一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

宏美・咲緒里・奈穂・いづみのトークショー(第1幕)・怪しい乗客

2012-10-26 00:07:12 | LPSAイベント
10月24日、杉並区阿佐ヶ谷の「Asagaya LoftA」にて、中倉宏美女流二段、島井咲緒里女流二段、囲碁の万波奈穂(まんなみ・なお)二段、麻雀の涼崎いづみプロのトークショーがあることを知ったのは、将棋ペンクラブ大賞贈呈式の二次会だったか(いや、今月のジョナ研の席だったかもしれない)。
ペンクラブ会員のTag氏、Hak氏らはすでに申し込み済。のちにKun氏、Fuj氏らも参加を表明したが、私はほとんど興味がなかった。
ところが23日、Kun氏のブログを見ると、そのトークショーの告知が再度なされていた。これは予約状況が芳しくないことを物語っている。私は反射的に、ネット予約をしてしまった。心の底では、彼女らのトークを期待していたのかもしれない。スマホのメールに返ってきた予約番号は「62」だった。
24日はふつうに仕事を終え、最寄駅に向かった。山手線池袋回りに乗り新宿で中央線に乗り換えるか、秋葉原から御茶ノ水まで出て中央線を利用するか、ここは思案のしどころだが、私は秋葉原方面に向かった。
秋葉原で総武線(正式名称は中央総武緩行線)に乗り換え、御茶ノ水で降りる。ここから中央線に乗れば、20分近くで阿佐ヶ谷に着く。
ところがその中央線が、信号故障だか何だかで、遅れているという。私がサラリーマンだったときの勤め先は四ッ谷だが、ある月の中央線などは、人身事故等で15回も不通になったことがあった。相変わらず信頼できない中央線である。
全くいい思い出のない四ッ谷をすぎ、新宿着。私はドア付近に立っている。多くの乗客が入れ替わったが、そのとき、おばちゃんのけたたましい声がした。
「ここはケータイを使っちゃいけないところなんだから! ケータイをやめなさいッ!! 電源を切りなさいよッ!!」
うわ…なんだなんだ…。場所は優先席の一隅である。おっしゃることはごもっともだが、何をそんなにカリカリきてるんだ?「ケータイを使うのはやめなさいッ!! こっちは12年半も我慢してたんだから! 街頭ビデオだって、映ってないのは分かってるのヨッ!!」
……。出た…。季節は秋だというのに、頭のおかしいおばちゃんが出た。黒山で声の主は見えないが、反射した窓から見える乗客の表情は、みな強張っている。
中野に着いた。何だか、下車する乗客が多い気がする。これから乗ってくる人はかわいそうだと思う。
果たして、新たな乗客にも、おばちゃんが罵声を浴びせる。
「そこの髪の長い女性! あなた私の言ってることが聞こえないのッ!! ケータイを使うのはやめなさい!」
そこで初めて、乗客の女性が反論した。もっとやれ、と思ったが、そこまで。
さすがに人の波が減っていたので、私はおばちゃんを確認する。おばちゃんはつり革に捕まって、白のチューリップハットをすっぽりとかぶり、その隙間から薄暗い眼でこちらを窺っていた。
今度はこちらの番である。私は意味もなくスマホを取り出して眺めてみた。
「私がこれだけ言ってるのに、ケータイを取り出すってどういうことよ、そこのメガネの人!」
おお、これは私に向かって言っているのか? 私は内心のよろこび?を押し殺して、スマホをいじる。またおばちゃんからの非難が来た。
次も怒鳴ってくるようなら睨み返してやろうと思ったが、おばちゃんはそれ以後黙ってしまった。
と思う間に阿佐ヶ谷である。私が降りると、おばちゃんもそこで下車した。これはおもしろいことになった。
おばちゃんはホームをうろうろしている。そこへ上りの中央線が入線してきた。車内で喚くのがおばちゃんの目的だから、上りに乗り直す可能性はある。
しかしおばちゃんは乗車せず、そのまま改札口方面に歩ていく。いまは6時半ごろか。トークショーの開場は6時半だが、開演は7時半だから、まだ時間がある。私は悪戯心を起こし、彼女を尾けてみることにした。
おばちゃんはエスカレーターをトントンと降りる。私も後を追う。踊り場にあるゴミ箱に、何か捨てた。やはりホームに戻るのだろうか。あ、改札口に向かった。私はポケットをまさぐるが、切符がない。
何とか見つけて、自動改札を抜けた。おばちゃんは北口を出る。え? そこに行くのか? それは私の予期しない行動だった。
(つづく)
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きょう25日は、大野八一雄VS宮田敦史戦!!

2012-10-25 01:28:43 | 男性棋戦
23日に行われた女流王位戦予選1組決勝、上田初美女王対山口恵梨子女流初段の一戦は、山口女流初段の勝ち。うれしいリーグ入りを決めた。
戦前の予想では上田女王ノリが大半だったろうから、これは山口女流初段、「でかした」といえる。
現在アイドル系女流棋士のトップは室谷由紀女流初段が君臨しているが、山口女流初段も指をくわえて見ているわけにはいかない。このリーグ入りをキッカケに、大活躍してもらいたい。

そしてきょう25日は、竜王戦5組残留決定戦・大野八一雄七段と宮田敦史六段の一戦がある。
皆さんご存じのとおり、大野七段は前期、苦労に苦労を重ねて、やっとのことで5組に昇級した。私はそれを大いに喜び、その模様を「将棋ペン倶楽部」に投稿し、焼肉大パーティーも開いた。
しかし今期は勝ち星に恵まれず、残留決定の一戦を戦うことになってしまったのである。
相手は宮田敦史六段。宮田六段は、先日行われたLPSAファンクラブイベントに来場し、あろうことか1dayトーナメントの大盤解説まで行ってしまったという。
日本将棋連盟の棋士が「LPSA日めくり詰め将棋カレンダー」に投稿しただけで、あのざまである。それなのに敵団体のイベントに乗り込み解説をするなど言語道断、連盟からキツイお仕置きを喰らいはしなかったかと、ヒト事ながらヒヤヒヤした。
しかし宮田六段は平気の平左なのだろう。鈍感なのか肝が据わっているのかよく分からぬが、ともかく宮田株は大いに上がったのである。
そんなわけだから宮田六段にも残留してもらいたいが、こちらにも事情がある。ふだんからお世話になっている大野七段を応援しないわけにはいかないのだ。
ふたりの今期成績は、大野七段0勝5敗、宮田六段11勝6敗。先ほど、大野七段は勝ち星に恵まれず…と書いたが、これは全棋戦に亘ってそうなのだ。
どうもこの数字だけ見ると大野七段の旗色が悪いが、事前のデータがアテにならないのが将棋である。
かつて大山康晴十五世名人は、桐山清澄九段とA級残留を懸けた勝負に臨むとき、降級ではなく、昇級の一番を指すつもり、と考えた。
大野七段も後ろ向きに考えず、5組昇級の一番を指す、という気持ちで頑張ってもらいたい。きょうは1日、応援しています。
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「将棋世界」11月号を読んだ感想

2012-10-24 01:04:32 | 将棋雑記
「将棋世界」11月号を読んだ感想を書く。

今号の楽しみは、青野照市九段の「将棋時評」。先月行われた、将棋ペンクラブ大賞贈呈式の席で、青野九段が「次号はオリンピックの件で過激なことを書いた」と述べていたので、期待していた。
その内容は、金メダルを獲れなかった選手が、「金メダル以外はいらない」と後味の悪いコメントを残したことと、女子サッカーの引き分け狙いを非難するものであった。
前者は、青野九段がカリカリくる理由がよく分からなかったが、後者の「引き分け狙い」は、かつて私も当ブログで言及したことがあるので、興味深かった。それはまさに一刀両断、胸のすく思いだった。
青野九段はさらに、「負けた方がいいかもしれない例」として「竜王戦2組決勝」も挙げており、我が意を得た思いだった。
青野九段のマクラは、真部一男九段の「将棋論考」を彷彿とさせるものがある。いよいよその域に近づいてきたか。

鈴木宏彦氏の「新・イメージと読みの将棋観」、テーマ4は、大山康晴十五世名人対飯野健二四段の、第17期十段戦予選決勝の終盤の場面から。
これ、大山十五世名人が指した鬼手があまりにも有名で、いまさら6棋士に聞くのもどうかと思うが、渡辺明竜王が「これは知っています。創作次の一手ですね」と述べたのにはひっくり返った。創作だと思っていた、はないだろう。ま、それほど完成された局面だったということだ。
テーマ1は、今期の女流王座戦で、ポーランド人のカロリーナ・ステチェンスカさんが▲7六歩△3四歩に▲7五歩と突いた局面をどう見るか。鈴木氏はその手を「ポーランド流」と記していた。棋士が得意にしている戦法(手)を○○流と述べるのは構わないが、3手目の指し手に○○流と付けるのはいかがなものか。
テーマ2は、相居飛車から後手の右四間飛車の是非を問う。この戦法、前期竜王戦6組の5位決定戦・加藤一二三九段と大野八一雄七段の一戦で現われた。
149頁のC図とよく似た変化も、私は大野七段から解説を受けたことがあり、それは以下△6六角成▲同金△同飛▲6七銀△6五飛で、次に△6六歩と△2五飛回りを見て後手よし、とのことだった。
ただし将棋世界では、C図の局面で先手十分のニュアンスだった。具体的には、△6六同飛の局面で▲7七角がある。これを大野七段はどう見るのだろう。
△6九飛成▲1一角成△2二銀で後手十分、という感じだろうか。
いずれにしても、私も右四間飛車は、優秀な戦法と思う。

グラビアページは、大川慎太郎記者による王座戦第2局観戦記。冒頭に記者が抱いた疑問を、末尾で氷解させるという手法にややまだるっこさも覚えたが、全体的に面白く読めた。やはりこれだけ文字スペースが割かれていると、充実した読み物になる。
ただその反動か、第1局は棋譜の掲載のみだった。
1か月前の将棋では新鮮味がない、との判断だろうが、せっかくのタイトル戦なのだから、もう少し掘り下げてもらえないだろうか。
ほかのグラビアは、「女流王座戦・挑戦者は本田小百合!」の記事。とにかく、本田女流三段がかわいらしかった。とても34歳には見えない。今月はこのショットで、750円の価値アリというところ。
さらに「第19回大山康晴賞受賞式」のレポート。団体分野で受賞した学校法人藤枝学園は、将棋部を創った故・加藤康次氏が、加藤桃子女流王座のご尊父とのこと。なるほど、加藤女流王座が強くなる環境は整えられていたわけだ。

講座は、飯島栄治七段による「横歩取り裏定跡の研究」がおもしろい。現在△4五角戦法のマイナーな変化をやっているのだが、かねてから私は、同戦法は後手番として有力と考えていたので、とても参考になっている。
ただ残念ながら、この講座が始まった昨年秋、私は将棋世界を購読していなかった。連載終了後に単行本になるのを待ち、図書館で借りてまとめて読みたい。

高橋呉郎氏による「感想戦後の感想」は、「福崎文吾九段」。相変わらずの福崎節がおもしろかった。ただ結果的に、羽生・谷川賛歌になってしまったのが残念である。昭和61年の十段戦七番勝負で、米長邦雄十段を破ったときの福崎将棋を憶えているファンは多い。まだまだ老けこむのは早い。もう一花咲かせてほしいところである。

別冊付録は、「プロ棋士に学ぶ終盤の手筋」。ヒントだけで解答が分かってしまう設問もあったが、いざ実戦で出てくれば分からないものばかり。プロ将棋の奥深さを感じた。
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「大野教室の三バカ」を考える

2012-10-23 00:20:47 | 将棋雑考
大野八一雄七段主催の「大野教室」で、時おり話題になること。
「大野教室での将棋バカは誰か、3人挙げよ」
きょうはそれを考察してみる。

1人目:Fuj氏
まず、Fuj氏は確定であろう。おととしの暮れ、LPSA芝浦サロンにデビューしたFuj氏とは、縁あってアフター食事会も一緒に摂ることになった。そのとき私たちは彼を、「将棋に熱い人だな」と思ったが、現実はそれをはるかに凌駕していた。
関西から東京に長期出張となり、将棋を指せる場所を求めていた彼が「大野教室に行くには誰かの紹介が必要なんですか」と大野教室に通い始めることになったのは、当然の流れであった。もちろんジョナ研メンバーにもなった。そしてその「鮮烈なジョナ研デビュー」は、いまも語り草になっている。
Fuj氏は社団戦にも率先して参加し、将棋合宿にも万障繰り合わせて参加した。今年6月の稚内ツアーも、当初は参加不能だったが、力づくで後半の3日間に参加した。
彼は仕事以外は、すべて将棋のことを考えている。否、仕事のときも将棋のことを考えている。そのくらい、彼の頭の中は将棋だらけである。
Fuj氏が将棋のことを話すときは嬉々として、実にいい顔をしている。週末や仕事帰りに将棋の予定が入っているときなど、満足そうだ。
Fuj氏とは大野教室の帰りも同じ電車なのだが、出てくる話は将棋の話ばかりである。まあ彼との共通項は「ショーギ」しかないからやむを得ないが、その内容が指し手のことばかりなのだ。この前のタイトル戦で誰々がナニを指したとか、きのうの将棋では誰々が新手を指したとか、さっきまで食事会でさんざん将棋のことを話したのに、最後の最後まで将棋なのである。
さすがの私も、そこまで将棋づけにはならない。Fuj氏ほどの将棋バカはいない。

2人目:His氏
2人目はHis氏を挙げたい。His氏は茨城県在住なのだが、そのハンデをものともしない。
ある週の金曜日。His氏は将棋会館やLPSA芝浦サロンで将棋を指し、夜はジョナ研に顔を出し、その日は東京に泊まると、翌土曜日は大野教室に顔を出す。翌日曜日に将棋イベントがあれば、そこにも顔を出す。丸3日間、将棋三昧である。
凄まじいのは、金曜日と土曜日の宿泊だ。His氏は何と、ネットカフェに泊まる。それはいいが、そこで仮眠することもせず、徹夜でネット将棋を指しているのである。
バカじゃねえの!?
旅先でネットカフェに泊まってブログを書く私のようなバカもいるが、さすがに将棋まではしない。
His氏は将棋合宿にも参加する。何しろ遠くからの参加だから、当日朝の集合にはハンデがあるのだが、His氏は一向に苦にしない。
合宿でも、夜は最後まで起きていて、朝は最初に起きる。どうもHis氏は、寝ることを忘れてしまっているようだ。
His氏は将棋も粘っこいが、感想戦も長い。いったん終わったところをまた蒸し返し、延々と続けることなど日常茶飯事。ヒトの将棋にも熱心で、横から口を挟むこともしばしばだ。
His氏のその、将棋に対するエネルギーはどこから来るのだろう。今度じっくり聞いてみたいが、聞くのが恐い気もする。

3人目:Kun氏
3人目はKun氏を挙げる。ジョナ研メンバーの将棋バカを考えるとき、候補に挙がっては消えていたのがKun氏である。Kun氏も将棋熱心だけれど、「バカ」の域には達していない、というのがその理由だった。
だが、ときが経つとその考えも変わってきて、「Kun氏は一見まともな将棋ファンだけど、実はたいへんな将棋バカなんじゃねえの?」という見解が大勢を占めるようになった。
Kun氏はブログを開設しているが、タイトル戦その他重要な対局など、逐一経過をアップしている。これはなかなかできないことである。
さらに特筆すべきが、新刊将棋本の紹介だ。毎月結構な数の書籍が刊行されているが、Kun氏はそのほとんどを紹介している。しかもそれらを、自分で一読している形跡があるのがスゴイ。まさか、新刊すべてを購入しているわけではあるまいが、その「読書量」には舌を巻く。
そんなわけで、そこに記される一言コメントには説得力があるのだ。
Kun氏はジョナ研の出席率もよい。私と並んで、トップをキープしている。
Kun氏も会社では重要なポストに就いており、それほどヒマではないはずだが、将棋本の読破も含め、どうやって将棋の時間を捻出しているのであろう。
まったくもって、謎の男である。

以上3氏が私の選んだ「愛すべき将棋バカ」である。このほか、Hon氏やKaz氏、R氏、W氏など有力な候補がいるのだが、まず、Hon氏とKaz氏は、愛妻家であることがマイナス点である。
ふたりとも、将棋バカではあるのだが、将棋を指すより奥さんを愛するほうに重心がいっているのが惜しい。将棋バカは、家庭を顧みてはいけないのである。
R氏ももちろん将棋バカだが、R氏は将棋を指すよりも、将棋を指す人間が好き、という一面が見られる。最近大野教室に顔を見せてない、ブログの更新がないというのも、マイナス点だ。
W氏も将棋バカだが、W氏は大野教室のスタッフであり、植山悦行七段が将棋教室を開けば臨時講師も務めるという、私たちとはやや立ち位置を変えたところにいるのが惜しまれる。
とにかく、上記7名の将棋に対する情熱に比べると、私などはまだまだ甘いと思う。私には、何かを犠牲にして将棋を指す、ということがない。優先順位をつけたら、将棋はかなり下のほうである。将棋はあくまでも趣味のひとつにすぎないのだ。
将棋が生活の一部になっている上記7名には、心から敬意を表すものである。
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一公ブログ検定問題<カルト級・2級>解答

2012-10-22 00:46:37 | 将棋雑記
・一公の将棋雑記検定問題・解答と解説

<2級>

1.私が初めてLPSA芝浦サロンにお邪魔したとき、指導対局を行った女流棋士は誰?
→正解(3)石橋幸緒女流四段
:2010年10月11日「LPSA芝浦サロン初見参!!(前編)」
最近はすっかりご無沙汰になってしまった。またお邪魔したいと思っている。

2.私が駒込ジョナサンでよく頼むデザートは何?
→正解(2)黒ごま白玉ソフト
:2012年2月1日「3人のジョナ研2・大爆笑2012」
ブログに書けないネタ満載。

3.2011年秋、体調が悪かった私は、棋士や棋友に泣き言をぶちまけることが多かったが、その聞き役になった棋士は、中井広恵女流六段、大野八一雄七段、植山悦行七段のほかに、誰と誰がいた?
→正解 安西勝一六段、野月浩貴七段
:2011年9月20日「七たび大野教室に行く(後編)・皆さまに感謝」、2011年10月1日「八たび大野教室に行く(後編)・1ヶ月ぶりの笑顔」。
棋士に愚痴をこぼせるとは、何たる贅沢か。皆さんがいなかったら、私は潰れていたと思う。感謝、また感謝である。

4.2012年5月、「秩父将棋合宿」でお世話になった宿の名前は何?
→正解(1)越後屋
:2012年5月25日「第4回 中井広恵の将棋合宿(第1手)・秩父へ」
正式名は、「天然温泉高根の湯 囲碁・将棋の宿 越後屋」。

5.2012年5月の「秩父将棋合宿」で、植山悦行七段が宿あてに書いた色紙の揮毫は何?
→正解(2)心眼
:2012年6月5日「第4回 中井広恵の将棋合宿(最終手)・三先生に感謝」
「(1)鏡花水月」は中井女流六段、「(3)無著」は大野七段が書いたもの。

6.私は高校時代に3人の女子高生と文通していたが、そのきっかけとなった少女雑誌は何?
→正解(1)週刊マーガレット
:2010年3月18日「私の生年月日と、切手の話」

7.2010年の社団戦で、私はLPSA星組のメンバーで出場し、星組は5部で最後まで優勝を争った。最終15戦目で勝った方が優勝という大一番になったが、この時の相手チームは?
→正解(2)日建設計
:2010年10月26日「社団戦最終日(前編)・昇級決定のあと」
LPSA星組はこの決戦に敗れ、準優勝に終わった。4組昇級も喜び半分だった。

8.第1回信濃わらび山荘将棋合宿で、私はY氏らとお菓子の買い出しをしたが、その時の会計はいくらだった?
→正解(1)4,000円
:2010年11月8日「信濃わらび山荘将棋合宿(第1話)・信濃へ」
税込でキッカリは珍しい。縁起がよかった。

9.当ブログは毎日更新を心掛けているが、かつて連続更新が704日で途切れたことがあった。さて、その日誕生日だった女流棋士は誰?
→正解(1)船戸陽子女流二段
:2011年4月27日「第2回 信濃わらび山荘将棋合宿3・蕨市役所将棋部員との戦い」

10.2012年6月に行われた稚内ツアーの2日目に、私たちは利尻島を訪問したが、そのときのバスガイドさんの名前は?
→正解(3)Shihoさん
:2012年6月17日「中井広恵と行く稚内ツアー(第5手)・利尻島観光」
フルネームは「Shichinohe Shiho」。Shihoさんのガイドは完璧。将来が楽しみな18歳だった。

11.将棋ペンクラブのA幹事が初めて私に会ったとき、絶賛してくれた私の作品はどれ?
→正解(2)運命の端歩
:2009年5月14日「作家になった気分」
どれも好きな作品である。

12.2010年5月28日は、植山悦行手合い係がLPSA金曜サロンを卒業した日だが、このときに撮った記念写真で、植山手合い係に寄り添っていなかった女流棋士は誰?
→正解(3)中倉宏美女流二段
:2009年5月30日「また会う日まで」
なかなかいいスリーショットだった。ちなみに、私が船戸女流二段を写真に撮ったのは、このときの1回のみ。

13.私は2011年9月に将棋ペンクラブのA氏夫妻と飲みに行ったが、そのときA夫妻が、私に「ある」と言ったものは何?
→正解(2)生活力
:2011年9月22日「A氏夫妻と飲む(後編)・結婚相手に求めるものとは」
生活力と経済力は似て非なるものらしい。

14.2009年12月、LPSA「フランボワーズカップ」終了後に行われたLPSA忘年会で、渡部愛女流3級が扮していた衣装は何?
→正解(2)トナカイ
当時は女子高生だった。

15.2010年LPSA「Minervaファンクラブイベント」で、私はムーミンのスープカップを貰ったが、その賞品を提供してくれた女流棋士は誰?
→正解(1)松尾香織女流初段
:2010年10月14日「「LPSA Minervaファンクラブイベント」(中編)・女子高生との一局と、ムーミン」
松尾女流初段はムーミンが好きなのだ。いまは松尾女流初段の復帰を心待ちにしている。
余談だが、当時私はハナ風邪をひいており、イベント後の私的な飲み会では難儀した。

16.2011年「LPSA将棋パーク」にて、私が貰った賞品は何?
→正解(1)ニンテンドーDS激指
:2011年6月4日「みんなハッピー!LPSA将棋パーク(後編)」

<カルト級>

1.「将棋ペン倶楽部」に掲載された「忘却の角」は、大野八一雄七段の実戦を題材にしているが、この対局で先手の大野七段が悔やんだ手を、2つ書きなさい。
→正解 ▲3四歩、▲6六角。
:2011年6月22日「四たび大野教室に行く(中編)・プロ棋士の読みの恐ろしさ」、2011年6月23日「四たび大野教室に行く(後編)・まだ残っている」
▲3四歩で▲3一飛と打っていたら、竜王戦の本戦トーナメントに進出していたに違いない。

2.私は高校のとき将棋部に入っていたが、ある女子高の将棋部と、文化祭での交流会が行われた。その女子高の名前は何?
→正解 瀧野川女子学園高等学校
:2011年10月23日「十二たび大野教室に行く(中編)・縁」
この話は「将棋ペン倶楽部」の「文化祭1982」などに書いたが、女子高の所在地は書いても、名前は書かなかった。なお瀧野川女子学園高等学校のOGには、女優の中村久美がいることを付記しておこう。

3.私の指導対局は、対植山悦行七段戦が11勝22敗。対大野八一雄戦が11勝43敗だが、対中井広恵女流六段戦の対戦成績は、平手何勝何敗?
→正解 1勝18敗
:2012年5月26日「第4回 中井広恵の将棋合宿(第2手)・贅沢な話」
合宿前は1勝14敗だったが、合宿で4番負かされ、通算1勝18敗。正直手合いが違うのだが、LPSAのほかの女流棋士には平手でもそこそこ勝てるので、中井女流六段に駒を落としてもらうと、ほかの女流棋士に失礼なことになってしまう。中井女流六段には、泣きながら平手で指しているのだ。

4.私は高校時代に3人の女子高生と文通をしていたが、その3人が住んでいた県名をそれぞれ記しなさい。
→正解 静岡県、兵庫県、広島県。
:2010年3月18日「私の誕生日と、切手の話」など。
いちばん楽しかったのは静岡の女子高生とのもの。結果的に最後の便りになったのは、彼女の結婚報告だった(2012年9月4日「富田靖子「オレンジ色の絵葉書」を歌ってもらいたい女流棋士トップ10」)。いまも幸せに暮らしていると思う。

5.金矢倉に▲6八銀を足した囲いを、私は何と命名したか?
→正解 市松矢倉
:2011年11月17日「第3回 信濃わらび山荘将棋合宿(第8譜)・第2回信濃わらび山荘最恐戦・植山悦行七段VS大野八一雄七段」
コメントで、Kun氏が賞賛してくれた。

以上、5ランクで66問を出題した。何問正解で合格ということはないが、半分以上を自信を持って答えられれば、立派な一公ブログフリークといえよう。
バラエティに富んだ問題を作ってくれたFuj氏には、あらためて御礼を申し上げたい。
では、また。
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