するんですね。だから将棋のほうがバタッと決まるんですよ」
星合二段「いいですね。私も戦うのが好きなんで……。将棋をやったとき、詰碁をやってる気分になりました」
先崎九段「それは将棋に向いてるかもしれませんね」
星合任段「囲碁は詰碁の要素のほかにも陣地を取っての勝ち負けがあるので、そこも芸術的要素がある気がします」
先崎九段「囲碁は負けても名局があるじゃないですか。でも将棋の場合は、負けた将棋に名局はないんですよ。盤上でどんなに美しい局面を作っても、最後に負けたら瓦解するんですよ。また将棋ファンも、最後のそこのとこだけしか見ない。
この前の女流王将戦で室谷由紀さんが大逆転負けをしたんですよ。それって2局目と3局目はものすごい名局なんですよ。(3局目は)最後の最後以外は名局なんだけど、最後にとんでもない手をやらかすんですよ。それですべてがパーになる」
星合二段「私もこの前、半目で負けたんですけど、それは将棋ではダメなんですね」
先崎九段「将棋は勝ち負けが分かりやすいんですよ」
私は将棋の敗局にも名局があると思うが、先崎九段の考えも支持する。
(つづく)
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