かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

島根・神々の宿る里その14 八雲立つ風土記の丘

2010年05月18日 | Other Western Japan


今日は、天気は良かったが、風は強かった。そんな中、箱根の外輪山に囲まれたすばらしいコースでプレイ。コースは最高。8月下旬には、女子プロトーナメントも開催される。



松江では、松江城を中心に回ったが、松江のちょっと奥に、行きたかったところがあった。
”意宇(おゑ)”と呼ばれる、出雲神話の中心地だ。小泉八雲の”八雲の地”ともよばれる。
この”意宇”という不思議な地名の背景には出雲神話がある。
記紀には、出雲の話は限られるのだが、その直後に編纂された出雲国風土記にはいろいろな話が伝えられている。その代表的なものは、国引き神話だ。

まだ島根半島もなく、出雲地方もない時代、ここから新羅方向を見て、まだ土地があるとし、石見銀山の近くの三瓶山(さんべざん)に杭を立て、出雲地方を、新羅から引き寄せ造った。そして、大山に杭を立て、三保、境港方面を、北方、北陸地方から引き寄せ造った。そして、国引きを終えた神は、この”意宇”で、杖を突きたて、”おゑっ(意宇)”と言ったのである。
この話は、根拠が薄い造り話とされてきたが、この地方で、考古学的な発見が相次いだことにより、出雲地方に、大和王朝に対する大きな王朝があったことが明らかになってきたのである。
まさに、この”意宇”が、出雲神話の中心地なのだ。
大きな発見があった、岡田山一号墳、二号墳の隣に造られたのが、この八雲立つ風土記の丘展示学習館で、本来はここで学習してから、史跡巡りをする。

名前が妙に長く、野暮ったい気がするが、中の展示は、充実している。特に、岡田山一号墳で発見された額田部臣(ぬかたべのおみ)銘文入り太刀、振り向いた鹿の姿をした埴輪など、重要文化材を含めた展示物は、充実しているし、展示方法も、コンパクトでわかりやすい。見たこともなかった子持ち壺などもなども展示されている。



これは、岡田山二号墳。未発掘だが、直径43m、高さ6.5mと、大きな円墳だ。



この岡田山一号墳で、銘入りの太刀が発掘された。前方後方墳で、あまり他では見たことない。子持つぼ、金銅製の馬具なども発掘されている。
出雲王朝、大和王朝、蘇我家の関係は、6世紀、どのような姿だったのだろう。



当時、庶民がこのような家に住んでいたことを思うと、当時の中央権がいかに大きいかが、実感できる。


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島根・神々の宿る里その13 武家屋敷

2010年05月17日 | Other Western Japan


松江城の北側には、江戸時代からの屋敷群が残されている。この一体は、塩見縄手と呼ばれているが、塩見さんは、松江藩で大出世した役人で、縄手は、お城のお堀を囲む細い路のことを言うらしい。
この通りに沿って、小泉八雲記念館、八雲旧居、田部美術館、武家屋敷が並んでいる。



一番興味深かったのは、小泉八雲亭。



小泉八雲ことラフカディオハーンさんはギリシャ生れ。2歳の時、アイルランドに移り、19歳でアメリカに渡る。1890年、39歳の時、記者として来日したが、その後、島根で、英語教師となり、この侍屋敷(根岸亭)に居を構えた。松江にいたのは、1年3カ月で、その後、熊本、神戸、東京を移り、1904年に亡くなったという。
19世紀のことだから、日本に住んでいた外国人などほとんどいなかったはずだ。



その中で、小泉八雲さんが、日本をこれだけ愛したのは、松江・出雲の風土、この純日本風の屋敷、日本人の奥さん(セツさん)の影響が大きかったのではないか。

左目を失明していたそうで、記念館の方に、八雲さんの机が展示されているが、椅子がとても高く、机にかじりつくように執筆されていた姿が、目に浮かぶ。



もうひとつ見ごたえがあるのが、この武家屋敷。八雲亭とは、全然規模が違う。この屋敷に塩見さんが住んでいて、600石から1,000石取りへと異例の昇進したという。これでも中級武士というから、やはり昔の侍さんは、偉かったのだ。



各部屋には、当時の生活がわかるような展示がある。



近くには、松江歴史館が建設中だった。来年3月開館予定。



ということで、松江城を中心とした一帯は、城下町の雰囲気を残した味わいがあった。
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島根・神々の宿る里その12 松江城

2010年05月16日 | Other Western Japan


足立美術館から、今度は、島根県の県庁所在地である松江に向かった。やはり最初は、松江城。
1611年出雲藩主の堀尾氏により建造され、その後松平家が殿さまになり、江戸時代いっぱい使用された。その後も残され、現存する12天主の一つになっている。天主閣の平面規模で二番目、高さでは3番目、古さでは、6番目という由緒あるお城だ。明治の初めに、お城はほとんど壊されてしまったのだそうで、残されているお城は、貴重。
今、重要文化財だが、国宝にしようという署名活動が行われていた。国宝に値するお城に見えたが。
築城400周年の企画もあるようだ。



黒く厚い雨覆い板が特徴的だ。



天主閣の最上階(5階)は、望樓式と呼ばれ、四方が展望できる。宍道湖もすぐそこだ。



中の展示も、楽しめる。



八重桜が、まだ咲いていた。



敷地内には、神社が3つあるが、これはその中でも大きい護国神社。町の真ん中にいい空間が残されている。
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島根・神々の宿る里その11 足立美術館

2010年05月15日 | Other Western Japan

今日も、先週に引き続いてゴルフだった。すばらしいコンディションだった....



境港から、一転、今度は、水木さんの奥さんのふるさとである安来(やすぎ)にある足立美術館に行った。
この美術館は、実業家で、美術品のコレクターである足立さんのコレクションを公開しているのだが、とてつもない美術館だった。
足立さんは、小学校卒業後、農業をしていたが、商売をする道に転じ、木炭運搬から始め、繊維問屋、不動産業で財をなしたという。
収集は、昭和30年代からというからそんなに古くはないのにこのコレクション。特に、日本絵画の横山大観、陶撃フ北王路魯山人など、目もくらむほどだ。
美術館ができたのは、昭和45年。足立さんが、71歳の時という。
これは、安来節演芸場。安来節(どじょうすくい)を披露しているのだろうか。



現在新館建築中。今年の秋オープン予定。



その奥に、足立美術館はあった。入口は、普通の美術館と、そう変わらない。



足立美術館が、人気を博しているのは、日本絵画、日本陶撃フコレクション加え、庭園だ。贅を尽くしたという表現がふさわしい庭園だ。
これは、入口近くにあった苔庭。でもまだ序の口だった。



足立翁が、庭を案内してくれる。日本庭園のランキングで、7年連続で、日本一に選ばれているという。827ヵ所の候補から選ばれているというから、並大抵のことではない。あのミシュランのグリーンガイドジャパンでも三つ星の評価を得ているという。



これは、枯山水庭。中央の立石は、滝をイメージしているという。借景もすばらしい。



これは、池庭。鯉達も幸せそうだった。



これは、白砂青松庭。横山大観の名作をモチーフにした庭という。



生の掛け軸は、床の間の壁をくり抜いて、あたかも山水画が掛かっているかのように見える。
それにしても、この庭を維持する努力は、これまたとてつもないものだ。

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島根・神々の宿る里その10 河童の泉

2010年05月14日 | Other Western Japan


サラリーマン山田も、水木さんが編み出したキャラクター。夢は持つが、自分自身の意気地のなさや、思い切りの悪さからせっかくのチャンスを逃してしまう、人間の哀しみ漂う水木漫画の名脇役(妖怪ガイドブックより)。効能は、何があってもへこたれない!



魔女の花子さんは、家出中の魔女だ。



こなき爺。お馴染のキャラだが、出現地は、阿波なんだそうだ。



砂かけ婆もお馴染。効能は、元気なおばあちゃんになれるとか。



これは、ゲゲゲの鬼太郎の塔の鬼太郎。



塔は、2m30cmもある。上には、目玉おやじもいる。



水木しげるロードの最後に紹介するのが、妖怪広場。河童の泉、妖怪傘、目玉おやじ街灯が売り。



河童の泉には妖怪たちが大勢いる。
鬼太郎は、何故か小便小僧になっている。ねずみ男は、水泳中。小豆洗いは、お仕事中。悪魔くんは、偉そうにしている。カッパとタヌキが談笑中。河童の三平は、河童の泉を見下ろしている。さざえ鬼は、はしゃいでいて、岸涯(がんぎ)小僧は、お食事中。
結構妖怪たちも忙しそうなのであった。
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