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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(243) 甲越 川中島血戦 70

2024年11月07日 21時52分21秒 | 甲越軍記
 ここに上野国箕輪の城主、長野信濃守、武蔵国岩槻城主、太田美濃入道三楽の両将は、上杉憲政に属し、上杉謙信を後ろ盾に太田三楽は武州を切り取り、長野信濃守は上州を討ち従えんと心を合わせて相州へ軍を出し北条家としばしば戦をすれば、北条氏康は、謙信、太田、長野の三方から敵を受けて領国を掠め取られる恐れありて、いずれも強敵であるがゆえ、このままでは危ういと思った。

それで近年、親戚となった武田信玄を頼みにしようと思ったが、彼は容易ならぬ男であり油断ならぬと思えば、ここは一計を用いるべしと考えたのは
武田を頼んで長野信濃を攻め討たせて、次に謙信の働きを信玄にくい止めさせる
その間に我は太田三楽を退治する
信玄、謙信は互いに英傑なれば長い対峙となるは必定、そして互いに攻め合えば疲れ果て、一方が敗れ亡び、残った一方も散々な体となるであろう
我は、その疲れ果てた勝者を攻めれば、いとやすく攻め滅ぼすことが出来よう
これで甲越上武の諸国は一度にわが北條家の旗下となるであろうと思い
北條安房守、松田尾張守ら老臣と謀り、弘治三年正月、大藤金嶽斎を遣いにして、武田家に送り「去る天文十九年に、武田殿上州に発向するを、我は今川殿を頼んで中止してもらったことがあった
この度は上州の長野、武州の太田らは、越後の上杉謙信を頼み、自立せんと企む
太田三楽は我らが、上州の長野は貴殿が誅伐して上州を支配なされるが宜しいかと」と言い送れば、信玄は大いに喜び勇む

信玄は「かって北條が今川に泣きついて、我らが上州発向を押しとどめた、それが今になって勝手に切り取りなされるが宜しいとは北條もいささか弱き也
我らは、これを幸いに上州を切り取り、あわよくば北條までも攻め滅ぼし、上、武、相の三州をtに入れるべし」と考えて、山本道鬼など老臣と軍議をすると、山本曰く「これは北條が太田、長野が攻め寄せ来る上に、上杉謙信までもが出張れば、いよいよ危ういと見て、君に上州を切り取り給えと申して、その実は謙信の抑えとして我らを利用する考えであります
今、君は信濃をほぼ手中に収めて昇竜の勢いであります、長野を攻め滅ぼせば、剛毅の大将である長野に従う上州の諸将は、たちまち我らになびき、上州を手に入れるは安しであります」と言えば、信玄もこれを受けて、すぐに上州に軍を進める。


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