一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

冬の青春18きっぷの旅9・現代有料ビデオ事情2012

2012-01-16 00:24:53 | 旅行記・その他の地域
きのう15日(日)に行われた天河戦・中倉宏美女流二段と鎌村ちひろ女子アマ王位の一戦は、屈指の名局だった。今年の宏美女流二段は期待できる。

(きのうのつづき)
弥彦山から下山して、神社前の通りを行く。「さくらの湯」はパスし、通りにある温泉処で済ますことにする。
候補はふたつあったが、露天風呂のある「弥彦温泉ホテルヴァイス」を利用することにした。750円。
温泉の営業終了?が午後4時と書いてあったからギリギリだったが、構わず入れてくれた。温泉ホテルの営業時間は一様に短いが、こんなに早く閉めるわけがないから、立ち寄り湯はここまで、という意味なのだろうか。
温泉といえば、もはや露天風呂である。しかしここのそれは、外の景色がほとんど見えない。立地の関係からそうだろうなとは思ったが、これでは湯船を外に出したというだけで、おもしろみがない。
まあ、でも、温まった。
駅に戻る途中に、「芋そば」の暖簾がかかっている日本そば屋があった。ちょっと気になって、入ってみる。
ざるそばを頼むと、小天ぷらが3品とお新香がついてきた。お新香はともかく、天ぷらはサービスであろう。おばちゃん、私をひとり旅の旅行者とみて、おまけしてくれたらしい。弥彦の人々は、旅人に優しい。
そばもしこしこしていて、美味かった。会計のときに聞いてみると、やはりそばに、芋が練り込んであるそうだ。だけど、何の芋だったのだろう。
「日乃出食堂」。またいい店を見つけて、私は頗る気分がよくなった。

前を歩いていた2人連れの女性が、「エエーッ!?」と叫ぶや、しゃがみこんでしまった。例の「パンダ焼き」の店が、きょうの営業を終えていたらしい。
「この店だったのよう!!」
とか叫んでいる。店の前には、「パンダ焼きの材料がなくなったので、きょうは閉店します」の貼り紙があった。いまや、弥彦神社のお参りとパンダ焼きは、ワンセットになっているようである。そんなにパンダ焼きは、美味いのだろうか…。
17時20分発の弥彦線で、吉田に向かう。10分だけ乗って、下車。次の越後線は18時41分だから時間がある。ここで夕食を摂る。さきほどのざるそばは、お八つである。
駅前に出ると、右手に和菓子屋があったが、ほかにこれといったお店がない。しばらく歩くと、大判焼きを売っている店があった。しかしそのほかは、食堂の類がまったくない。そもそも、商店街があるにはあるが、ほとんどがシャッターを下ろしている。
旅に出ると、駅を出ても食事処がまったくないところがある。自宅で食事を摂る習慣ができているのだろうが、旅人は困る。
大判焼きの店は、焼きそばもできるふうだったが、麺類を続けて摂るのは味がわるいので、大判焼きを買うに留める。
吉田駅前に戻ると、和菓子屋の二階が、イタリアンレストランだった。表のメニューを見るとかなり本格的だが、一品料理もあったので、構わず入る。
店内はかなりオシャレで、白いブラウスに黒のタイトスカートでバッチリ決めた数人の女性店員が、キビキビと動いていた。
これは場違いな店に入ってしまったようだ。まあよい。駅が見渡せる、窓際のカウンター席に案内された。「サーモンと野菜のクリームソースパスタ」(980円)をオーダーする。いけね、麺類はやめようと思ったのに、けっきょく麺類を頼んでいた。
女性が何人か来店する。「きょうは女子会なのオ」とか言っている。私の座っているカウンター席の奥に隠し部屋があり、そこが女子会の会場らしい。妙齢の女性が続々と入っていく。私はその彼女らを窓の反射で確認するが、皆さん美人だ。何と言っても、ここは新潟である。東京の女性とは格が違う。
出されたパスタは美味かった。麺の量も、パッと見は少ないと思ったが、皿の底が意外に深く、けっこう食べ応えがあった。
惜しむらくは、本当に微妙なところなのだが、女性店員がシステマティックに動きすぎている気がした。ともあれここも、抑えておいて損のない店である。
吉田発18時41分の越後線で柏崎に向かう。19時54分、柏崎着。16分の待ち合わせで、直江津行きの信越本線に乗り換えた。この区間は右手に日本海が見渡せるはずだが、辺りはとうに漆黒の闇である。明るいうちに走りたかったと思う。しかし夜汽車もそれはそれで、別の趣がある。
直江津、20時51分着。きょう泊まる「HOTEL α-1上越」は駅から徒歩11分である。駅からホテルの看板が見えたが、やや遠回りをしたようだ。その途中にセブンイレブンがあり、買わずもがなのお菓子を買う。こんなもの寝しなに食べたら太るモトなのだが、寝る前に食うお菓子には絶妙の背徳感があり、やめられないのだ。
ホテルにチェックインする。今夜はブログを書かなければいけないが、パソコン設置の御礼として、有料テレビシアターを利用しなければならない。
早速私は部屋を出ると、廊下にあるその手の券売機に、千円を挿し込んだ。と、カードの代わりに、レシートのようなものが出てきた。見ると、4ケタの番号が書いてある。
どうも、これを画面に打ち込むらしい。そういえば、昨夜もアレッと思ったのだが、部屋のテレビには、カードの挿し込み口がなかった。どうやってシアターを観るのだろうと怪訝に思ったのだが、こういうシステムだったわけだ。
部屋に戻ってテレビの電源を入れ、指定の番号を入力する。これでテレビシアターが明日のチェックアウトまで見放題だ。
ここでは一般映画と成人番組とに分かれていた。まあどちらを観てもいいのだが、せっかくだから成人番組を観ることにする。
ここでは5つのカテゴリーに分かれていて、「今月の入荷作品」「女優」「バラエティ」「フェチ」「作品番号入力」とあった。それぞれ50、20、45、6と本数があったが、「女優」や「バラエティ」の中に、「今月の入荷作品」も含まれていたので、20+45+6=71本の、成人番組が収録されていたことになる。ただ「バラエティ」と「フェチ」の差異がよく分からなかった。
なお「作品番号入力」とは、番組紹介パンフレットに書かれている4ケタの番号を入力すると、その作品が観られる仕組みになっていた。
またそれぞれの作品には、テレビ上で、「作品ストーリーの紹介」が読めるようになっていた。この類のシアターにストーリーもへったくれもあるかと思うのだが、一応の参考にはなる。
女優と作品紹介でおもしろそうな番組を選び、観賞する。もちろん、早送りや一時停止は思いのままである。リモコンのボタンを見ると、「早送り」と「一時停止・再生」のマークのところが、ハゲてしまっている。いままでの宿泊者が、相当このボタンを利用したことの証左である。そしてきょう私も、立派にその仲間入りを果たしたというわけであった。
観賞した各作品は画質がわるく、内容もいまひとつで、目的を果たすには不十分だったが、「かすみりさ」という女優はいい演技をすると思った。麻美ゆまの演技も手堅い。かすみりさを調べてみると、彼女はブログも開設しており、けっこう売れている女優のようである。月見栞も半引退状態だし、これからは彼女も応援していこうと思った。
さてブログといえば私も書かなければいけないが、どうもキーボードを叩く手が重い。それより今回の旅行では、ホテルで「将棋ペン倶楽部」投稿用の原稿を書こうと思い、掲載する将棋の研究用に、布将棋盤と駒も持参していた。旅先でも将棋とは、私もいよいよヤキが回ったようだ。
昨年10月に行われた、竜王戦6組昇級者決定戦・大野八一雄七段×伊藤真吾四段戦がそうで、並べてみる。11月の「信濃わらび山荘将棋合宿」では、大野七段に軽く自戦解説を受けていたが、いざ並べてみると、その局面にならない。
お、大野七段、合宿では私に、架空の局面を解説していたんじゃないか!!
「将棋ペン倶楽部」春号の原稿〆切は今月20日である。これは、また編集幹事に泣きを入れて、〆切を延ばしてもらわなければならない。
けっきょく私は、ホテルで何をやったのだろう。どうも釈然としないまま、私は午前2時すぎに就寝した。
(つづく)
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冬の青春18きっぷの旅8・弥彦山頂からの眺め

2012-01-15 01:13:09 | 旅行記・その他の地域
居酒屋は、ランチ営業をしているところがある。これが手ごろな値段で、しかも美味いのだ。新津駅前にあった「日本海庄屋」もそうで、ランチ営業をやっていた。
私は店に入り、700円のホリデー・ランチなるものを頼む。
気になる中身は、焼肉、まぐろとサーモンの刺身、玉こんにゃく、白ご飯(もしくは玄米)とみそ汁だった。これは外れのない味である。もちろんどれも美味かったが、いちばんは白米だった。さすが米どころ新潟である。銀シャリ、とはよくいったもので、一粒一粒が輝いており、甘みがあって、本当に美味かった。
大いに満足して、信越本線に乗る。新津発12時27分。と、しばらく走ったところの踏切で信号機の故障があった。遮断機は下りているのに、列車の信号は赤だ。踏切の両側にクルマの列ができている。
車両故障といえば、昭和63年の東北旅行の最終日は、私の乗った東北本線が車両故障でストップしてしまい、後続の電車に押してもらった。何とか宇都宮に到着したが、そのまま私(たち)は新幹線に乗り換えとなり、一風変わったルートで帰京したものだった。
今回の電車は結局、10分ほどの遅れが出た。でも弥彦線への乗り継ぎは14分だから、大丈夫だろう。
東三条へは7分遅れの13時03分に到着。そのまま弥彦線に乗り換えた。
弥彦線の車内では、向かいに座ったセーラー服の女子高生が可憐だった。さすが新潟、美女がふんだんにいる。私が日本全国を旅して、美人が多い県は一に秋田、二に新潟だと思う。ただしピンポイントとなると、長崎県の佐世保市を挙げたい。ウソと思うなら、佐世保駅から少し行ったところにある、四ヶ町商店街に行ってみるとよい。脚がスラッとしたスタイルのいい女子高生が、これでもかというくらい歩いている。
弥彦駅13時56分着。ここ弥彦駅は、いまはどうか知らぬが、かつては女性が駅長をやっており、観光客をうやうやしく迎えてくれた。
きょうは初老の駅員さんが、事務的に切符を回収するだけである。味気ないが、これが本来の姿である。
弥彦駅舎は弥彦神社を模したような入母屋造りになっている。神社の玄関口(駅)には、こうした造りが多い。私は駅舎を撮るのが好きだが、私でなくても、思わず撮影したくなる駅舎である。
定跡として、駅で観光案内のパンフレットをもらう。温泉も湧いているので、「初詣」のあとは一風呂浴びたい。まったく、最近はすっかり温泉ハンターになってしまった。だけど温泉にでも入らないと、寒くてかなわない。
弥彦神社までは徒歩で10分ほど。ぶらぶら歩いて行くと、妙な行列があった。和菓子店の看板を見ると、「パンダ焼き」とある。昨年12月14日放送のテレビ東京系「いい旅夢気分」で、里見浩太朗と林家三平が新潟を旅行したのだが、そのときこの店を訪れている。この「パンダ焼き」なるものが何かのグランプリを受賞したとかで、一躍有名になったらしいのだ。
それを黄門様が食したのだから、さらにハクが付いたわけだ。名物に群がるのは日本人の習性であるが、私は並んでまでパンダ焼きを食べたくないので、観光客を横目に先へ急ぐ。
蛇足だが、宏美が食べたい、と言えば、もちろん並ぶ。
今度は温泉まんじゅうを売っている店がある。たしかこの店だったか、以前訪れたとき、まんじゅうを1個だけ所望したら、うちは箱売りしかしていません、と断られたことがある。
ところがそのやりとりを見ていた地元のお母さんが、私にまんじゅうを1個くれたのだ。旅先での親切に、涙が出るほどうれしかった。
弥彦神社に着いた。神社内に入り、本殿に向かう。木々は雪をかぶっているが、それが風にあおられてハラハラと落ちる。メガネを掛けている者には、水滴は敵だ。
本殿に着くと、何ということか、賽銭箱のあるところまで、数メートルの行列ができていた。お、お詣りするのも順番待ちをしなくてはならないのか!
バカバカしい。並んでまでお賽銭を放りたかねぇや、と私は踵を返す。
その代わり、というわけではないが、おみくじを引いた。「中吉」だった。

吹く風に 沖辺の波の 高けれど
   心静けき 我港かな

大吉ならなおよいが、中吉でもまあよい。問題は「恋愛」の項だ。
「思うだけでは駄目」
……。分かってんだよ! 分かってんだよそんなことは! だけど告白してうまくいってりゃ、こんな苦労はしねぇんだよ!
と、神様に八つ当たりしてもしょうがない。しかし今回のご宣託、前もどこかのおみくじでこんなことが書かれていた記憶がある。
弥彦神社のご朱印をもらう。300円。
このあとは、ロープウェイで弥彦山に登ってみたいと思う。ロープウェイの入口までは無料シャトルバスが走っていたが、なかなか来ないので、歩いて向かう。私はかなり短気である。
窓口で切符を買うと、「弥彦温泉 さくら湯」の割引券をくれた。「さくら湯」は、これも里見浩太朗と林家三平が入った温泉で、解放感のある露天風呂が印象的だった。私も浸かってみたいが、さくら湯は駅の反対側で、しかも距離がありそうだ。
どうしたものか、と思案しながら、ロープウェイに乗った。
5分で山頂駅に着く。弥彦山は634メートル。東京スカイツリーと同じ高さで、弥彦山もそれをアピールしている。ちなみにウチの家の2階からは、東京スカイツリーが見える。
山頂駅のすぐ前は展望場になっていて、すぐ前に冬の日本海が見えた。素晴らしい!! 波は穏やかだか、何人も寄せ付けない荘厳さも秘めていて、神秘の表情が見て取れた。
山頂駅、といっても本当の山頂はまだ数十メートル上だが、頂上まで行く気はないので、展望レストランが入っている3階建ての建物の、屋上に行く。
これがまた素晴らしい眺めだった。前述のように、前を見れば冬の日本海、振り返れば越後平野が見渡せる。海と陸、これほどコントラストがはっきりした景色を観るのは初めてだ。広島・厳島神社の山頂から見る瀬戸内海も素晴らしかったが、明確な対比、という意味では、弥彦山に軍配が上がる。
体感温度は氷点下だったと思う。しかし私は、長い歳月が造った対比の妙に感激し、いつまでもそこに佇んでいた。
(つづく)
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冬の青春18きっぷの旅7・「角館の美女」に会った日に降りた駅

2012-01-14 21:29:58 | 旅行記・その他の地域
バスの車内から、宿やレストランの案内板が見える。それらが一様に、白地に焦げ茶か、焦げ茶に白抜き文字だった。なるほど…と思った。つまり那須高原一帯は、看板の色を焦げ茶と白に統一しているのだ。
右手にローソンが見えてきた。そのロゴは、やはり白地に焦げ茶である。間違いない。地味な配色で、少しでも周りの景色に溶け込ませようとの配慮である。熊本県の黒川温泉は看板の類が一切ないと聞いたことがあるが、とにかく、街のこうした姿勢は清々しいと思った。
16時55分、定刻より5分早く、黒磯駅前着。すぐに17時06分発の郡山行きに乗り換える。
18時07分、郡山着。この駅に初めて降りたのは、昭和63年9月2日である。このとき私は10日間の東北旅行中で、郡山は、東京のバイト先でいっしょになった2学年上の友人が、就職のためUターンしていた場所だった。
私が彼に、東北を旅行すると伝えると、是非ウチに寄ってくれということになり、旅行のラス前にお邪魔することになった。それが前述の日にちだったというわけである。
この日の昼、私は秋田県角館を観光していた。ある武家屋敷を出ると、地元のひとと思しき女性が、自転車で私の前を通り過ぎるところだった。
角館は美女の本場といわれる。地元の女性をカメラに収めたいという下心が満々だった私は、思わず彼女に声を掛けた。
「はい?」と止まってくれた彼女は、私がいままで見たことのない大変な美人で、私は彼女に一目惚れをしてしまった。
彼女――千葉郁子さんは快く写真を撮らせてくれた上、そのまま周辺を案内してくれた。思わぬ展開に私はボーッとし、放心状態で角館を後にした。郁子さん…。彼女のことで頭がいっぱいのまま、私は郡山に向かったのだった。
もしあの日、友人との約束がなかったら、その日に角館を訪れていたかどうか分からない。いや訪れていたとしても、「角館の美女」には会えなかった。そう考えるとあの郡山行きは、私の人生のターニングポイントだった。
というわけで、その郡山で夕食を摂る。
駅を出ると、目の前にアーケード街の入口があった。その袂には牛丼の松屋があるが、さすがにパスである。
アーケード街に入ると、シャレた中華料理店があるので、入ってみた。店の奥に通される。なかなかいい雰囲気の店だ。
女性店員はチャイナドレスを着用、支配人と思しき男性は日本語がたどたどしく、出されたお茶はジャスミンティー。これは本格中華料理店だと思った。
表のガラスケースにあった、広東風うま煮そば(756円)を注文する。これが野菜と海鮮がいっぱい入っていて、美味だった。ただ、麺が「細麺・縮れ麺」だったので、具のパワーに負けていた。「太麺・ストレート麺」の方が、具にマッチしていたと思う。
いずれにしてもこの料理なら、東京なら945円で出しても、客は満足するだろう。
旅先で安くて美味しい食事処を見つけることは、旅の醍醐味のひとつである。ちょっといい店を見つけて、私はとてもいい気分になった。
郡山からは磐越西線に乗る。19時03分郡山発、きょうの宿泊地である会津若松には、定刻を3分遅れの20時17分に着いた。
宿はビジネスホテルだから何時にチャックインしてもいいのだが、今夜は9時から、テレビ朝日系「土曜ワイド劇場35周年記念スペシャル・タクシードライバーの推理日誌」を観なければならない。自由気ままな旅ではあるが、けっこう際どい乗り継ぎだった。
「HOTEL α-1会津若松」に旅装を解く。フロントで、きょうの朝刊、おしぼり、ホッカイロをいただく。なかなか手厚いサービスである。
部屋に入ると、待望のパソコンは、キーボードとマウスがコードレスだった。モニター画面はテレビと共用で、リモコンのボタンで切り替えをする。
私は左目でテレビを観て、右目でブログを書くつもりだったので、ちょっと予定が狂った。もっともあす更新分のブログは、あらかた書いてある。
きょうは「タクシードライバー」と「特命係長只野仁・最終回スペシャル」をゆっくり楽しむことにする。
もうひとつ、このホテルには有料テレビシアターのサービス(1,000円)があったが、以上の理由で、利用はあすに回した。あすも同じ系列のホテルに泊まるので、ここと同じプログラムが流れるのだろう。

翌8日(日)。本当なら5時59分発の只見線で小出に抜けるはずだったのだが、只見-大白川間が不通なので予定を変更し、引き続き磐越西線に乗り、弥彦神社へ向かうことにする。2泊3日の行程は「∞」だったが、「○」のようなルートになってしまった。
しかし朝は余裕ができて、8時12分の列車でよくなった。約2時間の寝坊は大きい。ただし朝食は摂っていない。
会津若松駅構内に入る。新津行きの列車はキハ40。私の好きな車両である。
定刻、会津若松発。ちなみに会津若松では観光なし。ただの中継点になってしまった。
新津には11時37分到着予定である。この間が何キロあるのか知らないが、所用時間3時間25分とは、けっこう時間がかかる。
喜多方着。ここから日中線という超ローカル線が分岐していたが、昭和59年に廃止された。現JR東日本は、国鉄再建法の措置による廃線は比較的少なかったが、1日に上下3本しか走っていない日中線は、廃止するよりなかったようである。
野沢着。ここで27分待ちとのこと。東京だったら、自宅最寄駅からLPSAのある田町駅に、余裕で着いてしまう。私は駅をいったん出て、駅舎を写真に収めた。
再び列車は走る。しばらくすると、右手に大河が寄り添ってきた。阿賀野川だろうか。川と山とのコントラストが素晴らしい。いままで観たことのない絶景である。京都の嵯峨野鉄道ではないが、ここにトロッコ列車の類を走らせたら、さぞや受けるであろう。
と思いきや、この区間はすでに、「SLばんえつ号」が走っていたのだった。
津川着。ここも17分の待ち合わせ。私はまた列車を出て一息つく。こののんびり旅がローカル線の醍醐味であろう。駅の跨線橋内に、ポスターが貼られている。
「1月8日、新発田でお雑煮大会」
とある。大いに食指をそそられるが、きょうは寄り道はできない。
五十島(いがしま)で10分待ち。これだけたびたび列車待ちがあっては、3時間以上もかかるわけだ。さすがに私も、今度は列車の中でじっとしていた。
五泉(ごせん)着。ここからかつて、蒲原鉄道という小鉄道が走っていたが、やはり廃止されてしまった。廃止と聞いて乗りに行ったのだが、あのころの私は活動的だったと、あらためて思う。
11時37分、新津着。新津は鉄道の町で、JR東日本の車両製造所がある。もうだいぶ昔、新津駅構内で、ステンレス製の総武線車両が試運転していたのを見て、驚き感動したことがある。
何はともあれ、メシである。駅を出た右手に、オッと思う店があった。それは私が、かねてから入ってみたい類の店であった。
(つづく)
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冬の青春18きっぷの旅6・那須高原に行く

2012-01-13 00:40:06 | 旅行記・その他の地域
7日(土)は午前9時半ごろに起きた。きょうの宿は会津若松なので、鈍行列車の利用といえども、時間的にはだいぶ余裕がある。
日本テレビ系の「ぶらり途中下車の旅」を観始めたら、家を出るタイミングを逸してしまった。「ぶらり」は、偶然を装う演出がハナにつくときがあるが、遠くに行くばかりが旅ではない、を実感させてくれる番組である。もっともきょうは、「富士急行」の旅だったが。
10時10分ごろ、家を出た。山手線を利用し、まずは上野に行く。「山手線を利用する――」。これは一種のステータスなのかもしれないが、こんなもの、何の自慢にもならない。
東北本線(宇都宮線)の10時35分発があったので、これに乗る。きょうは雲ひとつない快晴で、旅行日和だ。赤羽に着いた。赤羽の次は、東北本線だと浦和だが、京浜東北線だと川口だ。この数時間後に、川口では「大野教室」が開かれるが、私は休む。別に予約制ではないので、休んだって、なんの後ろめたさもない。
11時41分、古河(こが)着。そしてこの電車が古河止まりだった。
古河は本田小百合女流二段の出身地ではなかったか(と旅行時は思っていたのだが、実際は熊倉紫野女流初段。本田女流二段は水戸市出身だった)。下車して街をぶらぶら歩けば、本田女流二段に会えそうな気もするが(訂正好きの方のために重ねて書けば、旅行時はそう錯覚していた)、さすがに先を急ぎたいので、後続の電車に乗る。
古河発11時48分。この電車は上野の始発だったのだろうか。まあどっちでもよい。
小山(おやま)12時02分着。ここから常磐線友部に至る水戸線が分岐していて、この線は未乗だから乗ってみたいのだが、北へ向かわねばならないから、やはり先へ急ぐ。
石橋、という駅がある。ここも下車したいが、飯田線の中井侍で下車しなかったのに、ここで下りるわけにはいかない。物事には順序というものがある(なお「中井」という駅なら、東京都新宿区にある。この一文を書いておかないと、指摘好きの人からいらん指摘が来るので、あえて記しておく)。
12時29分、宇都宮着。浜松でも餃子を食したことだし、昼どきだから下車して、宇都宮餃子も食したいが、前日の夕食は餃子だったから、パスとする。それに宇都宮は将棋イベントでも訪れたことがあり、まだ旅情を感じない。
8分の接続で次の電車にリレーする。これは黒磯行き。黒磯は、駅構内で直流から交流へと変換されるので、普通電車は乗り換えを余儀なくされる。今回はそれを逆手に取り、黒磯で下車して那須高原までバスで行き、立ち寄り湯を楽しもうというハラだ。
黒磯13時27分着。ここまでが「愛称・宇都宮線」である。
駅の観光案内所で観光パンフレットをもらい、適当な観光ルートを聞く。
次のバスは14時10分なので、駅前の食堂「ふよう」で昼食を摂る。900円の「ふよう定食」なるものを注文した。小もりそば、芋をベースにした野菜コロッケ、サラダ、漬物に玄米という、ヘルシーなメニューである。時間もあるのでゆっくりと咀嚼すると、なかなか上品な味だった。
惜しむらくは、私ひとりでの食事だったこと。相手がいれば、「この味なかなかいいね」とか会話が弾むのだが。宏美。
定刻を4分すぎ、東野バスで那須湯本のバス停まで向かう。ところでこの「東野」は「ひがしの」でもなく「とうの」でもなく、「とうや」と読む。日本語はまことに難しい。
バスは山道をひたすら登る。この感じ、北海道の美瑛から白金温泉に向かったときの感じとよく似ていた。
道の両側には、シャレたレストランがいくつも林立している。博物館などの観光施設もいくつかある。それで思ったのだが、ここら一帯はマイカーなどで、あっちこっち見学しながら登っていくのがいいようだ。バスは本数が限られているから、融通が利かない。
さらに加えれば、ここ一帯は避暑地の趣があり、訪れるのは夏がベストだと思う。冬の真っ只中に温泉に入りに来る旅行者は珍しいと思う。
14時46分、那須湯本着。駅でもらったパンフレットの中に、「温泉500円券」があり、これを提示すると、500円以上の温泉も、500円になるのだ。
ここ一帯は山の中腹にあり、ひょうびょうとした那須高原が一望できる。ほのかに雪化粧をしていて、厳粛な気持ちになる。
バス停の近くにある、とある温泉ホテルを目指す。ホテルに着いて、ロビーで「どん!」と「500円券」を見せると、これは当ホテルでは実施しておりません、の返事。
すっかり気まずくなって、私はすごすごとホテルを後にする。その先の「那須ビューパレスホテル」を目指した。何度か道を間違えたが、なんとか到着した。
ロビーにて、今度は恐る恐る、500円券を見せる。今度はOKで、これでいよいよ那須温泉に入れることになった。
最近の旅行では温泉づいているが、冬の外は寒いから、観光をする気分にはなれない。雪まつりでもあれば別だが、それは2月だ。
ここの温泉も、もちろん露天風呂付きである。どうも最近では、露天風呂がないと温泉にあらず、と思うようになってしまった。
さっそく露天風呂に浸かる。長崎県伊王島や静岡県三島のそれに比べて、ちょっと熱めのような気がした。もっともこのくらいが、適度な温度なのだろう。
温泉といえば、西の岩根忍、東の中倉宏美だろう。中井広恵という手もなくはないが、決め手に欠ける。ここは中倉宏美が本手である。
いったん出て体を洗い、再び露天風呂に浸かると、2人組の男性が入ってきた。塀の向こうにそれぞれ相方がいるらしく、何やら話をしている。これを微笑ましいと思うか面白くないと思うか。私は後者である。
相方との談笑も終わり、その2人が今度は、温泉の温度はどのくらいが適当かを話し始めた。
「露天風呂の温度調整は難しいですね。あまり熱いとすぐ出たくなるから、少しぬるめで、いつまでも浸かっていられるのがいいですナ。この温泉はちょうどいい」
たしかにごもっともだが、前述したように、この露天風呂は少し熱いと思う。まあ、どっちでもいいのだが。
帰り道では小雪が舞っていたが、芯から温まったので、湯ざめはしなかった。
大いに満足して、16時25分の黒磯駅行きバスに乗る。
しばらく走ると、車窓からコンビニのセブンイレブンが見えた。しかしその看板が、白地に焦げ茶の配色である。これはセブンイレブン、何か新ブランドのコンビニでも始めたのだろうか。
しかしこの配色には、ちゃんとした意味があることが分かった。
(つづく)
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冬の青春18きっぷの旅5・旅に出るまで

2012-01-12 00:43:24 | 旅行記・その他の地域
「冬の青春18きっぷ旅行」後編は、1月7日(土)~9日(月・祝)だ。旅行は、予定を立てているときがいちばん楽しい。時刻表を繰り、脳内で仮想旅行を行い、イメージを膨らませる。これが旅行の醍醐味といっても過言ではない。
今回の旅行では石川県の能登金剛・ヤセの断崖を訪ねてみようと思った。
ヤセの断崖は、松本清張「ゼロの焦点」の舞台にもなった名所で、現在ある2時間サスペンスドラマの、終盤の岩場でのシーンは、ここがルーツだといわれている。2時間ドラマおたくの私としては、一度は訪れておきたいところである。
また石川県の隣は福井県で、道端ジェシカ、アンジェリカの出身地でもある。ふだん彼女らにお世話になっている私としては、合わせて福井も、表敬訪問しておきたいところであった。
ところが2009年5月号の時刻表を繰ると、ヤセの断崖には七尾線羽咋(はくい)駅からバスを乗り継いで行くのだが、バスの便がほとんどない。しかも現在は冬期なので、遊覧船も欠航している。さらに根本的な問題として、鈍行列車を使っての2泊3日の旅では、往復するだけでも無理があることが分かった。
残念ではあるが、ヤセの断崖、福井県ともまたの機会と諦め、ほかをあたることにした。
今年の東北や日本海沿いは、豪雪だという。そこで、やや不謹慎ではあるが、ここ一帯をローカル線で走り、車窓から雪景色を堪能しようと思った。
豪雪地帯を走る路線といえば、只見線と飯山線である。只見線は、福島県の会津若松と新潟県の小出を結ぶ超ローカル線で、一部区間では上下3本しか列車が走らない。
飯山線は長野県豊野と新潟県越後川口を結ぶローカル線で、こちらも降雪量が多い。
今回の旅行は、この2線をメインで考えることにした。
双方の位置関係から考えると、只見線会津若松から南下し、飯山線の豊野をゴールにしたほうがよい。
只見線の列車本数は少ないから、どの列車を利用するかだが、会津若松13時08分発の列車に乗るには、自宅を早い時間に出なければならない。飛行機を利用するんじゃあるまいし、こんな早い時間にあくせく家を出たくない。
そこで必然的に、会津若松5時59分発の一番列車を利用することになる。家での早起きはイヤだが、旅先の早起きは苦にならない?のだ。またこれなら、陽のあるうちに、飯山線も全線走破できる。
すなわち――初日は東北本線のどこかで途中下車し、立ち寄り温泉にでも浸かって会津若松に余裕で着く。その日は早寝して、翌日に備えるのだ。
2日目は只見線と飯山線を堪能する。これで2日間のスケジュールはあらかた決まった。
さて3日目はどうするか。正月にオフクロが、ツアー旅行のチラシを見てつぶやいていたところによると、長野付近のローカル線が、どこか廃止になるという。鉄道マニアとしては廃線前に思い出乗車しておきたいし、実際そんなことをしたこともあるのだが、あれは余命いくばくもない友を見舞うようで、どうも湿っぽくていけない。
私は都内で初詣をせず、いつも旅先で済ませる癖がある。そこで3日目は、新潟県の弥彦神社をお詣りすることにした。そこから上野まで一気に下れば、その日のうちに帰京できる。
これで今回の旅行ルートはあらかた完成した。ちょっと変則的だが、「∞」のようなルートである。
残るは宿の選定である。初日は会津若松で泊まるとして、問題は2日目だ。飯山線豊野から信越本線で日本海側に出ると、そこに直江津という、よく聞く地名の駅がある。2日目はここで泊まろうと思い、ネットでビジネスホテルを探す。
すると、「HOTEL α-1上越」が、手ごろな価格ながら、全室内にパソコンを設置していることが分かった。パソコンはもちろん無料で使える。これはブログを書くのに好都合で、私のためにあるホテルだと思った。
嬉々として1月8日の予約を入れ、会津若松のほうも見る。すると、同じ「α-1グループ」のホテルがあり、やはり室内にパソコンの設置があった。いいぞいいぞと、ここも予約を入れる。
旅行では、宿が決まれば心が落ち着く。あとは7日を待つばかりだが、前述のとおり、時刻表は3年前のものを繰ったので、最新の情報を仕入れる必要がある。このところ私はルーズで、時刻表を持たずに旅行する。先月の九州旅行も、時刻表は携行しなかった。
スマホとパソコンで只見線の一番列車を調べると、それは5時59分で、3年前から変更はなかった。ところがその列車が、会津川口から、代行バスになっている。どうも、昨年この一帯に大雨があったらしく、一部区間の列車が不通になっているようなのだ。しかもこの代行バスが、只見止まりである。
私は只見から先を検索してみるが、どうもはっきりしない。只見→小出で検索すると、只見線は会津若松へ引き返し、新潟へ出た後、上越新幹線と在来線を使って、小出まで達するのだ。
どうしてこんなまわりくどいルートを取るのだ?? 只見から小出なら、只見線を走ればいいじゃないか。
怪訝に思った私は、なおも検索する。
すると、只見-大白川20.8キロは、代行バスも走っていないのだった。
なんで代行バスを走らせないのか!? 大いに不可解だったが、いまではその謎が解ける。
只見線は豪雪地帯を走るので、冬期は並行して走る一部国道が閉鎖される。その間は只見線が唯一の足になるわけで、超ローカル線がいまも生き長らえてこられた理由も、ここにある。つまり列車より先に国道が閉鎖されているのだから、代行バスを走らせようにも、走らせようがないのだ。もちろん大雨による影響が、国道にも出ているのだろう。こんなもの、最新の時刻表を持っていれば、すぐに分かったことである。時刻表を持たない弊害が、ここに出た。
とにかく、それほどの雪が降るから只見線に乗りたかったわけだが、一部区間が不通で引き返さざるを得ないようでは、旅行の行程が根底から崩れる。しかも間の悪いことに、いつもなら行きあたりばったりの旅行なのに、今回に限って、2日分の宿を決めてしまっているのだ。
現在は6日(金)の夜である。いまから宿のキャンセルはできないし、そもそも一度決めた宿は変えない主義である。
どうしようか…。大いに悩んだまま、とりあえず私は布団にもぐりこんだ。
(つづく)
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