一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

第68期順位戦の予想と結果

2010-03-21 00:47:04 | 勝敗予想
第68期順位戦は、16日のC級1組の対局をもって、全日程を終了した。私の名人挑戦者予想、昇降級者予想とその結果は、以下のとおりとなった。

A級
挑戦予想:佐藤康光九段 結果:三浦弘行八段
降級予想:井上慶太八段、谷川浩司九段 結果:佐藤康光九段、井上慶太八段

B級1組
昇級予想:鈴木大介八段、深浦康市王位 結果:渡辺明竜王、久保利明棋王・王将
降級予想:堀口一史座七段、豊川孝弘七段 結果:阿部隆八段、堀口一史座七段

B級2組
昇級予想:橋本崇載七段、阿久津主税七段 結果:中村修九段、中田宏樹八段

C級1組
昇級予想:広瀬章人五段、村山慈明五段 結果:戸辺誠五段(六段)、飯島栄治六段

C級2組
昇級予想:村中秀史六段、豊島将之五段、糸谷哲郎五段
結果:豊島将之五段、高一生四段(五段)、金井恒太四段(五段)

以上である。総勢14名中、3名的中。まあ、こんなものであろう。
一部、以前書いた記事と重複するが、以下に雑感を記してみる。

A級、三浦八段の名人戦挑戦は見事。「名人挑戦」はタイトル1期に相当する。一流棋士が顔をそろえるA級で、プレーオフなしの単独優勝は、文句なしの偉業だ。
降級の佐藤九段は意外の一語。開幕前に佐藤九段の降級を予想する人がいたとしたら、将棋を知らないか、予言者のどちらかだろう。もっとも2年前は降級の危機に直面したから、昔ほどの信用はないかもしれない。

B級1組、渡辺竜王と久保期王・王将の昇級は順当。もっとも私が推したのは鈴木八段と深浦王位だったが、この外れはやむを得ない。ただ、鈴木八段の5連敗で終了はいただけない。緊張の糸が入れたか。
降級予想のほうは、豊川七段が5勝を挙げて残留したのは、おみそれしました、とシャッポを脱ぐしかない。あのオヤジギャグはダテではなかった。
阿部八段の降級は意外。まあ降級は仕方ないとしても、2勝しかできなかったのはマズイ。阿部八段は気合で指すイメージがある。連勝連敗タイプなのかもしれない。

B級2組、中村修八段と中田宏樹八段の昇級は、その実力からすれば当然なのだが、おふたりには「7勝3敗」のイメージがあり、まさか昇級を果たすとは思わなかった。このクラスの昇級者当ては難問だったと思われる。私が推した阿久津七段は、同じ8勝ながら無念の頭ハネ。ここが順位戦の恐さだ。
もうひとりの昇級予想者、橋本崇載七段の4勝どまりは残念。東京・池袋で「SHOGI BAR」を開店し、将棋の普及にいそしんでいるのは頭が下がるが、本業が不調になってしまっては意味がない。

C級1組の昇級者、戸辺誠六段と飯島栄治六段は、上がってみれば納得の実力者。戸辺六段の連続昇級は見事。勝ち星でなく、順位戦での「昇級昇段」は気持ちがいいだろう。
広瀬五段の7勝はやや意外。8勝はいくと思った。飯島六段はその広瀬五段に初戦で土をつけられたものの、以降の9連勝は見事だった。

C級2組は、豊島五段の昇級は当然。来期も昇級候補の最右翼であろう。高五段、金井五段の昇級昇段も、実力どおりの結果と思う。
高五段は、たしか前期の順位戦で昇級者に推した記憶がある。宮崎県出身で、2008年12月18日、JR日南線・青島駅前にある釜揚げうどんの店で読んだ地元紙に、高崎四段後援会の記事が出ていたことを思い出す。
金井五段は、2008年11月26日放送のテレビ朝日系「相棒Season7」に将棋棋士役で特別出演し、投了するシーンをきびきびと演じていたのが印象に残っている。
私が昇級に推した糸谷五段は6勝4敗と、可もなく不可もない戦績。「NHK杯将棋トーナメント戦」で決勝に進出したわりには、ちょっと物足りなかった。早指し戦と持ち時間6時間では、将棋のツクリが違うのだろうか。
降級点8名のひとりに、4勝6敗の西川和宏新四段が入ってしまったのは意外。前期は最下位の3勝でも降級点がつかなかったから、今期は運がなかったといえる。ただ9勝を挙げても(大島映二・現七段)、8勝2敗を2年続けても昇級できないときもあるし(飯野健二・現七段)、7勝でも昇級できるときがある(伊藤果・現七段)。これも順位戦の魔力といえよう。
有吉道夫九段、大内延介九段の降級は残念。昭和の名棋士がふたり、現役を退くこととなった。長い間、お疲れさまでした。
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林葉直子さん待望論(再掲)

2010-03-20 01:30:13 | 将棋雑考
今週、「将棋ペン倶楽部」の2010年春号が届いた。私も拙いレポートを書いているが、それは置いておく。私の目を惹いたのは、最終頁にある「編集日誌」だ。それによると先月、元女流棋士の林葉直子さんと、弁護士・木村晋介氏とのお好み将棋対局が行われたそうで、それが6月発行の通信号に掲載されるという。
この話は将棋ペンクラブ幹事・M氏の「将棋ペンクラブログ」にも書かれていたので先刻承知だが、紙媒体に予告が載ると、やはり本当のことだったんだという現実感がこみ上げてくる。
以前このブログにも書いたが、私は林葉さんの棋界復帰を望むものである。正確に書けば、林葉さんの将棋をもう一度見たいと切望するものである。当時のブログには、LPSAに何とかしてもらえまいか、とも書いたが、LPSAと林葉さんが、現在までその件で話し合った事実はない。
また、いまだから書くが、「将棋ペン倶楽部」には「将ペン駒落ち道場」のコーナーが不定期にあり、私は私で、林葉さんを指名して、1局お願いしたいとまで考えていた。しかし上手側は「プロ棋士に限る」ので、林葉さんは該当しない。そんなところへ、林葉さんVS木村弁護士という、夢の対局の報せが飛び込んできたわけである。これは私なんかより、将棋界に多大に貢献をしている、木村弁護士が適任である。
おふたりはどんな将棋を指したのだろう。早くも3ヶ月後のペン倶楽部通信が楽しみになった。
なお、以前林葉さんについて書いた記事は昨年の4月16日にエントリした。以下にその記事を再掲しておく。


「林葉直子さん待望論」

林葉直子さんについては、あらためて説明するまでもないだろう。
「女流王将」10連覇をはじめ錚々たる棋歴を残したが、15年ほど前、棋界内でちょっとしたトラブルに巻き込まれ、断腸の思いで将棋界から離れてしまった、伝説の女流棋士である。
林葉さんの美しさは他の女流棋士を圧倒していて、そこに「若い」「強い」が加わっていたから、当時の人気は凄まじいものだった。将棋を趣味にしていた男子にとって、彼女はまさに、ヒロインそのものであった。
私は先日、ある調べ物で20年前の「将棋年鑑」を久しぶりに開いたのだが、女流棋士の写真を見ると、林葉さんの美しさはやはり群を抜いていた。彼女は生粋の博多っ子なのだが、目鼻立ちがハッキリしていて、ハーフのような気高さがある。もう、ほかの女流棋士とは格が違う感じであった。いま彼女はアラフォーのいいオンナだが、その美しさにいささかの衰えもない。
そんな林葉さんは現在ブログを開設していて、更新はかなりまばらだが、最低限の近況は教えてくれている。
それを読むと、現在は九州に戻り、御母堂と暮らしているらしい。
ここで私が気になるのは、その文章の中に、「住職と将棋を指した」とか「静かに将棋を指すのがいい」とか、けっこう「将棋」という単語が出てくることなのである。
現在彼女の職業は「タロット占い師」と「作家(マンガの原作)」のふたつだろうが、マンガの原作は将棋がテーマだし、ブログのプロフィールにも、「元女流棋士」と、ハッキリ記されている。
小さいころから将棋に触れてきたのだ。そんな林葉さんが、そう簡単に将棋を忘れられるわけがない。
そんな彼女の将棋を、私はもう一度見てみたいと以前から熱望していた。しかし日本将棋連盟が彼女を表舞台に立たせるわけがない。そこで日本女子プロ将棋協会(LPSA)の登場である。代表理事の中井広恵女流六段は林葉さんとの長年の戦友である。ひょっとしたらいまでも、メールなどで交流を続けているかもしれない。中井女流六段を通じて、なにかアプローチはできないか。
幸いLPSAには「1DAYトーナメント」がある。
同トーナメントは、出場者が全員LPSA所属の現役棋士のときもあれば、男性アマ強豪を招いてのペア戦のときもある。アイリスなどアマチュア女子強豪を招いてのリーグ戦もあれば、今月に行う「どうぶつしょうぎ」もある。つまり出場資格になんの制約もないのだ。
そこで、である。林葉さんに出場する意思があれば、が大前提になるが、どこか奇特な方が、林葉直子さんの出場を条件に、1DAYのスポンサーになってくれないかと思うのだ。
むろん彼女は将棋界の「元大物」だけに、出場が決まれば、周りへの影響はたいへんなものとなる。社会的ニュースになるかもしれない。まだ林葉さんへの偏見を持っている人は嫌悪感を示すだろうし、いままで健全な活動を行ってきたLPSAのイメージが崩される懸念もある。いやLPSAの中にでさえ、林葉さんの出場を快く思わない棋士もいるかもしれない。
それらをクリアして出場の運びとなっても、大口のスポンサーに一言断りを入れる必要もあろうし、日本将棋連盟への挨拶もいるだろう。たったひとりの女性を出場させるために、いろいろと高いハードルがあるのである。
それでも私は林葉さんの将棋が見たい。あの林葉振り飛車の奔放な指し回しを、もう一度見たいのだ。以前も書いたが、「過去なんて生ゴミ」なのである。私には15年前の件なんて、どうでもいい話なのだ。
「願えば夢は叶うもの」と言ったのは林葉さんだっただろうか。いつか「その日」が来ることを、私は楽しみに待っている。
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蛸島彰子先生、お誕生日おめでとうございます。

2010-03-19 01:09:39 | 女流棋士
きょう3月19日は、蛸島彰子先生のお誕生日。おめでとうございます。
言うまでもないことですが、蛸島先生は女流棋士の第1期生。もし蛸島先生がいらっしゃらなかったら、女流棋士の存在は、10年は遅くなっていたでしょう。
そんな蛸島先生が現在も現役として活躍されていることに、私は敬意を表します。
先日の女流名人位戦予選でも、新鋭・山口恵梨子先生を破ってのB級リーグ入りは、お見事でした。腕に歳は取らせない、というところでしょうか。B級リーグでも、台風の目になって暴れまくってください。応援しております。
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私の生年月日と、切手の話

2010-03-18 21:18:01 | プライベート
私の生年月日は昭和41年3月18日である。つまりきょうが44歳の誕生日で、この歳になって、まだぐうたらな生活をしている自分が情けない。
私は高校時代、3人の女子高生と文通をしていた。動機は省くが、高校2年の夏、「週刊マーガレット」(集英社)のページ下に出ていた文通希望の子に、手紙を出したのだ。最初に宛てたのは静岡在住の女子で、1週間を経ずに返事がきた。このあと兵庫、広島の女子とも文通をしたが、長く続いたのは、この静岡の女子だった。
彼女の誕生日は昭和40年4月20日。当時のハガキは40円、封書は定形25gで60円だった。40円切手、20円切手はもちろん、4円切手(ベニオキナエビス)も発行されていたから、彼女の生年月日の切手を封筒に貼って送る、という遊びも、やろうと思えばできたわけだ。当時切手収集熱があった私は、そんな環境にある彼女がうらやましかった。
では私の生年月日である昭和41年3月18日はどうか。3円切手は「ホトトギス」が発行されていたが、41円や18円なんて半端な額の切手があるはずもなく、「生年月日で郵送する」という夢は、当然諦めていた。
ところが彼女との文通が自然消滅(ということにしておく)してから数年後の平成元年4月、日本の歴史史上、画期的な政策が施行された。消費税の導入である。原則的に、あらゆる商品に税金3%が加算された。切手やハガキも例外ではなく、ハガキの40円は1円20銭が加算され、20銭を切り捨てて41円となり、封書の60円は61円80銭から20銭を切り上げて、62円となった。
もちろん同額の通常切手が発行された。絶対にない、と諦めていた半端きわまりない41円切手が、この世に登場したのだ!
しかし18円、この切手の発行はさすがに考えられなかった。
ところが、世の中何が起こるか分からない。平成6年4月1日、郵政省は郵便料金の改定をする。すなわちハガキが50円、封書(定形25g)が80円になったのだ。しかしそうなると、それまで流通していた41切手と62円切手が扱いづらくなってしまう。そこで郵政省は、消費税導入3ヶ月前の平成6年1月13日、9円切手(シオカラトンボ)と18円切手(テントウムシ)を新規に発行した。何と、絶対に発行されないと観念していた18円切手が、この世に生まれたのだ!!
むろんこの2種は41円切手と62円切手の補助的役割を担うもので、4月1日以降、家や会社に残っているハガキや封書に、これを貼って投函すればムダにならない、というわけだ。
しかも、消費前導入前の封書料金はまだ62円だから、私の生年月日である「41円・3円・18円」を全部足すと62円となり、その3ヶ月間だけは1円のムダもなく、郵送できるのだった。
「願えば夢は叶うもの」と言ったのは林葉直子さんだったか。消費税のいたずらで、念願だった生年月日での郵送が、可能になったのだ。
では私は、私宛に手紙を出したのか。と問われればそれはなく、この時は切手収集熱も冷めており、数年経ってから、18円切手を10枚購入したのみだった。
余談だが、9円切手発行以前は、1円切手(日本郵便の父・前島密)から10円切手までで、9円切手だけ発行されておらず、これも切手収集家の間で話題になった。
現在は、9円切手、18円切手とも絶版になっている。3円切手も、昭和50年代初めには近所の郵便局では入手できなかったから、現在その3種を揃えようと思えば難儀だ。渇望していた41円切手と18円切手。それが叶ったのだから、1通ぐらい自分宛てに投函しておくのだったと、今も思うことがある。
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倉敷藤花戦と「マッカラン」

2010-03-18 00:07:10 | マッカラン勝負
昨日(17日)夜はTSUTAYA(書店)へ行った。16日発売の「NHK将棋講座」は今月号からリニューアルされているようで、題字のロゴが変わっていた。表紙は、写真がページいっぱいに使われており、矢内理絵子女王と囲碁の梅沢由香里五段が起用されている。
矢内女王は白のワンピース。矢内女王は黒系統の服がお好みのようで、それもシックでよいが、白もサッパリしていて、よく似合っている。私はこちらのほうが好きだ。
ところでこの表紙、矢内女王のほうが大きく扱われているので、もしやと思い「囲碁講座」のほうも見ると、こちらにもおふたりが載っていて、案の定梅沢五段が大きく扱われていた。2誌の連動企画であろう。おもしろい試みだ。
さらに店内を回ると、「CIRCUS MAX」4月号(KKベストセラーズ)がある。表紙は山本梓である。山本梓は人気グラビアアイドルで、この手の写真月刊誌にはよく登場する。しかしこの号のポーズはどうか。ちょっと買う気は起こらない。しかし表紙に「消えたAV女優80人は今!」とあるのが気になる。私の利用するTSUTAYAは、雑誌にビニールがかかっているので、中を見ることはできない。もっともこの手の雑誌は、どこも中味が見られないのがふつうだ。迷った末、つい手に取ってしまった。
海王社「VIBES」も新刊が出ているが、今号のカバーガールは私のタイプではない。すぐ通り過ぎる。
「世界一の美女の創りかた」なんていうタイトルの本がある。ミス・ユニバース・ジャパン、宮坂絵美里が表紙のものだ。宮坂絵美里は、16日に放映された日本テレビ系「霧の旗」に出演していた、戸田菜穂に似ていると思う。戸田菜穂がお医者様と婚約、という報を聞いたときは、かなりショックだった。
本のほうは、ちょっと購買意欲をそそられたが、1,800円とあったので、すぐ棚に戻す。1,800円で世界一の美女になれれば、世話はない。よって昨日買った雑誌は、最初の2冊のみ。

昨日のエントリで、松尾香織女流初段との会話で書き忘れた箇所を補筆しておく。
「先生、倉敷藤花戦、ガンバッテくださいよ。挑戦者になれば倉敷に行けるから、下蒲刈島(しもかまがりじま)にも帰れるじゃないですか」
広島県呉市下蒲刈島は、瀬戸内海に浮かぶ小島で、松尾女流初段の実家がある。
「一公さんも、また下蒲刈島に来てくださいよー」
「はァ」
私は昨年のゴールデン・ウイークに、下蒲刈島を訪れていたのだ。
「来てくださったら、いっぱいご馳走しますよー」
このセリフがよく分からない。ありがたいお誘いではあるが、いくら東京から遠く離れた実家とはいえ、女流棋士の生家に一般の男性将棋ファンが訪れることは、ふつうはかなりの抵抗があるのではないか? ましてや私にはストーカーのケがある。しかし松尾女流初段には、そういう意識はないらしい。このあたりが、広島県人のおおらかさと言えようか。もっとも私にしたって、本人がいないのにのこのこ訪ねていって、ご馳走だけ戴いても居心地がわるい。
そこから倉敷藤花戦の話に入っていったのだった。

もうひとつ。昨日、サントリー「マッカラン」の話をエントリしたあと思ったのだが、船戸陽子女流二段、松尾女流初段、大庭美樹女流初段以外のLPSA現役女流棋士があれを読めば、特定の女流棋士が優遇されて、おもしろくないと感じるだろう。何しろLPSAは酒豪の集まりなのだ。
中倉宏美女流二段なら、
「あ…私は入ってないんだ…ファンランキング2位なのに…ダメなんだ…やっぱり…陽子さんなんだ…」
と思うだろうし、中井広恵女流六段や石橋幸緒女流四段も、
「なんで彼女たちばっかり…ずるい!!」
と思うに違いない。
そこでこの際だから、LPSA現役全女流棋士に「マッカラン」獲得のチャンスを与えることにした。ただし条件は微妙に異なる。
中井女流六段、石橋女流四段は「第18期倉敷藤花戦・挑戦権獲得」、ほかの女流棋士は、「同・ベスト4進出」とする。なお、藤森女流三段はすでに敗退しているが、おとなりの石橋女流四段が挑戦権を獲得した場合、同様に「マッカラン」を進呈する。
これで最大5名に「マッカラン」が行き渡る。タイトルを奪取せよ、と言っているわけではないのだから、ラクといえばラクであろう。ただし繰り返しておくが、「マッカラン」の何年物を選ぶかは、私に任せていただく。では皆さまの健闘を祈る。
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