一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

ジョナ研2012(後編)

2012-01-21 00:10:39 | ジョナ研
将棋は私の横歩取らせに進行する。▲2四同飛に△2三歩が温故知新の一手。R氏の▲3四飛に、私は角を換わって△2五角。以下▲3二飛成△同銀▲3八金と進んだが、ここは▲3八銀がよかったようだ。以下は私が辛勝した。
続けてFuj氏と対局をしそうになったが、Kaz氏と指すことになる。大沢さんと指せて感激です、とかKaz氏が言う。対戦成績はこっちが悪いだけに、どうも調子が狂う。R氏とFuj氏も将棋を指し始める。将棋バカばっかり。
振ってKaz氏の先手となった。▲7六歩△8四歩▲2六歩。こちらが矢倉を所望したのに、あちらは横歩取りを臭わせてきた。▲2四同飛に、私は前局と同じく「△2三歩~△2五角」。これにKaz氏が▲3六飛と引いたのが用意の手。「米長の将棋」には疑問手と書かれているが、羽生善治王位・棋聖が指したこともあり、立派な手である。
△3六同角▲同歩△2七飛▲3八銀△2五飛成▲1六歩△7二銀▲2七角。生角を打たせて後手指せると思ったのだが、歩切れが痛い。
Kaz氏が▲3七桂と跳んだのを隙と見た私は、△2七竜と、角と刺し違え、返す刀で△2八角。これで桂か香のどちらかを取れるから十分と考えていたのだが、Kaz氏に▲3八金と桂を守られて誤算に気づいた。
私は△1九角成だが、次の▲4九飛が厳しい。そうしたら△1七香とでも打つしかないと思っていたら、Kaz氏は▲2六角。△6二金なら、そこで▲4九飛と打とうというものだ。そのときに角の利きで、△1七香と打てない。
ダメだこれ…。ひどい将棋でした、と私は投了した。
しかしいま考えてみると、この局面で△2四香と打ち、▲2五歩△同香▲同桂△4六馬、とする手はあったと思う。▲5三角成△5二歩▲2六馬となるのだろうが、△2四歩から桂を取り切れば、まだまだだ。
実際は△4六馬でも私が相当悪いのだが、いずれにしても、ここで投了するのは相手に失礼だった。不甲斐ない将棋を指してしまい、Kaz氏にはお詫び申しあげる。
このあとは5人で雑談。昨年末のジョナ研のあとは、他人と話すことは皆無だったので、自分の話術がサビついていないか不安だったが、まずます快調だった。
「最近の大沢さんのブログ、面白くないんだもん」
W氏が苦言を呈す。なおも畳みかけてくる。
「やっぱり昔のエロエロのほうが面白かったね」
「だからこのところは、来るコメントも少ないでしょ?」
「最近は旅行記ばかりだから、『将棋雑記』のタイトルを変えたほうがいいんじゃない?」
「だから、面白いネタを書くためにも、もっと大野教室に行かなきゃダメだよ」
いちいちうるさいが、最近の当ブログはたしかに面白くない。文章に艶がない。筆が冴えていたのは、2010年の春から秋にかけてだろう。あのころは本当に、毎日が楽しかった。それが文章に反映されていた。まあしかし、いろいろ波があるのは仕方ないことだ。
15日(日)の、「大野教室」の新年会に誘われるが、当日は所用があり、丁重にお断りする。大野八一雄七段のほかに植山悦行七段、中井広恵女流六段も参加予定で、カラオケパーティーやボウリング大会があり盛会が予想されるが、無理なものは無理だ。
Kaz氏が、大沢さんに伝えなきゃならないことがあります、とあらたまって言う。聞くと、先日の「一公ブログカルトクイズ」で全問正解したとコメントしたのだが、実は1問間違えていたという。「女流棋士ファンランキング」で唯一ランクインした女性アマを、鈴木真里さんと解答してしまったという。
いうまでもないが、この正解は成田弥穂さんである。私が長身の女性を好みなのを知っていれば、この問題は容易だったはずだ。
今夜は全問正解のご褒美として、Kaz氏に食事をご馳走するつもりだったが、これではダメである。
ちなみにこのカルトクイズ、W氏は過去エントリを調べなくても、私が上田初美女王に放った鬼手「▲9三銀」以外は、すべて正解だったという。さすがだ。
雑談は続く。みんなの話は新鮮ネタ満載で面白く、久しぶりに楽しい時間だ。
気がつけば、11時半になっていた。私はまだ10時半ごろかと思っていた。残念だが、このあたりでお開きである。
さて3週間ぶりのジョナ研だったが、年を跨いだので、かなり久しぶりの感があった。しかしやっぱり、ジョナ研は最高だった。
最近は肉体的衰えを痛切に感じるようになって、人生も半ば投げているのだが、こうした会でストレスを発散させると、もう1日だけ…いやもう1週間だけ、頑張ってみようかという気になる。
とにかく、ようやく私の2012年が明けたという感じである。ジョナ研のメンバーには今年も迷惑を掛けるが、何卒よろしくお願いいたします。
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ジョナ研2012(前編)

2012-01-20 00:21:52 | ジョナ研
13日(金)は、今年最初のジョナ研があった。季節や年が変わると、人間関係や習慣が変わることがあるが、ジョナ研は今年も定期的に開かれるようで、まずはホッとする。
あらためて説明するまでもないが、ジョナ研とはジョナサン研究会の略で、旧LPSA金曜サロンが終わった後、みんなでファミレスのジョナサンへ行き、将棋談議に花を咲かせていたのがルーツである。
その後LPSAの移転に伴い金曜サロンも消滅したが、ジョナサンの雰囲気を懐かしむ有志が、その後もジョナサンに自然に集うようになったわけであった。
「研究会」とは、もちろん将棋の研究のことで、私たちはファミレスにもかかわらず、将棋盤を出して将棋の研究もしてしまうのだ。それを大目に見てくれている駒込ジョナサンには、本当に感謝している。
また駒込ジョナサンにはT・Ayakoさんという、沖縄出身のウェイトレスさんがいる。彼女は私たちのマドンナ的存在で、一応、私が彼女を狙っている、ということになっている。一度彼女と飲みに行く約束を取り付けたのだが、ドタキャンされた。彼女とメアド交換をするためにケータイも購入したのだが、その目的は果たせず、いまのところ宝の持ち腐れとなっている。
中井広恵女流六段とメアド交換はできたが、それだけが収穫とあっては、毎月の通信費に見合っていない。

きょうは午後7時にジョナサンに入った。別のウェイトレスさんが「(先客は)あちらです」と言った。彼女にも私の顔を憶えてもらった、ということだ。これはうれしい。女流棋士が自分のファンを増やすにはどうすればいいか。一度会った人の顔と名前を、しっかり憶えればよい。これは営業のすべてに通ずるものである。
先客はHon氏のみ。「Honちゃーん、今年もよろしくー!!」と型通りの挨拶をする。
Hon氏とふたりならではの雑談をする。サシだと、同じジョナ研でも、相手次第で話題が変わる。将棋と同じだ。切ない毎日を送っているHon氏、そのHon氏とは相哀れむ仲で、彼と話していると本当に癒される。きょうもそうだった。
30分ほど経って、Kaz氏が来た。Kaz氏にも新年の挨拶をしておく。
さらにKun氏も来た。しばらく経ってFuj氏も来る。着々とメンバーが揃っていく。Fuj氏は金曜サロンの会員ではないが、すっかりジョナ研に定着した。
ところでジョナ研の顔であるW氏の姿がない。きょうはR氏とともに、LPSA芝浦サロンで中倉彰子女流初段・宏美女流二段に将棋を教わっているのだ。
時刻は7時56分。Fuj氏が、
「WさんとRさんは遅くなるでしょうねえ。宏美さんにお代わり対局を申し込んでいるだろうから」
と言う。
「中倉シスターズと対局はしているだろうけど、同じ人にお代わりはしないよ」
私は返す。
「そうですか? でも、こっちに来るのは遅くなるんじゃないですか?」
しかしFuj氏は信じない。オレの言ってることが分かんねえかなあ。
「5時から宏美さんと指導対局やるだろ? それが7時ごろに終わって、こっちに来るまで1時間。だからもう来るよ、ホラッ!!」
と、私は左手の人差し指を、入口のほうに向けた。
「アアアッ!!」
Kun氏が大仰に驚く。そ、そんな驚かなくても…。私もつられて入口を見る。
「アアアッ!!」
私の人差し指の先に、入店したW氏とR氏の姿があり、言った私が驚いた。呆気に取られるFuj氏。恐れ入りました、とその顔に書いてあった。
これで今夜の全メンバーがそろった。では席の配置を記そう。

     壁
Kaz R Hon Kun

  Fuj 一公 W

食事を終えて適当に雑談していると、Fuj氏が、何かの紙片を出した。ジョナ研の参加メンバーは毎回微妙に変わっていて、いままで同じメンバーの会合はあったのだろうか、と、私がFuj氏に調べを依頼したことがあったのだ。こんなもの自分で調べればいいのだが、私はそんな面倒臭いことはしない。そしてそれを、Fuj氏が当ブログを見ながら律義に調べ、その出欠状況を一覧にしてきてくれた、というわけであった。
一目見て、驚いた。何と、出席率No.1は、私でもW氏でもなくKun氏で、皆勤だった。私やW氏も、2、3回休んでいる。
そういえば、昨年秋の「ふたりジョナ研」も「3人ジョナ研」も、Kun氏はいた。Kun氏、熱いな…。
「私は会社の帰り道だからねえ」
とKun氏は苦笑するが、Kun氏だって会社では結構な地位に就いているし、毎回参加というのはなかなかできないことである。私たちジョナ研メンバーでは、Kun氏は比較的まともな将棋ファンという位置づけだったが、これはKun氏、一気に将棋バカの仲間入りをしてしまった。
なお、いままでのジョナ研では、Fuj氏の報告によると、同一メンバーの参加は皆無とのことだった。またFuj氏は、大野教室の食事会参加状況まで調べあげた。こちらの要望以上の仕事をする。素晴らしい心掛けである。Fuj氏に感謝したい。
R氏が、将棋の研究を始める。R氏も相変わらず将棋に熱い。その情熱が羨ましい。
席の移動があって、私の向かいにきたW氏に、芝浦サロンでの将棋を並べてもらう。まずはピュアピュア彰子女流初段。W氏はアマ1級の棋力だが、女流棋士と平手で指す。それでけっこういい勝負になるのがよく分からない。W氏、実は「女流1級」の棋力じゃないか? という噂もある。
彰子女流初段、W氏が中飛車から速攻の気配を見せているのに、「何としても穴熊」で、けっきょく潜ってしまった。このへんの感覚が私には理解できない。
続いてクリーミー宏美女流二段の将棋も見せてもらう。
W氏が、今年の宏美女流二段は気合が入っている、と言う。将棋を見ると、いつもの宏美女流二段の将棋とは一味違っていた。宏美女流二段の「ワタシ、将棋の勉強します」は毎度のことだが、今回は信じていいようである。
ところで、Ayakoさんの姿がない。W氏が、Ayakoさんはシフトが変わったかもしれない、とイヤなことを言う。だがたしかに、前回のジョナ研でもAyakoさんは休みだったし、それはあり得る。お互い何の挨拶もないまま、私とAyakoさんは別れてしまうのだろうか。

9時半になり、Kun氏、Hon氏と相次いで退席した。おふたりには今年もお世話になるだろう。
ヒトの将棋を見ていると、自分も指したくなるものだ。R氏の研究が終わったので、私が実戦を所望する。
R氏は今年すでに何局か指しているが、私はこれが指し初めである。R氏の先手で、▲7六歩に、私は△3四歩。これが2012年の、私の第1手だった。
(つづく)
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島井咲緒里女流初段、女流二段に昇段!!

2012-01-19 00:30:58 | 女流棋士
去る16日(月)の女流名人位戦予選・長沢千和子(ちかこ)女流四段対島井咲緒里女流初段(LPSA所属)は、不戦で島井女流初段の勝ち。島井女流初段は勝ち星規定により、女流二段に昇段した。
私も覚えがあるのだが、昇級・昇段すると、同じ段位の人を抜いたことになり、すこぶる気分がいいのだ。今回は女流棋士会の現役女流初段11人、LPSAの女流初段3人を抜いての女流二段昇段だった。不戦勝での昇段は聞いたことがないが、前例はあるのだろうか。ともかくめでたい。
その島井新女流二段、今期は公式戦も好調のようである。この勝利で6勝目。甚だレベルが低いが、石橋幸緒女流四段、中井広恵女流六段に次いでの稼ぎ頭である。6勝といえども、そのほかのLPSA現役女流棋士8人の平均勝ち星が1.5勝(17日現在)だから、これは大変な数字なのである。
その好調の秘密は、ご主人の横山泰明五段にある気がする。夫婦棋士は、夫婦ゲンカのもとになるので、いっしょに勉強をしないと聞いたことがあるが、横山・島井夫妻は、けっこうふたりで研究をしている気がする。今後もこの調子で頑張ってもらいたい。
なお、島井女流二段と私の「チョコレート勝負」はまだ続いている。今月はちょっとアレだが、また機会を見つけて、勝負を挑もうと思っている。
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冬の青春18きっぷの旅11・これからも楽しいことばかり

2012-01-18 00:20:40 | 旅行記・その他の地域
大相撲初場所10日目、横綱白鵬と関脇鶴竜(かくりゅう)の結びの一番は、鶴竜の快勝。それまでふたりの対戦成績は鶴竜の0勝20敗で、前日にその成績を見た私は、「これじゃあ賭けにもならん」とつぶやいた。しかし結果はかくのごとしだった。これだから勝負事は分からない。

(きのうのつづき)
飯山線は、雪で不通になることがしばしばある。だからこそ貴重な住民の足でもあるのだが、よりによってそれが、旅行日に当たってしまうとは…。
森宮之原からの足がないのはショックだったが、ここで引き返しては、本当に何をしに来たのか分からない。この先どういう展開になるか分からないが、私はとにかく森宮之原行きの列車に乗った。
今度は車内も空いているので、右側のクロスシートに座り、並行して流れる大河を愛でる。きのうもこのあたりは吹雪いたはずで、あたりは足跡ひとつない一面の雪景色である。空は雲ひとつなく真っ青だ。列車は大きくカーブする。白と青、山と川のコントラストが絶妙で、私は思わず息を飲んだ。
この雪景色と列車の写真を撮ろうと、沿線の小高い丘に立つカメラマンが、こちらを狙っている。これはいい写真が撮れるであろう。
ちなみに私は、毎年の年賀状に、その前年の会心ショットをポストカードにしているが、ここ一帯の景色は、その有力候補となるものだった。
定刻を2分遅れて、14時19分、森宮之原着。森宮之原は、戦争末期の昭和20年2月、7m85cmの積雪があった。駅構内にはそれと同じ7m85cmの標柱が立っており、鉄道マニアとしては訪れておきたい駅である。私も下車するのは初めてで、これはいい機会であった。
運転を終えた運転士が、右手をご覧ください、と言った。
「あの除雪車で、現在森宮之原から先の除雪をしております」
私は下車して駅員さんに聞くと、やはり越後川口行きの代替バスはないという。ただ、運休は午前1本、午後1本のみで、この次の列車から正常運転に戻るという。
これは助かった。次の列車は2時間半後の16時54分で、飯山線を愛でるには黄昏時だが、贅沢は言えない。十日町での温泉も不可になったが、やはり文句は言えない。
といっても、標柱を鑑賞すると、ほかにもうやることもない。どこかに食事処はないかと探すが、唯一あった寿司屋は休みである。温泉の類もなさそうだ。
私は諦めて駅前に戻ると、路線バスと思しき大型バスが、駅前に横づけしていた。正面で確認すると、越後湯沢行きだった。
越後湯沢…上越線の駅だったか? そうか…。飯山線をトレースする路線バス(代替バス)はないが、ルートを外れたバスは走っていたのだ。
どうしようか…と迷う。飯山線には乗りたいが、2時間の列車待ちはつらい。私は駅構内に戻り、越後湯沢が上越線であることを再確認すると、いましも発車しようとするバスに飛び乗った。
大型バスはどこかの山を登る。これまた素晴らしい景色だ。雪は深く、道の両側に雪の壁ができた。立山黒部アルペンルートを走っているようだ。
飯山線が運休していなければ、この道は通らなかった。バス代の出費は痛いが、これもひとつの出会いである。
と、前方の席で時刻表を繰っていた青年が、降車ボタンを押した。車内の行き先掲示板は、「石打郵便局」を指している。近くに石打駅があるのだろうか。もし彼が私と同じ青春18きっぷのユーザーなら、少しでもバス代を安くするために、途中で降りる可能性はある。
石打郵便局に着いた。彼と私、それに初老の夫婦も降りた。バス代は780円だった。
石打駅まで行く途中で、ある商店に入り、温泉の有無を聞く。すると、越後湯沢に行けばいっぱいあるが、このあたりはちょっと…という話だった。これは、そのまま終点まで乗ったほうがよかったか。
石打駅に着く。待つこと数分で、上越線の上り列車が来た。これが次の越後湯沢止まり。ちょうどいい、越後湯沢で一風呂浴びることにする。
越後湯沢は上越新幹線の途中駅で、構内には多くの商店が並んでいた。スキーヤーを始め、多くの旅行者がたむろしている。先ほどまで閑散としたローカル線を走っていたから、その落差に困惑する。
定跡どおり、駅西口前の案内所で温泉のありかを聞く。ホテル直営がいいか、共同浴場がいいか聞き返された。この類の質問をかなりされているのか、係の人は、かなり手なれた感じだった。
温泉の前に、腹に何か入れておきたい。へぎそばを食べさせる店があった。うん? この店…。いまから21年前、新卒で入った会社の社員有志でスキーをしに来た際、帰りがけに入った店ではないか? そうだ…間違いない。ということは、越後湯沢で下車したのも21年振りということか。
あのときは、「埼玉の超ウルトラ美女」もいっしょだったのに、私はちっともモーションを起こさなかった。何をやっていたんだと思う。
そのときのスキーは楽しかった。しかし、運動神経のない私がスキーをやるのは、危険だと思った。次にスキーをやったら、確実に私は怪我をすると思った。
その直感に従って、私がスキーをやったのは、それが最初で最後となった。その判断は正しかったと思う。その一方で、「下北半島の美女」を襲ったスキーの悲劇…。いまではすべてが、切ない思い出だ。
店に入ろうかと思うが、へぎそばは2~3人前からだった。
へぎそばは、そばのつなぎに布海苔(ふのり)を使い、一口大にくるくるっと丸めたものを、「へぎ」という板の上に盛りつけたものをいう。1人前のざるそばでも味は同じだろうが、気分としては、くるくるっ、と丸めたものを食したい。中倉宏美女流二段がいっしょなら迷わず入るところだが、ここがひとり旅のつらいところだ。
その隣の店は、けんちんうどんを名物にしているようである。どちらに入るか迷う。やはり温泉を先にするか。今度は東口に出るが、駅構内に立ち食いそば屋があるので、そこでかけそばを食う。290円。
やや高めだが、それゆえに味は期待できると思いきや、いたって普通だった。
共同温泉浴場の江神温泉に入る。400円。この3日間は、すべて温泉に入った。これは初めてのケースである。
洗い場で、自分のたるんだ体を見る。かつて大野八一雄七段は私に、
「ボクは65キロまで減量するから、大沢クンは、75キロまで落とせ」
と言った。秋口には、思わぬ経緯で10キロ近く減量したが、それからリバウンドしてしまった。これでは2、3回続けて失恋をしないと、75キロまで落ちない。
江神温泉を出る。駅に戻る途中にうまいそばを食べさせてくれそうな食堂があったが、準備中だ。
私は再び西口に出る。と、先ほどのへぎそばの店は、大入り満員になっていた。帰りの列車は17時56分が絶対で、これを逃すときょう中に東京に帰れない。
私はその左にある、ラーメン屋に入った。懲りずにラーメンを頼む。きのうから、麺類ばかりだ。
出てきたラーメンは美味かったが、豚の背脂が入っているスープを全部飲みほしたのはどうだったか。後で少し、気持ちわるくなった。
まだ時間があったので、並びにある、シャレた喫茶店に入る。店内は古民家を意識した造りになっていて、安らぎを覚える。魚沼産のお米を売ったりしていて、いろいろ楽しめる構造になっていた。
コーヒーとベイクドチーズケーキのセットを頼む。出されたコーヒーもチーズケーキも美味かったが、コーヒーの器が、タンブラーの形をした焼き物で、まあこれはこれで味があるのだろうが、日本茶を飲んでる感じがして、私はあまり賛同できなかった。コーヒーはやはり、コーヒーカップで飲みたい。
17時56分の上越線に乗る。新幹線は混雑しているのだろうが、こちらはほどよい乗客数だ。
水上、18時34分着。高崎行きに乗り換える。19時39分、高崎着。ここまで来れば、もう大丈夫だ。
17分の待ち合わせで、上野行きの高崎線がある。ホームを移ると、すでに入線していた。しかし車内はガラガラである。それはいいが、ロングシートというのが気に入らない。私はすぐには乗らず、ホームを歩いていると、グリーン車が見えた。
グリーン車、乗っちゃおうか…。私はいったん改札を抜けるとみどりの窓口に入り、上野までのグリーン券を購入した。以前も書いたが、外で買えば750円だが、中で買うと1,000円になってしまう。
5号車に乗車する。と、しばらくしてナナメ後ろに2人組の男性が座った。
彼らはテレビ業界の人なのか、「スズキサワはいいよ」とかしゃべっている。
それはいいが、あまりにも声がでかい。グリーン車を飲み屋と勘違いしているのではなかろうか。周りの乗客に配慮がなさすぎる。オレたちは業界人だから、という驕りのようなものが窺え、私は気分を害した。
私は荷物をまとめ、彼らを一瞥すると、前の車両に移る。グリーン券は座席指定ではないから、融通が利くのだ。
19時54分、高崎線は定刻に出発した。…しかしさっきの普通車両、あまりにもガラガラだったよなと思う。ロングシートにもそれなりの利点はあって、たとえば向かいに美人が座れば、景色と彼女を交互に見ながら時間をつぶせるから、退屈はしない。
まあ世の中そんなにうまくはいかないし、あれから少しは客が乗っただろうが、グリーン車に乗ったうま味をそれほど感じなかったことは確かだ。グリーン券を買ったのは贅沢ではなく、無駄遣いのような気がしてきた。
…という、後ろ向きのことを考えるのは、楽しかった旅行がこれで終わるからであろう。
しかし楽しみが終われば、また作ればいいのだ。13日(金)には今年初めてのジョナ研はあるし、20日(土)・21日(日)には、「大野教室」もある。そして来月には、北海道冬まつりもある。
これからも楽しいことばかりじゃないか。
そう考えて、私はゆっくりと目を閉じた。
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冬の青春18きっぷの旅10・その先がない!!

2012-01-17 01:17:28 | 旅行記・その他の地域
9日(月・祝)は、午前7時半ごろに目が覚めた。きょうも朝食は注文していないので、身支度を整えるとそのままチェックアウトした。
地元の人に道を聞いて、直江津駅に向かう。2泊目の宿泊地でも、観光はなしだ。
8時10分の信越本線に乗る。列車に乗る際、「WONDA Morning Shot」を買った。
きょうの目的は飯山線の乗車である。その始発駅である豊野には、定刻を1分遅れの9時39分に着いた。次の飯山線は10時31分発である。待ち時間が1時間もあるので、直江津の出発を遅らせたかったが、ダイヤの関係上、どうしても叶わなかった。
まあよい、豊野で朝食を摂ることにする。
ところが、ここ豊野でも食堂や喫茶店の類がない。かなり遠くまで足を伸ばしたが、コンビニすらない。これはどうなっているのだろう。
東京に住んでいて、得したこと、損したことは多々あるが、確実に云えるのは、東京は「便利」だということである。ハラが減ったら、牛丼屋でもファーストフードでもコンビニでも、いたるところにその手の店がある。電車に乗るにしても、時刻表はいらない。旅に出ると、皮肉な形で、東京での便利さを実感する。
駅の周りを小1時間散歩して、10時31分、ついに今回の旅のメインイベント・飯山線に乗る。2両連結だ。この列車は長野始発なので、すでに乗客がいるが、けっこうな乗車率である。4人掛けと2人掛けのクロスシートだが、全部に人が座っている。仕方なく私は、ロングシートの席に座った。ちょっとおもしろくない。
しかしきょうは快晴で、車窓からの眺めは最高だ。眼下に流れている大河は信濃川か、千曲川か。ただ、反対側の窓まで距離があるので、やや見にくい。
このまま乗れば終点の越後川口まで行くが、そんなに早く飯山線を走破してはおもしろくない。どこかで途中下車したいが、それは戸狩野沢温泉がいいか、十日町がいいか。
もうすぐ戸狩野沢温泉に着くが、いま乗っている列車のうしろ1両が切り離されるという。私の乗っているのは1両目である。11時13分、戸狩野沢温泉に着くと、うしろから乗客がどやどやとやってきた。これはもう、のんびりと列車旅をする雰囲気ではない。私はここで下車することにした。
戸狩野沢温泉はかつて下車した記憶があるのだが、降りてみたら違っていた。どこかの温泉駅と勘違いしていたようだ。
ここから野沢温泉に行こうと思う。温泉には路線バスが通じていて、次のバスは11時25分である。これは前もって調べておいた。
ここで財布の中身を見ると、壱万円札1枚、五千円札1枚、100円玉1枚、50円玉3枚、10円玉4枚、5円玉2枚、1円玉7枚。バス料金は300円である。これは運転手さんに、5円玉も受け取ってもらうよりなくなった。朝に缶コーヒーなんか買うんじゃなかった…。
バスは山を登っていく。定刻を5分遅れの11時45分、野沢温泉着。温泉センターに入り、周辺マップをもらい、温泉のありかを聞く。しかしまずはブランチである。
しかしこの温泉街では、期待できる食堂がない。ラーメンの類を出している店はあるのだが、観光客狙いで、好んで入りたいとは思わない。
では温泉を先にしようとブラつくと、「千と千尋の神隠し」に出てきそうな共同温泉が目に入った。入口の前に「賽銭箱」なるものがある。男湯の戸を開けてみると、すぐ前は湯船と洗い場で、びっくりした。
説明書きを改めて読むと、野沢温泉にある温泉場は、地元の人がおカネを出して造ったもので、利用者はいくばくかのおカネを出して、湯を浴びるシステムらしかった。福島県の飯坂温泉に似たところがあったが、あそこは入浴料金が決められていた。ここは任意の金額ということらしい。
しかし私の手もとには、壱万円札と五千円札がそれぞれ1枚、あとは1円玉が7枚あるだけだ。7円で入浴するわけにはいかないし、さりとて5,000円を出すわけにはいかない。それより何より、せっかく温泉場に来たのだから、もっとゆったりと入りたい。
それで温泉街をブラブラしたが、立ち寄り湯をやっている宿泊施設は意外に少ない。先ほどと同じような共同温泉はいくつもあるのに…。
ホテルの立ち寄り湯をひとつ見つけたが、入浴料は1,050円だった。これはちょっと高いと思う。
うああ、メシだ、メシ。まずはメシだといろいろ探すが、帯に短し、タスキに長しで、適当な店がない。温泉の近くにスキー場でもあるのか、スキー板をかついで歩いている観光客がけっこういる。私もスキーは一度だけしたことがあるが、いま思えば、あれはけっこうなターニングポイントだった。当時は「角館の美女」と「下北半島の美女」しか頭になかったが、目の前に「埼玉の超ウルトラ美女」がいながら、私は彼女にほとんど関心がなかった。
私が、「オレ、キミと結婚したらうまくいくと思う」と言ったらマジメな顔で同意してくれたのに、私はそれを本気にしなかった。バカだったと思う。
――私はけっきょく、居酒屋風の食堂に入って、ラーメンを注文した。
値段は650円と、私の中のラーメン限度額は越えていたのだが、出されたそれは「昭和の中華ソバ」という感じで、そこそこ美味かった。
とりあえず空腹は解消されたが、温泉はどうするか。このまま野沢温泉にこだわってもいいが、そろそろ先を急ぎたい。
13時05分のバスで、駅に戻る。野沢温泉へはラーメンを食べに行っただけで終わってしまったが、なかなか味のある温泉街だった。
駅からは、13時40分の越後川口行きが接続していた。しかし駅構内に人が多い。これが全員川口方面に行くのかと思うと気が滅入ったが、同時刻に長野行きも出ていた。
何も同時刻にダイヤを組むことはないと思う。行き先を間違えて乗る場合があるからだ。
数年前、網走駅で、やはり同時刻に出発する上りと下りの列車があり、それを知らなかった私は、改札を抜けて目の前にある列車に乗ったのだが、それが方向違いで、1日の予定がパーになったことがある。
今回は上りも下りも、ここが始発だった。だが、越後川口行きには、いまのところ私しか乗っていない。しかし反対の長野行きは、座席がほぼ埋まっている。
これは極端すぎないかと前方を見ると、行き先掲示板が「森宮之原」を示していた。これは越後川口よりも十日町よりも手前の駅である。
私は怪訝に思い、車掌さんに質す。
「この列車は、越後川口行きじゃないんですか?」
「きのうの吹雪で、森宮之原と十日町の間が不通になっていまして…。この列車は、森宮之原で運転打ち切りとなります」
「はああ!? い、いや、その先の代行バスはあるんですよね」
「ありません」
「ない!」
思いもよらぬ展開に、私は呆然となった。
(つづく)
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