一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

女流王位戦五番勝負開幕

2019-04-25 00:08:07 | 女流棋戦
日付変わって今日25日は、第30期女流王位戦・渡部愛女流王位対里見香奈女流四冠の五番勝負が開幕する。第1局は兵庫県姫路市にて。渡部女流王位の、待望の防衛戦だ。
私が渡部女流王位を応援するのはもちろんだが、今年はやや不安がある。
今年渡部女流王位は、4月以降の麹町サロンin DISの指導対局を休み、五番勝負に専念した。これはLPSAの配慮だろうが、ちょっと五番勝負を意識しすぎたように思えた。
むしろ指導対局をしっかり行い、例年と同じリズムで五番勝負に臨んだほうが、普段の力を100%出せるのでは、と思ったのだ。
もっとも渡部女流王位は、先日のLPSAバーベキューイベントにも参加したし、ほかのイベントにも精力的に出演している。普段通りといえば普段通りで、私の取り越し苦労かもしれない。
物は考えようで、麹町サロンのほうも、ほかのLPSA女流棋士に登板の機会を与えた、と考えればいいか。
結局今年もいろいろ忙しかったのだろうが、野月浩貴八段との研究は怠りないだろう。
渡部女流王位は、今年も挑戦者の気持ちで、のびのびと指せばよい。あとは、勝利の女神がこちらに微笑むのを待つのみだ。
いい将棋を期待しています。
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2019年冬の北海道旅行・12

2019-04-24 00:05:53 | 旅行記・北海道編
私はほかをあたることにした。
「バリー屋台・ゆうばり屋台村」というのが隣接していて、ここも営業中である。
中に入ると左右に数軒あり、カレーうどんを売りにしている店などがあった。だが辺りは静まり返り、スタッフがいる雰囲気がない。
客席は通路の真ん中にあり、どうも食事はここで摂るようである。現在奥でカレーうどんを食している女性5人組がいるが、ほかは誰もいない。ここは千と千尋か? 私はヘンな世界に紛れ込んだ感覚に陥った。



私はほかをあたる。この建物の向こうにも食事処があったので、入った。
そこはシャレた定食屋で、私は日替わり定食を注文した(800円)。
和風の弁当箱に入って出てきたそれは、豚焼肉がメインだったが、ほかのおかずも手が込んでいて、まずまず値段に見合った味だった。
空腹を満たし、夕張駅に戻る。しかしここは券売機がない。始発駅に券売機がないのは、JR九州の指宿枕崎線枕崎駅、日南線志布志駅などで経験済みである。
ホームには、2、3人の鉄道ファンが先着していた。傍らでは駅弁を売っており、鶏の唐揚げ弁当に夕張支線の写真が付いて1,000円だった。
でも購入は見送った。でも後から来た鉄道ファンが続々と購入し、ほぼ完売だったようである。
16時23分、下り列車が入線した。私たち鉄道ファンは、この瞬間をカメラに収める。この時、お互いが映らないよう、適当に距離を取っているのが微笑ましかった。
折り返しは16時40分である。私は何とかボックス席を取れ、ホームに出て、改めてキハ40をカメラに収めた。







列車は定刻に出発した。私にとって、これが最後の夕張支線である。列車はわずかながら遅れ始めたが、帰りのANAは20時30分発なので、ここまで来ればもう大丈夫だ。
新夕張に着き、廃線区間終了。なかなかに味わい深い旅だった。
ここからはスマホを使い、最後の晩餐の店探しである。しかし候補が乏しく、南千歳しかない。ラーメン屋がいくつかあるが、みな「アウトレットモールRera」という名前が付随する。そもそもこの辺りはむかし、空港だった。その跡地?に老舗店があるわけがなく、ここモール近辺で営業していると思われた。
いっそのこと、空港まで行っちゃう手はある。そして私の財布には、今朝南千歳で買った切符が残っている。同じ駅での乗降は自動改札の扉が閉まるだろうが、違う駅なら通れるのではないか?
いやいや、それは不正である。JRの係の人は性善説で、夕張で私たちからJR切符を回収しなかったのだ。それを裏切ることはできない。それに、もし改札を抜けられたら、私は夕張からの夕張支線を無料で乗ったことになってしまう。それは鉄道ファンとしてあり得ない。
そもそも、JRの切符には制限時間があったはずだ。自動改札機を通過後、数時間経つと切符の効力が消えるのである。もし新千歳空港駅で扉が閉まってみろ。「私は不正をしました」と自白したようなもので、そんな恥辱はごめんである。
南千歳駅には、定刻を31分遅れの18時53分に着いた。ここから食事だと、結構ギリギリである。どうして私の旅は、いつも際どくなってしまうのだろう。
この先は終点千歳なので、いずれにしても南千歳で降りる。そして私はそのまま、下車することにした。すぐに新千歳空港まで行ったら、不正をしてしまいそうな気がしたからだ。
夕張での整理券と、現金1,070円を持って、窓口氏に渡す。と、ほぼ同時に、すぐ右で自動改札機の扉が閉まる音がした。
…あれ? あの男、行きの新夕張の駅から何度か見たが……。
駆けつけた駅員が、「あれ? この切符おかしいですね」とか言っている。
あいつ、やりやがったか……? 私はゾッとして、そそくさとその場を離れた。

アウトレットモールReraには、午後6時58分に着いた。しかし、館内に蛍の光が流れている。
まさか! もう閉店か!?
人がほとんどいない館内を、私は巡る。ラーメン屋はあったが、もう閉店の雰囲気だ。



ガッカリして表へ出ると、立て札に「営業時間のご案内 10:00~19:00」とあった。タイムオーバーである。
私は引き返すしかなく、南千歳駅に戻った。ここから空港までのバスがあれば安くつくが、もう終わっているようだ。私はオレンジカードを使い、最後の切符を購入した。310円ナリ。
快速エアポート184号は定刻を9分遅れたが、そのお陰でタイミングよく乗ることができた。19時22分、新千歳空港着。 
素早く土産物を買って、食事である。空港での食事は高いからいつもは敬遠しているのだが、今回はどうしても腹に何か入れたかった。
大きな食事処があって、サンプルのもりそばがいい色を出している。今回はもりそばづくしの旅だったので入ろうかと思ったが、ラーメンも初日の旭川でしか食べていない。
奥に行くと「北海道ラーメン道場」という、空港版ラーメン横丁みたいなところがあったので、今回はそこで食べることにした。
10軒入っていて、手前の「一幻」なる店は行列ができている。私は行列には並ばないのでパスし、客が誰もいない店に入った。味噌ラーメン系を注文する。
するとしばらくして、「もう閉店時間が近いので、先に会計をお願いします」と、女性店員がカルトンを出してきた。
ああなるほど、と思った。こう言われて、次の閉店間際に入場した時、この店に入る客がいるだろうか。閉店時間に慌てることなく、ゆっくりお召し上がりください、という店に、客は行くのではないだろうか。
ちなみに味噌ラーメンは、美味かった。ただ、また食べたい、の気持ちは起きなかった。



我がチケットは「Skip!」なので、そのまま手荷物検査場に行く。しかし受け付けてくれなかった。
最近ANAクレジットカードを取り換えたのが原因と思いきや、便を変更したのが原因らしかった。
ともあれ楽しい、いや逃避の4日間が終わった。翌日からはまた憂鬱な日々が待っている。まさか、仕事がある時より落ち込みがひどいとは思わなかった。
(おわり)
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2019年冬の北海道旅行・11

2019-04-23 00:32:52 | 旅行記・北海道編
私のすぐ後ろには、なぜか車掌が留まっていた。ずぅっとここで運転を見守るようである。運転席の右側スペースに行けばいいと思うが、そうできない事情があるのだろう。
私は運転席後方から、前方を複雑な思いで眺める。列車はまったく速度を上げず、まるで惰性で動いているようだ。
列車は清水沢を通過する。鈍行列車の駅通過である。
列車は南清水沢に入線した。ホームには、上り列車に乗りたい客がいた。
列車は止まり、運転手は一応どこかに連絡を取ったが、乗せなかった。逆に、もうここで降ろしてくれ、というオバチャンも車内にいたが、同様にドアは開けられなかった。
この列車は、乗客を無事新夕張に戻すことが使命なのだ。回送列車の扱いで、規則上旅客営業はできないのだろう。12時38分夕張発の上り列車は運休である。
列車は相変わらず遅い。さっき運転手が「清水沢から10キロ」と言ったが、あれは新夕張からの走行距離ではなく、この速度のことだったのか? とさえ思う。
もっともその分だけ、私たちは夕張支線を堪能できるわけだが……。
それでもやっぱり遅い。これは代行バスの到着に合わせているのか、はたまたディーゼル費の節減か……。でも遅く走って、節減になるのだろうか。
列車は13時30分ごろ、ようやっと新夕張に到着した。約1時間での回送で、これはこれで、記憶に残る乗車だった。
係の人が夕張までの希望乗車を確認する。私たちは観光がほとんどで、夕張に緊急の用事はない。むしろ夕張支線に乗ることが目的なわけだが、問題は今日今後の運行だ。
現在は15時56分夕張行きの運行が確約されており、折り返し16時40分の上りも出る。ということで、大半の人が代行バスに乗ることになった。
だが、そのバスの到着が遅れているという。もはやいくら遅くなっても構わないが、夕張では「幸せの黄色いハンカチ想い出ひろば」や、「石炭の歴史館」を再訪するつもりではいた。
「幸せの黄色いハンカチ」は日本を代表する映画で、夕張での五軒長屋でのラストシーンは、日本映画に燦然と輝く名シーンとなっている。
「想い出ひろば」にはその五軒長屋がまだ残されており、「島勇作」の表札も掛かっている。表には黄色いハンカチがはためいており、室内には、武田鉄矢が乗ったファミリアが展示されている。黄色いハンカチも販売されており、私が1990年代に伺った際は、その並びで営業している理容店が委託販売をしていた(500円)。
「石炭の歴史館」は、1990年2月に訪れた。冬の時期でもあったが客は少なく、私は経営を危ぶんだものだが、果たしてその数年後、歴史館は経営破綻した。現在も何らかの形で営業しているようなので、今回訪れるにいい機会だと思った。
だがこの状態では、どれかは削らないといけないだろう。
表に出ると。雪に埋もれて「紅葉山」の駅名板があった。前述の通り、ここはかつて紅葉山という駅だった。夕張線にも歴史があるのだ。





待合室に戻り、自販機で缶コーヒーを買う。もちろんサントリーBOSSである。私は正価で買わない主義だが、今回はサントリーへの御礼である。
ようやく代行バスが到着した。大型バスのしっかりしたもので、室蘭ナンバーだった。車体には、「Tarumae Kanko」と書かれていた。
14時14分発車。一足先に、代行バスを味わう形だ。バスは雪の少ない道路を通り、途中で乗客を降ろし、14時43分、夕張駅前に到着した。実に2時間17分の遅れとなったが、それもまたよしである。
係員は、夕張までの切符は回収しなかった。この切符は記念とする。

さて夕張だが、駅がどこにあるのか分からない。さっき「ナゴミの前につけて」と誰かが言ったが、ここは駅前なのか?
夕張支線になってから、私は2度ほど訪れているが、鉄路は「ホテルマウントレースイ」の真ん前で、唐突に終わっていた気がする。駅舎もなかった。後で分かったことだが、夕張支線はマウントレースイの建設に合わせ、レールを800m短縮したらしい。
現在ももちろんマウントレースイは健在だが、よく見ると、ナゴミの向こうに鉄路があった。
私がご無沙汰している間に、駅付近にいろいろ建物が建ったのだ。「和」は、軽食喫茶だった(列車で「和」はE655系を指すが、それとは関係あるまい)。
ちょっと入口が分からないが、営業しているようには見えなかった。
それはともかく、先に貯金である。今回は3連休の旅の予定だったが、もしもの時のために、通帳を携行していたのだ。
郵便局はバス車内から確認していた。「夕張郵便局」212円。私は、2月12日の貯金が最も多いかもしれない。
夕張駅に入る。時刻表を見ると、
「夕張支線ありがとう Re startまで、あと47日」
の日めくりがあった。計算すると、3月31日が最終営業日である。今年の新ダイヤは3月16日だから、JR北海道は、天寿を半月延ばしてくれたわけだ。
外からホームを見るとかなり長く、数両分が停まれるスペースがあった。しかし庇は1両分である。
手前の柵には、「夕張の鉄路にありがとう! ありがとう夕張支線実行委員会」の横断幕がかかっていた。現在列車は上下5本しかない。廃線を嘆くのではなく、お疲れ様でした、という労いの気持ちが感じられた。





マウントレースイに入り、スタッフに食事処を聞く。すると、喫茶店はあるが15時からの営業で、しかも軽食しか置いてない、とのことだった。
温泉を聞くと、館内の外れにあるとのことだった。
そこに行き、入る。入浴料700円はまずまずか。浴場は天井の高いよくあるタイプで、湯船も大きかった。平日に温泉を愉しむのは優越感に浸れて気分がいいが、無職の現在では、それが却って虚しい。プーは休みを愉しんではいけないのだ。
ここは露店風呂も併設されていたが、さすがにお湯はぬるくなっていた。
帰り、フロントのオバチャンに「幸せの黄色いハンカチ想い出ひろば」への行き方を聞くと、冬季は閉鎖中とのことだった。
それは残念だが、好都合だったともいえる。
だが駅前の観光案内ポールに、「石炭博物館・冬季休館」とあって、ガックリきた。
北海道は、冬だからこその祭りができるが、その一方で施設が閉鎖してしまうのだ。どちらにしても今回は、もう見学する時間がなかった。
「和」に行ったら営業していたが、結構客がいる。どうしようか。
(つづく)
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2019年冬の北海道旅行・10

2019-04-22 00:07:39 | 旅行記・北海道編
札幌から夕張までの普通料金は2,160円である。だが途中の南千歳までは840円、南千歳から夕張までは1,070円なのだ。合計1,910円。つまり南千歳で改札を出て、切符を買い直すだけで、250円もトクすることになる。
札幌から夕張までの直通列車はない。夕張行きは、南千歳の1つ前、千歳駅が始発である。よってここで乗り直しすればいいのだが、それをやると、千歳-夕張が1,270円に上がってしまう。ここで200円を損したんじゃ、あまり意味がない。
改めて整理すると、

1.札幌-夕張……2,160円
2.札幌-南千歳-夕張……1,910円
3.札幌-千歳-夕張……2,110円

である。2が最も安いが、それではボックス席を取れない。これは札沼線の件で明らかである。だが250円をケチって、デッキに追いやられるのもイヤだ。
本筋は千歳乗り換えなのだが、おトク額が50円に減じてしまうのがネックだ。
そもそも、合法的な手段で節約できると知ったのに、それを行使しない手はない。
私は結局、南千歳までの切符を買った。250円の節約に負けたということもあるが、オレンジカードを消費する意味もあった。
09時50分、快速エアポート96号に乗る。ここから新千歳空港まで、JR北海道の数少ないドル箱区間である。
10時23分、南千歳着。なお、夕張に行くなら前日でもよかったが、夕張は新千歳空港に近いので、この行程にしたのだ。
いったん改札を抜け、切符を買い直し、同じホームに戻る。こんな面倒臭いことをする旅行者は、私ぐらいだろう。
夕張行きの1両列車が到着した。案の定車内のボックス席は埋まっていた。ロングシート席も、広々と占領している学生らがいて、座れる雰囲気ではない。
私は後方のデッキに出た。こういう時に限って、事前の危惧が現実のものになるのだ。



10時43分、南千歳発。ここで改めて、石勝線についてまとめておく。
石勝線は、千歳線・南千歳駅(当時は千歳空港駅)から根室本線・新得駅までの132.4kmを結び、石狩地方から十勝地方への短絡路線として、1981年10月1日に開業した。国鉄不採算路線の整理が叫ばれている中での、微妙な開業だった。
この路線は丸々新設ではなく、夕張線の追分-紅葉山(後の新夕張)間25.4kmを石勝線に転用した。夕張線は紅葉山からなおも東西に分岐し、西は夕張、東は登川が終点だった。紅葉山-夕張16.1kmは石勝線夕張支線として営業継続、紅葉山-登川7.6kmは廃線となった。
石勝線の開通によって、帯広、釧路、根室方面への所要時間が大幅に短縮され、この新路線は重宝した。思えばこの時が、北海道の鉄路の最長営業キロだった。道内を網の目のように鉄道が走り、鉄路だけで北海道の形が出来上がるほどだった。
だがそれから、国鉄(JR)は路線廃止を本格的に断行し、1983年10月22日、白糠線の廃止を皮切りに、2016年3月26日の江差線・第3セクター移管まで、25路線を全線廃止した。その距離実に、1,700km余り。
だがそれでもJR北海道の赤字は軽減されず、まだ廃線を待つ路線がある。この新夕張-夕張の夕張支線も、炭鉱閉山後の代替産業が芳しくなく、今回廃線の憂き目を見たわけだった。
11時05分、追分着。南千歳からの17.6kmも新設で、地味ながら最強のバイパスだった。









11時17分発。列車はコトコトと、雪景色を走る。何となく感傷的になってしまうが、ここはまだ石勝線本線で、廃線区間ではない。
駅ごとに微妙に乗り降りがあり、11時57分、新夕張着。2分後の11時59分、発車した。ここから廃線区間である。
列車は緩い上り坂を登る。山岳地帯に入ったのだろう。辺りは雪が降り、ますます感傷的になる。デッキからでは景色も存分に楽しめない。振り返れば、運転席脇の正面に鉄路が見えるが、私は今来た道より、これから向かう景色を眺めたいのだ。
だがどの景色にせよ、近い将来、見られなくなってしまうのだ。
沼野沢、南清水沢、清水沢と到着、発車し、あとは鹿ノ谷、夕張で終着である。
その時、キハ40の走りがおかしくなった。車輪が空回りし、前に進めないのだ。この積雪で、レールが埋まってしまったらしい。シュルシュル、ギュー、ギュー、という音が何度も聞こえる。キハは助走を付けて、再度踏ん張る。しかしどうにも進めない。
やがて「雪のため列車が進行できず、これより新夕張に引き返します」と放送があったので、驚いた。
いやいやウソだろう? そんな措置は聞いたことがない。
ちなみに、かつて私が旅行中、常磐線と奥羽本線で車両故障に遭ったことがあったが、その時は、ともに小1時間ばかり待たされた後、後続の列車に押してもらったりした。
だけど今回は、車掌が列車から降りて雪を掻いたらダメなのか?
でもそれが何キロ続いているかも分からず、できないのだろう。さらにここは斜面で、キハの馬力にも限界がある。平坦な札沼線とは違うのだ。
この車両は新夕張まで回送し、改めて除雪車を出動させるらしい。北海道の赤字は、除雪の経費も重くのしかかっているのだ。
そして私たちには、新夕張から代行バスが用意されることになった。
運転手と車掌がこっちに来て、運転手は運転席に入る。「清水沢から10キロ、引き返します」と無線連絡し、12時30分ごろ、運転再開となった。



列車は減速したまま、ゆるゆると坂を下る。そうか、と思う。さっきまで最後尾だったデッキが、状況変わって、こちらが最上席になったのだ。まさかの一発逆転である。
(つづく)
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2019年冬の北海道旅行・9

2019-04-21 00:10:03 | 旅行記・北海道編
2丁目の公式グッズ売り場に行くと、宮宗紫野女流二段似の売り子さんはいなかった。もう上がってしまったのだろうか。
あるブースでは、北海道スープの試飲をやっていた。私はオニオンスープをいただく。素材の味が活かされていて、美味かった。
5丁目のサントリーブースでは、またも「BOSS俺の微糖」を配っており、またもいただく。サントリーBOSS万歳!! である。
飲食ブースでは、300円のシュークリームが100円で売られていたので、1個買う。恒例の、最終日の安売りである。このシュークリームは美味かった。
ライトアップされた雪像は綺麗である。プロジェクションマッピングなどを上映し、観光客を飽きさせない。
ただ昔は、こういう時間にライブ等のイベントをやっていた。いつもどこかでよさこいを踊っていたし、お能をやっていた時もあった。
つまり現在は、人件費を掛けない、お手軽な演出が主流になっている。かつては会場内に常時BGMが流れていたが、それもなくなって久しい。やはり北海道の景気も悪いのだろう。
6丁目のマルシェでジンギスカン焼きそばを買う。500円が250円だから安い。
だが焼きそばの量が少なく、この額が妥当な気もした。まあ350円くらいかな。
赤十字ブースでは、今年も初音ミククリアファイルが売られていた。11丁目の初音ミクブースとは違い、こちらは赤十字が絡んでいるので少し安く、@200円だ。
毎年多くのデザインが売られているが、今年は6種残っていたので、1枚ずつ買う。
今後のことを考えて壱万円札を出したのだが、「これは募金になりますので……」と、お釣りを拒否された。私は1,200円ピッタリを出し直したが、そんな暗黙の了解があるとは知らなかった。
2丁目の公式グッズ売り場に戻るが、やはり宮宗女流二段似の子はいなかった。
でも絵ハガキは買った。これも31年連続のルーティーンである(ただ後で気付いたのだが、今年は缶バッジを買い忘れた)。とはいえ……ぐずぐずしていて、チャンスを逃す。私の人生を象徴しているようである。
11丁目に行くと、初音ミクの演奏会が始まった。だがミクファンの一団は後方に固まり、前に来て踊らない。まだ一般の観光客が多く、パフォーマンスをする雰囲気ではないのだろう。
1曲終わり、近場にいたミクファンに聞くと、もう少ししたら前で踊る、とのことだった。でも私はそこまで待てない。
12丁目まで行く。その先の札幌市資料館も美しくライトアップされていた。
引き返し、8丁目に行く。HTB広場の貨物列車はいい題材だ。脇のPRブースでは、建物全体がJR貨物のコンテナを模しており、これが本物そっくりだ。こういう地味な演出に、私は感動を覚えるのである。
5丁目の氷の広場では、アイドルグループが歌っていた。数えると11人もいた。彼女らは北海道を拠点に活動するアイドルグループ・フルーティーだった。
もちろん親衛隊もいて、やはりステージに演者がいると、活気が増す。しかしライブは、すぐに終わってしまった。これは残念だったが、タイミングの関係でどうしようもない。













4丁目の「初音ミク&戸山香澄」は相変わらず、周囲を覆いで囲っていた。中ではたぶんプロジェクションマッピングをやっており、混乱を避けるためなのだろうが、この措置に意味があるとは思えなかった。

時刻は午後8時を過ぎたが、私は最終日のフィナーレが好きだった。HTB広場が多かったのだが、ミスさっぽろが集い、交代式があった。各丁目のリーダーは設営の苦労を語った。スタッフの長老格のコメントも名物のひとつだった。
しかしこれも経費削減の一環からかなくなり、私は最終日の来場にこだわる必要がなくなってしまった。
最後に、すすきの氷の祭典会場に移動する。その途中、デパートの1階に構える食事処「しらん」があったので、入った。昨年も入った店だ。
ここは四方を壁に囲った店舗ではなく、フロアの一角に出店している形だ。したがって敷居はないが、簡易イスはある。もりそばは380円で、店舗と立ち食いの中間料金だ。私は大もり(480円)が食べたかったが、券売機が壱万円札を受け付けず、小銭がわずかに足らない感じ。で、もりそばを注文した。
もりそばが出された。そば猪口につゆが入っているのに、そば徳利にもつゆが入っている。これは定山渓の紅葉亭もそうで、北海道ではポピュラーなのかもしれない。
そばは昨年と変わらず、香り高く美味かった。どうも夫婦で経営しているみたいだが、この組み合わせの食事処は、間違いなく美味い食事を出す。
すすきのの氷像は、ライトアップされて幻想的になっていた。イルミネーションロードも青色発光ダイオードが映えている。なお今年もどこかで、氷の女王の撮影会が行われるはずだが、その時間を確認するまで、私は熱心ではなかった。

























以上、これにて今年のさっぽろ雪まつり鑑賞は終了である。今回は覚悟したほど寒くなく、手袋をすることもなく、快適に観光できた。関係者の皆様には、御礼を申し上げたい。

「東横INN札幌すすきの南」は、繁華街から外れたところにあった。3日前には考えられなかった、おまけのもう1泊である。
チェックインし9階の917号室に入ると、ベッドはキングサイズで、部屋も広かった。駅への利便性の悪さを、部屋のグレード向上でカバーしているのだ。
ただ、テレビが壁の上方にあるのがよく分からなかった。これはベッドに寝ながら観る分には構わないが、座ってだと、首を上げなければならない。
でもサスペンスドラマを観ていると、この時間だけは妙に落ち着いた。誰にも邪魔されない、逃避のひととき。明日帰京するのが憂鬱になった。
なお、財布に100円玉が残っていた。「しらん」で大もりが食べられたのに、惜しいことをした。

明けて12日(火)の朝である。今日は石勝線夕張支線に乗ろうと思う。
JR北海道はどの路線も大赤字だが、石勝線夕張支線もひどく、この春に廃線が決まった。
私は、廃止になりそうな路線に乗って応援するのは好きだが、廃止が決まった路線に乗るのはあまり好まない。快復の見込みがある知人を見舞うのは構わないが、余命いくばくもない患者を見舞うのはいたたまれない、ということだ。
ただし今回、北海道の滞在が1日延びたのは何かの縁だ。それは鉄道の神からの、最後に夕張支線に乗ってやれい、の御宣託だと思うことにした。
ボリュームのある朝食をいただき、チェックアウトする。札幌駅へはホテルから無料の送迎バスが出ているので、利用することにした。
私は座れたが、バスは補助席を使って、満席。もちろん外国人の比率が高い。今年の旅も、本当に外国人が多かった。
だが札幌駅に着き、ここで一つの選択をしなければならなかった。
(つづく)
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