かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

万葉集に出会う

2021年09月06日 | Books
今日も、はっきりしない天気。
涼しいのは、助かるが。



本書は、8月に出たばかり。

奈良時代に絡むメジャーな本には、大体手を出しているので、迷わずゲット。

国文学の先生による本で、歴史というより、歌の解釈についての考察が主で、古文を苦手としていた(丸暗記で乗り切った?)私には、ちょっとどうかなと思ったが、面白かった。

万葉集は、全て、万葉仮名で書かれている。
要するに、日本語を、入ってきたばかりの漢字で、無理して著したもの。
当時は、ひらがなも、テープレコーダーもない訳で、その読み方については、ひらがなが使われ出した時に、注釈として残され始めたのだが、本書によれば、平安時代から、もう間違いが散見され、江戸時代の賀茂真淵によって、さらに大きく見直されたのだが、逆に誤りとなったケースもあり、明治になってからもその昏迷は続いているという。
今もまだ論争が続いている歌も多い。
万葉集の解説本なども読んできたが、あくまでも、その解説者の解釈によるもので、読み手の真意かどうかは、神のみぞ知る状況であることを知った?

冒頭に取り上げられる
”石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも”
こう出されると、ふむふむと思ってしまうのだが、実は、石ばしるは、元は、石そそぐだった?
途中で、石ばしるだということになったのだが、やはり石そそぐが正しいと著者はいう。
当時の読み、漢字の当て方、言葉の表す意味、他の歌での用法等、様々な観点からの検討が必要なのだが、それを研究した結果の結論。

原文には、"激"の漢字が使われているのだが、かつてははげしいという読みはなく、何と、私の卒業した高校の初代校長が著した、明治時代の国語辞典でも、その意味はなかったという。
今では、”はげしい”は、当たり前なのだが、言葉は、刻刻と変わっているのだ。

"垂水"もどうか?
わらびは、5月か6月。違うのではないか?
よく読むと、季節や、歌に表れる動植物のことを考えると、ずっと定説となっていた読み方に、ありえないことが多くあるという。

奈良時代直後の平安時代には、すでに、奈良時代の歌の読み方が、完全に忘れられている?

歌の作り方も大きく変わっており、万葉集でよく使われた擬人化は、廃れてしまい、好ましくない手法とまで言われるようになった。
日本人の心自体が、変化しているのだ。

”恋”という漢字は、昔から当てられていたそうだが、”孤悲”という漢字を当てていることも多いという。
使い分けていたのか、興味深い話ばかり。

”炎”を、かげろいと読むか、けぶりと読むかで、全くイメージが違うが、今までかげろいと読まれていたのは、間違いと断ずる。
そのことによって、歌の意味が全く異なってくる。
歌としては、かげろいの方が、雰囲気はあるのだが。
戯れ目的だけの歌も多く掲載されており、遊び心も満載。

万葉集を、元の漢字に戻って解読を始めると、まだまだ発見が出てきそうだが、気の遠くなる作業が必要になるだろう。
ロゼッタストーン並み。
それこそ、データ化を進めて、分析をAIにお願いするか?
コメント
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