今日は、仙台近郊の秋保に来た。
仙台市内は、はっきり言って、そんなに観光資源が豊富とは言えないが、近郊には、見所が多い。
松島周辺が、代表格だが、温泉が近いのも嬉しい。
作並、遠刈田、秋保などなど。
温泉地には、こけしを作る方々がいて、それぞれ、伝統的に、温泉地ごとに、個性のあるこけしが、土産物として人気だ。
私は、そんなの関係なく、森林スポーツ公園なる施設で、帰国以来初めてテニスなんぞをしてみたが、肩が上がらす、サーブと、スマッシュが打てない。とほほ。
腰痛と違い、ストレッチは、逆効果とも言うし。
長びかなければいいのだけど。江川は、これで、引退したんだっけ。
明日は、横浜に戻る予定。
だからというわけではないが、今日は、仙台に来た。
仙台市内で、一番有名な神社は、大崎八幡だろう。
仙台にいたころは、初詣にも、ドント祭にも行った。
ドント祭は、門松や、注連縄を、雪が降り積もる中、盛大に燃やすお祭りで、ひじょうに印象深かったが、今は、温暖化で、雪の中でのドント祭は、少ないだろう。
当時は、まだプレスリーが生きていて、当時珍しかった、アメリカからの、彼のコンサートの生中継と、重なったのを覚えている。当時は、洋楽だったら、何でも良かったのだろうか。
大崎八幡の一番の見所は、この本殿。国宝に指定されている。
大崎八幡は、元は、坂上田村麻呂の東夷征伐の際に、創建されたというが、現在の社殿は、江戸初期に、伊達家によって 建てられた。
安土桃山建築を代表する遺構であり、現存最古の権現造りの建造物だ。
装飾もきらびやかで、伊達家の面目躍如というところ。
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結構、神話に親しんできたので、その原点ともいえる口語訳・古事記という本を読んでみた。2006年に出た文庫版で、神代篇と、人代篇の2冊セットだ。
この作りは、古事記と同じだそうだ。
本社の特徴は、オリジナルの古事記の雰囲気を出すため、翁が語るスタイルをとっていることだ。そのため、オリジナルに忠実ながら、読みやすさも同時に追求している。
注釈も詳しく、知的欲求も満たされる。
さらに、地名解説や、人名解説、神々の血統図、関係地図などの付録も盛りだくさん。
本文は、流石に、神々の名に馴染がないので、読むのがややたいへんだが、これが、オリジナルに忠実なのだから、已むないだろう。
人代篇では、今実際ある地を舞台にした話も多く、かなり実話に近い部分が多いと思われる。特に、山の辺の道付近を舞台にした話などは、かなりリアルだ。神代篇は、よりミステリアスだが、そのずっと後ろに、真実が隠されている?
神代篇の解説も興味深い。日本書紀との違い、特に出雲に関する違いなど、深い考察が展開されている。
記紀と、ほぼ同時期の風土記が、古代日本の、唯一といってもいい記録なのだから、残されたもの、これから発掘されるものとの分析を、これからも続け、真実に一歩一歩近づいて行くしかないだろう。
もう散々分析されているはずなのだが、まだまだ謎は多い。
明日から、ちょっとお出かけ。お休みするかも。しないかも。
本書も、またまた翻訳本。2008年に、翻訳本が出た。
クラプトンが、アル中、薬中だったことは、有名。奥さんが、元、ハリソンの奥さんだったことも。
かなり、乱れた私生活だったことは想像に難くないが、ここまでとは。それも、自身の口から語られているのだから、間違いない。
クラプトンは、初期、グループを作ったり、壊したり、転々とするのだが、本書を読むと、そのほとんどが思いつきと、ハプニングと、複雑な人間関係の狭間でできた、偶然の産物のように思えてくる。
ヤードバーズも、クリームも、ブラインド・フェイスも、デレク・アンド・ザ・ドミノスも。でも、それらは、現実だ。
様々な有名コンサートにも出演しているが、その裏話、感想など、えぇ?というものが多くあった。その他、関係者も全て実名で出て来るが、この年になったからしゃべれるというところだろう。
私が見た数回のコンサートも、完璧に見えたが、彼の立場からは、綱渡りの連続だったようだ。
それにしても、この乱れた人生の中で、あのギターテクニックを生み出した。多くのすばらしい曲も。やはり、クラプトンは、神としかいいようがない。
ここまで、ひどい話を聞いたら、幻滅するのが普通だとも思うが、神はすでにその域を超越している。
ずいぶん久し振りにアルバムも出すと聞いた(実は予約済み)。前回のよりは、ちょっと尖った音も聴きたいな。
翻訳本が続くが、本書の凄さは、格別かもしれない。
著者のハルバースタムさんは、本書を書きあげた直後、交通事故で亡くなられた。2007年のことだ。
シカゴ駐在時代に読んだ、日米自動車戦争を描いた”覇者の驕り”も、彼の作品と知った。
徹底的に調べ上げて、書く。本書も10年がかりで著わしたそうだ。
朝鮮戦争は、日本にとっては、戦後の復興の機動力になった。しかし、本書を読むと、アメリカにとっては、ベトナム戦争並の泥沼戦争であったことがわかる。
特に、38度線を奪回してからが滅茶苦茶だ。
最初から、相手をなめてかかって、都合の悪い情報には、目をつぶる。特に中国の参戦は、完全に読み違えだ。
でもそれは、アメリカだけではなく、ソ連にとっても、中国にとっても誤算続きだった。
あの仁川上陸作戦(今は国際空港があるところだが)でさえ、一か八かの勝負だったいう。
それから先は、ほとんど無茶苦茶。情報も、補給線もあったものではない。最も奇怪なのは、マッカーサーがほとんど前線に行かず、日本で、優雅にどっしり構え、本国にも間違った情報を送り続け、恫喝もし、結局更迭された。
ちょっと長くなるが、本書のまとめの部分を。
すべての戦争はなんらかの意味で誤算の産物かもしれない。だが朝鮮では戦争当事者双方の重要な決定のほとんどが誤算に基づいていた。まずアメリカが防衛範囲から朝鮮半島を外し、これがさまざまな共産側当事者の行動を誘発した。ついでソ連が金日成の南への侵攻に青信号を出した。アメリカの参戦はないと確信したのである。アメリカは参戦した。そのときアメリカは、立ち向かう相手の北朝鮮軍の能力をひどく過小評価する一方、初めて戦闘に赴くアメリカ軍部隊の準備態勢を法外なまでに過大評価していた。アメリカ軍は後に、中国の度重なる警告に注意を払わず、三十八度線の北に進撃する決定を下した。
それからこの戦闘における単一では最大のアメリカの誤算があった。マッカーサーが中国軍は参戦しないと確信したがゆえに、はるか鴨緑江まで進撃することに決め、自らの部隊をこのうえなく無防備にな状態にさらしたのである。そして最後は毛沢東だった。かれは兵士の政治的純粋さと革命精神がアメリカ軍の兵器の優位(そしてその腐敗した資本主義精神)よりもずっと重要であると信じ、そのために朝鮮最北部での緒戦の大勝利の後、舞台をあまりにも南下させすぎ、その過程で恐るべき損害を出した。
マッカーサーは、朝鮮半島で、原子爆弾さえ使う可能性があったという。
戦争は、狂気というが、論理づくでは戦争はできないから(朝鮮戦争や、ベトナム戦争や、イラク戦争や、アフガン戦争や、すべての戦争がそれを証明している)、結果的に狂気になってしまうということかもしれない。ということは、正義のための戦争は、ありえないということになる。