秋雨前線停滞中。
先週比マイナス15度!
本書は、題名を見てゲット。
当初は、映画が流行っている頃に出そうと思ったが、タイミングを逸し、出版社も当初あまり乗り気ではなく、だらだらとこのタイミングになったとのこと。
でも、それはそれでよかったのかもしれない。
映画や、ALQの来日の感動から、少し間を置いて、ゆっくりと読める。
著者は、大学で、非常勤の英語教師をされているようだが、専門は、映画研究ということで、趣味が生活の糧になったような、うらやましい方。
クィーンが特に大好きという訳でもないようだが、本書を書くために研究もされ、かなりディープな内容になっている。
と言っても、内容は題名とはちょっとずれていて、フレディーのセクシュアリティについての、関係者の証言と、報道を詳しく調べ、時代の背景の変化も踏まえ、社会の反応等も含め、総合的に分析したものが中心という感じ。
そもそも、フレディ本人が全くLGBTと認めていなかったことは知らなかった。
80年代ミドルからは、その傾向は誰の目から見ても、明らかと思っていたが、確かに当時断言した報道はなかった。
メンバーにも、明確には言っていなかったらしい。
それは、彼の出自(親がゾロアスター教徒、アフリカ生まれ、インド育ち)と、まだLGBTに対し不寛容だった社会情勢も一因だと思う。
それを広めたのは、著者の菅原氏の調べによると、ライスという著名なミュージカル作家と、ジョーンズという著名なジャーナリストに行きつくという。
特にジョーンズは、あたかも自分がそれを発見したように喧伝し、あまり好ましく思われていない。
しかも、その事実を誇りに思っていない関係者の多くが存命中に。
ボヘミアン・ラプソディの歌詞は、不思議、言いようによってはすっちゃかめっちゃかな歌詞なのだが、フレディ本人が水上さんに、ぽろっと、Personalな歌詞だとつぶやいたそうな。
つまり、最初に殺されたのは、かつてのの本人という訳。
歌詞については、同様の議論が、本国でも展開されていて、まさに深読み大会状態になっているそうで、それぞれの深読みがまた面白い。
その他に、息抜きコーナーなどもあって、読みやすく、出来上がっている。
ちなみに、著者は、ALQの名古屋公演にも足を運ばれたそう。
私も、埼玉公演に何度も落選の上、仕方なく、名古屋の最上階、正面から見た。
クィーン展は、新型コロナのため、東京・横浜で終わってしまったそうで、行けなかったとのこと。
両方行けた私は、その意味ではラッキーだった。
最後に、ボヘミアン・ラプソディの映画の製作意図、そのウソとホントについての考察があるが、ここは、まさにその通りという印象。
たぶん、ウソがあると知っていて、観客は感動している。
アメリカでは、内容がフェイク、本人が似ていないなどの辛口の論評があるが、それは、本作の本質を見誤っているとする。
制作者は、そんなこと承知の上で、観客を感動させ、かつフレディ・クィーンを美化する感動作に仕上げているのだ。
"CAMP"の意味など、知らなかった常識についても、説明してくれており、面白かったが、一般的に、クィーンや、フレディについて、知りたい向きには、ちょっと偏っている内容かもしれない。
ということで、マニア向けか。
先週比マイナス15度!
本書は、題名を見てゲット。
当初は、映画が流行っている頃に出そうと思ったが、タイミングを逸し、出版社も当初あまり乗り気ではなく、だらだらとこのタイミングになったとのこと。
でも、それはそれでよかったのかもしれない。
映画や、ALQの来日の感動から、少し間を置いて、ゆっくりと読める。
著者は、大学で、非常勤の英語教師をされているようだが、専門は、映画研究ということで、趣味が生活の糧になったような、うらやましい方。
クィーンが特に大好きという訳でもないようだが、本書を書くために研究もされ、かなりディープな内容になっている。
と言っても、内容は題名とはちょっとずれていて、フレディーのセクシュアリティについての、関係者の証言と、報道を詳しく調べ、時代の背景の変化も踏まえ、社会の反応等も含め、総合的に分析したものが中心という感じ。
そもそも、フレディ本人が全くLGBTと認めていなかったことは知らなかった。
80年代ミドルからは、その傾向は誰の目から見ても、明らかと思っていたが、確かに当時断言した報道はなかった。
メンバーにも、明確には言っていなかったらしい。
それは、彼の出自(親がゾロアスター教徒、アフリカ生まれ、インド育ち)と、まだLGBTに対し不寛容だった社会情勢も一因だと思う。
それを広めたのは、著者の菅原氏の調べによると、ライスという著名なミュージカル作家と、ジョーンズという著名なジャーナリストに行きつくという。
特にジョーンズは、あたかも自分がそれを発見したように喧伝し、あまり好ましく思われていない。
しかも、その事実を誇りに思っていない関係者の多くが存命中に。
ボヘミアン・ラプソディの歌詞は、不思議、言いようによってはすっちゃかめっちゃかな歌詞なのだが、フレディ本人が水上さんに、ぽろっと、Personalな歌詞だとつぶやいたそうな。
つまり、最初に殺されたのは、かつてのの本人という訳。
歌詞については、同様の議論が、本国でも展開されていて、まさに深読み大会状態になっているそうで、それぞれの深読みがまた面白い。
その他に、息抜きコーナーなどもあって、読みやすく、出来上がっている。
ちなみに、著者は、ALQの名古屋公演にも足を運ばれたそう。
私も、埼玉公演に何度も落選の上、仕方なく、名古屋の最上階、正面から見た。
クィーン展は、新型コロナのため、東京・横浜で終わってしまったそうで、行けなかったとのこと。
両方行けた私は、その意味ではラッキーだった。
最後に、ボヘミアン・ラプソディの映画の製作意図、そのウソとホントについての考察があるが、ここは、まさにその通りという印象。
たぶん、ウソがあると知っていて、観客は感動している。
アメリカでは、内容がフェイク、本人が似ていないなどの辛口の論評があるが、それは、本作の本質を見誤っているとする。
制作者は、そんなこと承知の上で、観客を感動させ、かつフレディ・クィーンを美化する感動作に仕上げているのだ。
"CAMP"の意味など、知らなかった常識についても、説明してくれており、面白かったが、一般的に、クィーンや、フレディについて、知りたい向きには、ちょっと偏っている内容かもしれない。
ということで、マニア向けか。