日付変わって今日7月26日は、大山康晴十五世名人の命日である。恒例の「大山の名局」は、1984年5月に行われた、第44期棋聖戦本戦トーナメント2回戦、森安秀光八段(当時)との一戦を取り上げる。
森安八段は関西振り飛車党の雄で、昭和50年代後半に大活躍した。その棋風は関西特有の粘り強さで、大山十五世名人に似ているといわれた。ただ、大山十五世名人がゴチャゴチャと局面を紛糾させるのに対し、森安八段はそれをさらにグチュグチュにした感じだった。
そんな2人が対局すればどちらかが飛車を振るが、先手番を引いたほうが居飛車を持つことが多かったようである。
森安八段は第42期棋聖戦で中原誠棋聖から棋聖位を奪取したが、翌第43期に米長邦雄棋王・王将に取られ、この第44期棋聖戦は雪辱に燃えていた。
いっぽう大山十五世名人はこの年61歳。3月にはNHK杯トーナメント戦で優勝し、相変わらずの存在感を見せていたが、この対局の2日前、出張先の大阪のホテルで下血を見た。翌日病院へ行ったが、どうもはっきりしない。そこで精密検査を6日後に行うことになった。本局は、そんな不安の中での対局だった。
1984年5月17日
第44期棋聖戦本戦トーナメント2回戦
持ち時間:4時間
▲十五世名人 大山康晴
△八段 森安秀光
初手からも指し手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲5八金右△5二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲9六歩△9四歩▲6八銀△8二玉▲5七銀右△7二銀▲7七銀△5三銀▲2五歩△3三角▲3六歩△4五歩(第1図)
先手番になった大山十五世名人は3手目に▲2六歩として居飛車明示。森安八段は中飛車に振った。大山十五世名人は振り飛車の名手だが、若手時代は居飛車一辺倒で「大山やぐら」といわれた。相手が振り飛車ならよろこんで居飛車を指し、振り飛車退治も得意にしていた。
大山十五世名人はオーソドックスな舟囲い。そこから▲5七銀右~▲7七銀と発展し、早くも大山流だ。
第1図以下の指し手。▲4六歩△4二飛▲4八飛△4六歩▲同銀△5二金左▲4五歩△4一飛▲3五歩△4四歩▲3四歩△1五角▲4七飛△4五歩▲同銀△3八歩(第2図)
△4五歩に▲4六歩と、早速反発する。森安八段は△4二飛から△4一飛と穏やかに受けるが、大山十五世名人は▲3五歩とどんどん行く。このあたり、いつもの大山十五世名人とは思えない。「この対局が最後になるかもしれない」の思いがあったのだろうか。
ごちゃごちゃやったあと、森安八段の△3八歩が小粋な手。
第2図以下の指し手。▲6八銀△3九歩成▲1一角成△2九と▲4四香△同銀▲同銀△1九と▲4三歩△8四香▲7七銀△8五香打▲8八銀打△8七香成▲同銀△4六歩▲同飛△3七角成▲1六飛△8七香成▲同玉△2七銀(第3図)
△3八歩は振り飛車常用の揺さぶりで、大山十五世名人の実戦にもよく出てくる。
これに▲6八銀と角道を通したのが大山十五世名人の解答だ。△3九歩成から攻め合いになるが、大山十五世名人は香を取っての▲4四香が厳しい、との読みだ。
森安八段は銀を損したが、入手した香を8筋に突き立て、反撃する。さらに端角を成って飛車を僻地にやり、△2七銀で飛車を殺した。が……。
第3図以下の指し手。▲3九香△2八馬▲1五飛△3九馬▲2四歩△1四歩▲4五飛△1七馬▲2三歩成△3六銀不成▲4九飛△3一飛(第4図)
第3図では▲3三歩成△1六銀不成▲同歩の順もあったが、大山十五世名人は▲3九香の犠打で飛車を生還させる順を選んだ。以下ぐるっと飛車を転回し、抑え込みが成功した大山十五世名人が有利に見えた。
しかし森安八段も△3六銀不成と活用し、△3一飛と回る。悪いながらも最善の粘りだ。
第4図以下の指し手。▲7八金△4六歩▲同飛△2七馬▲3九香△6五桂▲6六銀△2九と▲3六飛△同馬▲同香△3九飛▲7九銀△3六飛成▲3三歩成△同桂▲2二馬△4五桂▲3一馬△同竜▲3二歩△2一竜▲2二歩△4一竜▲6五銀△4三金▲3一歩成△5二竜▲4三銀成△同竜(第5図)
第4図では▲2二馬とかしてどんどん攻めたくなるのが人情だろう。そこをぐっとこらえて▲7八金が味わい深い。よく分からないが妙味を感じる。
△2七馬に2度目の▲3九香。これが間接的に△3一飛の進出を防いでいる。
大山十五世名人もじわじわ攻めるが、森安八段は間隙を縫って△4五桂まで跳躍した。この桂が捌ければ元気が出るところである。
さらに△4三金から竜を世に出し、まだ駒損ながら再び香を2本持ち、十分勝負の形である。
第5図以下の指し手。▲8六歩△8四香▲7五歩△6九銀▲6八金打△5八銀成▲同金△3九角▲7六銀△5七桂成▲同金△同角成▲6六桂△6四金(第6図)
第5図の▲8六歩がまた唸る手。寒い玉頭をいまのうちにケアしたのだ。
森安八段はそれでも香を打ち、△5七桂成▲同金△同角成。あの桂が金と交換になり、また差が詰まった。▲6六桂には手厚く△6四金と打ち、もう訳が分からない。
第6図以下の指し手。▲6八銀打△5六馬▲7七銀△4五竜▲5三角△5二金打▲2六角成△7四歩▲8八玉△7五歩▲8七銀△2五歩▲5九馬△4七歩▲4九歩(第7図)
大山十五世名人も▲6八銀打と1枚入れる。△5六馬に▲7七銀とし、金銀の鉄柱ができてしまった。中原十六世名人の将棋もそうだったが、強者は戦いの最中に舟囲いを補強するのが実にうまい。
▲5三角△5二金打に、私なら功を焦って▲6四角成だが、大山十五世名人は2六に成り返って悠然としたものだ(たぶん)。勝ち急いではいけない、と教えてくれる。
とはいえもう駒の損得もなくなっており、ここまで来たら振り飛車持ち人も多くなったのではないか。
第7図以下の指し手。△3九と▲3三と△4九と▲3七馬△3六歩▲2八馬△5九と▲9八玉△4八歩成▲4一飛△同竜▲同と△6九と▲8八銀上△5八飛▲4二と上△6五馬(第8図)
△3九とが驚異の活用である。将棋はすべての駒を働かせるべし、という教えである。
大山十五世名人は馬を逃げながらも2八に据え、間接的に敵玉を睨む。そして大山十五世名人もと金を活用するが、森安八段の△5八飛~△6五馬も厳しく、一見固い大山陣も、かなり危ないことになってきた。
第8図以下の指し手。▲5七桂△同飛成▲5二と△5八竜▲7四桂△7三玉▲6六金△7四馬▲6一と△同銀▲5一飛△7二銀▲7一飛成△8六香▲同銀右△8四香▲8二金△5五金▲7二竜(投了図)
まで、171手で大山十五世名人の勝ち。
第8図は△7八飛成の狙いがあり、その防ぎ方が難しい。大山十五世名人はまず▲5七桂△同飛成と飛車筋を逸らし、一手稼いで▲5二と。再び△5八竜と突っ込んだ手には、今度は▲7四桂と王手に跳ね、空いた地点に▲6六金と据えた。今度△7八竜なら、▲6五金と根元の馬を取る狙いだ。
よって森安八段は△7四馬と桂を外したが、大山十五世名人は▲6一とと2枚目の金を取り、▲5一飛。これで勝負あった。以下▲7二竜まで、森安八段が投了した。
大山十五世名人は熱闘を制し準決勝に進出したが、体調の不安は当たってしまい、後日「下行結腸ガン」の診断が下された。当然入院・手術の運びとなったが、最重要の順位戦は対戦表が発表される前だったので、ギリギリ休場に間に合った。
棋聖戦の谷川浩司名人戦は不戦敗となったが、その谷川名人は挑戦者になり、「米長三冠王と谷川名人はどちらが実力日本一か」で話題になったものだ。結果は米長棋聖が3連勝で防衛した。
大山十五世名人の手術は無事成功した。そのまま翌年の3月まで休場すると思われたが、なんと10月19日に対局復帰。腹心の前田祐司七段に勝ち、復調をアピールした。
森安八段は1988年に九段昇段。その後も中堅棋士として存在感を見せていたが、1993年11月22日、不慮の事故により亡くなった。
1992年の大山十五世名人の逝去も合わせ、振り飛車の勢力図が大きく衰退してしまったのである。
(7月26日、Unknown氏から、棋譜使用注意のコメントをいただきました。それに伴い同日、本文のアップを保留し、日本将棋連盟に棋譜使用の申請をしました。しかし8月26日現在返信がなく、本文の再掲載に踏み切りました)
森安八段は関西振り飛車党の雄で、昭和50年代後半に大活躍した。その棋風は関西特有の粘り強さで、大山十五世名人に似ているといわれた。ただ、大山十五世名人がゴチャゴチャと局面を紛糾させるのに対し、森安八段はそれをさらにグチュグチュにした感じだった。
そんな2人が対局すればどちらかが飛車を振るが、先手番を引いたほうが居飛車を持つことが多かったようである。
森安八段は第42期棋聖戦で中原誠棋聖から棋聖位を奪取したが、翌第43期に米長邦雄棋王・王将に取られ、この第44期棋聖戦は雪辱に燃えていた。
いっぽう大山十五世名人はこの年61歳。3月にはNHK杯トーナメント戦で優勝し、相変わらずの存在感を見せていたが、この対局の2日前、出張先の大阪のホテルで下血を見た。翌日病院へ行ったが、どうもはっきりしない。そこで精密検査を6日後に行うことになった。本局は、そんな不安の中での対局だった。
1984年5月17日
第44期棋聖戦本戦トーナメント2回戦
持ち時間:4時間
▲十五世名人 大山康晴
△八段 森安秀光
初手からも指し手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲5八金右△5二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲9六歩△9四歩▲6八銀△8二玉▲5七銀右△7二銀▲7七銀△5三銀▲2五歩△3三角▲3六歩△4五歩(第1図)
先手番になった大山十五世名人は3手目に▲2六歩として居飛車明示。森安八段は中飛車に振った。大山十五世名人は振り飛車の名手だが、若手時代は居飛車一辺倒で「大山やぐら」といわれた。相手が振り飛車ならよろこんで居飛車を指し、振り飛車退治も得意にしていた。
大山十五世名人はオーソドックスな舟囲い。そこから▲5七銀右~▲7七銀と発展し、早くも大山流だ。
第1図以下の指し手。▲4六歩△4二飛▲4八飛△4六歩▲同銀△5二金左▲4五歩△4一飛▲3五歩△4四歩▲3四歩△1五角▲4七飛△4五歩▲同銀△3八歩(第2図)
△4五歩に▲4六歩と、早速反発する。森安八段は△4二飛から△4一飛と穏やかに受けるが、大山十五世名人は▲3五歩とどんどん行く。このあたり、いつもの大山十五世名人とは思えない。「この対局が最後になるかもしれない」の思いがあったのだろうか。
ごちゃごちゃやったあと、森安八段の△3八歩が小粋な手。
第2図以下の指し手。▲6八銀△3九歩成▲1一角成△2九と▲4四香△同銀▲同銀△1九と▲4三歩△8四香▲7七銀△8五香打▲8八銀打△8七香成▲同銀△4六歩▲同飛△3七角成▲1六飛△8七香成▲同玉△2七銀(第3図)
△3八歩は振り飛車常用の揺さぶりで、大山十五世名人の実戦にもよく出てくる。
これに▲6八銀と角道を通したのが大山十五世名人の解答だ。△3九歩成から攻め合いになるが、大山十五世名人は香を取っての▲4四香が厳しい、との読みだ。
森安八段は銀を損したが、入手した香を8筋に突き立て、反撃する。さらに端角を成って飛車を僻地にやり、△2七銀で飛車を殺した。が……。
第3図以下の指し手。▲3九香△2八馬▲1五飛△3九馬▲2四歩△1四歩▲4五飛△1七馬▲2三歩成△3六銀不成▲4九飛△3一飛(第4図)
第3図では▲3三歩成△1六銀不成▲同歩の順もあったが、大山十五世名人は▲3九香の犠打で飛車を生還させる順を選んだ。以下ぐるっと飛車を転回し、抑え込みが成功した大山十五世名人が有利に見えた。
しかし森安八段も△3六銀不成と活用し、△3一飛と回る。悪いながらも最善の粘りだ。
第4図以下の指し手。▲7八金△4六歩▲同飛△2七馬▲3九香△6五桂▲6六銀△2九と▲3六飛△同馬▲同香△3九飛▲7九銀△3六飛成▲3三歩成△同桂▲2二馬△4五桂▲3一馬△同竜▲3二歩△2一竜▲2二歩△4一竜▲6五銀△4三金▲3一歩成△5二竜▲4三銀成△同竜(第5図)
第4図では▲2二馬とかしてどんどん攻めたくなるのが人情だろう。そこをぐっとこらえて▲7八金が味わい深い。よく分からないが妙味を感じる。
△2七馬に2度目の▲3九香。これが間接的に△3一飛の進出を防いでいる。
大山十五世名人もじわじわ攻めるが、森安八段は間隙を縫って△4五桂まで跳躍した。この桂が捌ければ元気が出るところである。
さらに△4三金から竜を世に出し、まだ駒損ながら再び香を2本持ち、十分勝負の形である。
第5図以下の指し手。▲8六歩△8四香▲7五歩△6九銀▲6八金打△5八銀成▲同金△3九角▲7六銀△5七桂成▲同金△同角成▲6六桂△6四金(第6図)
第5図の▲8六歩がまた唸る手。寒い玉頭をいまのうちにケアしたのだ。
森安八段はそれでも香を打ち、△5七桂成▲同金△同角成。あの桂が金と交換になり、また差が詰まった。▲6六桂には手厚く△6四金と打ち、もう訳が分からない。
第6図以下の指し手。▲6八銀打△5六馬▲7七銀△4五竜▲5三角△5二金打▲2六角成△7四歩▲8八玉△7五歩▲8七銀△2五歩▲5九馬△4七歩▲4九歩(第7図)
大山十五世名人も▲6八銀打と1枚入れる。△5六馬に▲7七銀とし、金銀の鉄柱ができてしまった。中原十六世名人の将棋もそうだったが、強者は戦いの最中に舟囲いを補強するのが実にうまい。
▲5三角△5二金打に、私なら功を焦って▲6四角成だが、大山十五世名人は2六に成り返って悠然としたものだ(たぶん)。勝ち急いではいけない、と教えてくれる。
とはいえもう駒の損得もなくなっており、ここまで来たら振り飛車持ち人も多くなったのではないか。
第7図以下の指し手。△3九と▲3三と△4九と▲3七馬△3六歩▲2八馬△5九と▲9八玉△4八歩成▲4一飛△同竜▲同と△6九と▲8八銀上△5八飛▲4二と上△6五馬(第8図)
△3九とが驚異の活用である。将棋はすべての駒を働かせるべし、という教えである。
大山十五世名人は馬を逃げながらも2八に据え、間接的に敵玉を睨む。そして大山十五世名人もと金を活用するが、森安八段の△5八飛~△6五馬も厳しく、一見固い大山陣も、かなり危ないことになってきた。
第8図以下の指し手。▲5七桂△同飛成▲5二と△5八竜▲7四桂△7三玉▲6六金△7四馬▲6一と△同銀▲5一飛△7二銀▲7一飛成△8六香▲同銀右△8四香▲8二金△5五金▲7二竜(投了図)
まで、171手で大山十五世名人の勝ち。
第8図は△7八飛成の狙いがあり、その防ぎ方が難しい。大山十五世名人はまず▲5七桂△同飛成と飛車筋を逸らし、一手稼いで▲5二と。再び△5八竜と突っ込んだ手には、今度は▲7四桂と王手に跳ね、空いた地点に▲6六金と据えた。今度△7八竜なら、▲6五金と根元の馬を取る狙いだ。
よって森安八段は△7四馬と桂を外したが、大山十五世名人は▲6一とと2枚目の金を取り、▲5一飛。これで勝負あった。以下▲7二竜まで、森安八段が投了した。
大山十五世名人は熱闘を制し準決勝に進出したが、体調の不安は当たってしまい、後日「下行結腸ガン」の診断が下された。当然入院・手術の運びとなったが、最重要の順位戦は対戦表が発表される前だったので、ギリギリ休場に間に合った。
棋聖戦の谷川浩司名人戦は不戦敗となったが、その谷川名人は挑戦者になり、「米長三冠王と谷川名人はどちらが実力日本一か」で話題になったものだ。結果は米長棋聖が3連勝で防衛した。
大山十五世名人の手術は無事成功した。そのまま翌年の3月まで休場すると思われたが、なんと10月19日に対局復帰。腹心の前田祐司七段に勝ち、復調をアピールした。
森安八段は1988年に九段昇段。その後も中堅棋士として存在感を見せていたが、1993年11月22日、不慮の事故により亡くなった。
1992年の大山十五世名人の逝去も合わせ、振り飛車の勢力図が大きく衰退してしまったのである。
(7月26日、Unknown氏から、棋譜使用注意のコメントをいただきました。それに伴い同日、本文のアップを保留し、日本将棋連盟に棋譜使用の申請をしました。しかし8月26日現在返信がなく、本文の再掲載に踏み切りました)