今日は、夏らしいいい天気だった。
ただ、今日も静養と割り切り、雑事、インドでの写真の整理等にあたった。
ずいぶん撮ったのだが、やはりフラッシュなしでの石窟の写真が厳しい。三脚も使えないため手振ればかり。もう少しいい方法があるのだと思うのだが、頭の中に焼き付けたということで、勝手に納得。
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大野城を、福岡平野側(北側)に降りたところに、水城址があった。ここが、新羅・唐連合軍が攻めて来た時の防衛ラインだったわけだ。百済を失ったヤマトの、新羅・唐連合軍への警戒度がわかる。
奥に見えるのが、7世紀に積み上げた堤の跡。
幅23m、高さ5mの土塁になる。基底部分も含めれば、幅77m、高さ9m。
1.2km続くという。山と山の間に、この堤を築き、守りの壁を作った。この堤の海側(平野側)に、水を貯めたらしい。
イメージしていたよりも、大規模だ。古墳を築いた技術が、この堤を作る時にも生かされたのだろうか。
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堤の上から臨むと、この堤がずっと続いているのがわかる。奥を横切る高速道路が低くなっているのは、この水城周辺の景観保護のためという。
昔の首都高建設時とは、時代が違う。
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水城の上は歩けるようになっている。
ヤマトを取り巻く世界情勢が、身近に感じられる。
ただ、今日も静養と割り切り、雑事、インドでの写真の整理等にあたった。
ずいぶん撮ったのだが、やはりフラッシュなしでの石窟の写真が厳しい。三脚も使えないため手振ればかり。もう少しいい方法があるのだと思うのだが、頭の中に焼き付けたということで、勝手に納得。
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大野城を、福岡平野側(北側)に降りたところに、水城址があった。ここが、新羅・唐連合軍が攻めて来た時の防衛ラインだったわけだ。百済を失ったヤマトの、新羅・唐連合軍への警戒度がわかる。
奥に見えるのが、7世紀に積み上げた堤の跡。
幅23m、高さ5mの土塁になる。基底部分も含めれば、幅77m、高さ9m。
1.2km続くという。山と山の間に、この堤を築き、守りの壁を作った。この堤の海側(平野側)に、水を貯めたらしい。
イメージしていたよりも、大規模だ。古墳を築いた技術が、この堤を作る時にも生かされたのだろうか。
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堤の上から臨むと、この堤がずっと続いているのがわかる。奥を横切る高速道路が低くなっているのは、この水城周辺の景観保護のためという。
昔の首都高建設時とは、時代が違う。
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水城の上は歩けるようになっている。
ヤマトを取り巻く世界情勢が、身近に感じられる。