かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

帰宅難民

2011年03月11日 | Topics
今晩は、生まれて初めての帰宅難民。
台風や、雪や、昔あったゼネスト前に、計画的に泊まったことは、あったが、不慮の災害で、泊まることになったのは、初めて。
在庫交換の時の、期限切れの乾パンを食べたことはあったが、緊急でいただくことは、初めて。
もちろん、こんなでかい地震を、経験するのも、初めて。
明日のゴルフもパー。
命が、あるだけでも、感謝しなくては、ならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良の旅

2011年03月10日 | Books


面白い本を見つけた。松本清張さんが書いた奈良の旅の本が復刻されたものだ。元の本は、1984年に発行されたらしい。どの程度復刻にあたって手が加えられたかは、わからないが、写真などは、新しいものも使われている。

奈良の見方、切り口が、巷の奈良紹介本とは、全然違う。
いろんな伝説を嘘と断じたり、庶民に伝わる儀式や生活をこまごま書いたり、メジャーなところとニッチなところを、同じスペースを使って紹介したりしている。
だから、奈良通と思っている人も読む価値は、十分ある。必ずどこかに新発見があるだろう。

法華寺の十一面観音は、光明皇后の姿を映したもの伝えられる。私も、1対1で、じっくり拝まさせていただく機会を得たが、それは美しい観音様であった。これには言い伝えがあって、インドの健陀羅(がんだら)国の見生王(げんしょうおう)と言う人が、生身の観音様を拝みたいと願ったら、光明皇后を拝むといいというお告げがあり、門答師を日本に使わし、光明皇后の入浴中を垣間見て木に彫ったのだという。一挙に三体の像を彫り、一体は、これで、一体は、インドに持ち帰ったという。全く無茶苦茶な言い伝えで、清張さんも、全くのウソと断じている。では、何故こんな話を載せたかというと、のぞき見趣味が、日本に古くからあったということを証明するためなのである。ユニークだ。シモネータ絡みの話は、他にも多々出て来る。

昨年は、奈良平城遷都1300年で盛り上がったが、その中心となったのが、平城宮跡。近鉄線が通った以外は、きれいに原っぱで残っているが、偶然残ったものではなく、残そうという努力があったことを本書で、知った。奈良の大工の棟梁であったという。その棟梁がいなかったら、大極殿の再建は、できなかったかもしれない。そんな紹介は、昨年の祭りの時は、されていなかったが。
そして、礎石が残っていない理由も。郡山城を作る時に、持って行ってしまったらしい。清張さんは、洞ヶ峠で有名な筒井順慶が犯人であると推理している。本書には、清張さんの推理も各所に盛り込まれている。

昨年4月は、吉野の桜を満喫したが、古いものではないらしい。その証拠に万葉集、懐風藻には、吉野がたくさん出て来るにもかかわらず、桜は、出てこないという。桜は、蔵王権現の聖木として保護され、後に、桜の苗木を奉納することが功徳があると信じられたのだという。奉納が一番盛んだったのは、足利時代だった。

25年以上前の本だが、今尚、多くの新鮮な発見ができる本だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの戦争と日本人

2011年03月09日 | Books


”あの戦争”を経験した世代が減少してく中で、半藤さんの著作は、ますます貴重になっている。歴史として語れる人は多いが、体験した歴史として語れる人はそうはいない。
本書にも、歴史探偵を自称する半藤さんの本領が発揮されている。実体験とともに、オリジナル資料に基づいた分析だから迫力が違う。幕末から、あの戦争まで、戦争を軸として、日本の近代史を分析。戦争を知らない我々以下の層には、是非読んでもらいたい本だ。

WWⅡの時に、濫用された統帥権。昭和初期に生まれた概念と思ったら、明治の軍体創設時からあった概念だそうだ。薩長が、江戸幕府を転覆した時(=明治維新)にその原点はあった。

WWⅡが始まった、1941年12月8日。無謀な戦争が始まった日と、今は思うが、当時は、知識人も含め、ほとんどの人が、痛快感を抱いたという。熱狂に流された。熱狂に流されないためには、歴史を正しく学んで、自制と謙虚さを持つ歴史感覚を身につけることが大切だと半藤さんは、説く。その通りだと思う。

何かと話題の日露戦争も、幸運の連続でやっとこさっとこ乗り切った戦争だったのだが、これも日本人は、学ぶことがなかった。203高地の戦いなど、ほとんど無意味だったのだが。ここで、学ばなかったことが、日本を破滅に追い込んでいったのだ。先日の半藤さんの講演でもその点を強調されていた。教訓すべきところがたくさんあったのに、勝ったという一点によって、それを全部消してしまったわけだ。
もっと言えば、日露戦争後、亜細亜の中心として、欧米と対等に交渉する力を得たのに、逆に欧米とともに、亜細亜に対立する方向に走ったのだ。日本は、ここで、大きく、道を踏み外した。
出世主義、金権主義、享楽主義、虚無主義が、日本を覆い始めた。
半藤さんの、義理の祖父である夏目漱石も、見事その点を看破し、『三四郎』にも記している。

面白い話に、日本人は、4文字7音に弱いという。今でいえば、郵政改革、政権交代。当時でいえば、大政復古、大政奉還、富国強兵、臥薪嘗胆。みんな、4文字7音じゃないか。
その中で、WWⅡの時に盛んに使われたのが、八紘一宇。そもそもは、日本書紀に出て来る言葉だそうだが、今はあまり使われない。八紘は、四方と四隅、つまり世界、一宇は、一つの家、世界を一つの家にするという意味だそうだ。この4文字7音に踊らされて、あの戦争に突き進んだのか。天才的な、キャッチコピーと言えるかもしれない。そういえば、私の尊敬している人に、紘一さんという名前の人がいた。皮肉にも、その方のお父さんは、シベリアに抑留された。

原爆の話も、詳しく書かれている。この部分は、アメリカの人に読んでもらいたい部分だ。当時、原子爆弾は、最先端の技術。日本も、研究をしていたが、途中で、中断。アメリカは、巨額の費用を継ぎこみ、極秘裏に完成し、日本に対して使用。開発目的は、日本に対して使用すると、開発段階から、明確だったという。
京都、横浜、広島、小倉、新潟が、候補だったが、広島が最初の投下地になった。
ただ、科学者の中では、150名中、127名が、警告後使用すべきと言い、無警告の原爆使用に反対していたのだそうだ。
トルーマンは、この結果を知ることもなく、原爆使用にいたったという。

戦争は、人を狂わせると言ってしまえば、それまでだが、歴史を学ぶことにより、少しは、まともな判断ができるようになるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ローマ人の物語』 スペシャル・ガイドブック

2011年03月08日 | Books


塩野七生さんのローマ人の物語が完結したのは、もう4年ほど前だろうか。その直後に出たのが、『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブックだ。
イタリアに行くことがあったら読もうと思っていたのだが、しばらく行くチャンスもなさそうなので、読んじゃった。

新潮社出版企画部編だが、流石よくできている。
単なる観光ガイド的なものを予想していたのだが、ローマ人の物語のあらすじを、きれいなカラー写真付きで説明してくれている上に、名言録や、様々な切り口からのローマ人劇場ベストⅤ、塩野さんの対談、ラテン語入門など、盛りだくさん。だのに、楽しく読める。
ローマ人の物語15巻は、ちょっと重いと思う人は、本書から入って、興味のある巻のみ読んでみる手もあるだろう。あらすじは、巻毎だから、どの巻にどのストーリーが入っているかもわかる。

特に、塩野さんのロングインタビューは、興味深い。ローマ時代のローマ人の特徴が、寛容であること、ローマは、共和制から帝制に移行したが、それにより、ローマ全盛期を築いたことについて語っている。帝政といっても、市民の支持を得た帝政は、プラスだったのだ。
今のアメリカのイラクでの惨状、日本の民主主義の混乱を見ると、このインタビューが、この混乱を予期していたようにも思われるのだ。
塩野さんは、やはり傑物である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MUさんの話

2011年03月07日 | Topics
hanatare来月予定されていたKISSの来日公演が延期になった。全くの突然で、手違いか何かかと思うが残念。それこそ、33年振りぐらいの再会になるかもしれなかったのだが。
まぁ、また来てくれるだろう。コマーシャル・ロックと呼べるぐらい(勝手命名)、ロックを商業化したグループだから。
是非、33年前に見た武道館でのコンサートを楽しみたいものだ。

flag2先日、日本コカコーラのMU氏の話を聞く機会があった。
ブランディングマーケティングの話だった。
コカコーラのブランドが凄いとは思っていたが、その価値6兆円で、世界一とは知らなかった。IBM、MS、グーグル、GE、Mc、インテル、ノキア、ディズニー、HPなどが続く。
日本で有名なブランドは、SONYだが、SONYの名を決める時4つの理由があったという。
①4文字②H入れない(ラテン語圏で、Hは発音しない)③SONAS(音)がベース④Sunny(明るい)のイメージ。大成功だ。

日本におけるコカコーラのブランディングは、日本発のものが多い。ジョージア(缶コーヒーの発想はアメリカにはなかった)、アクエリアス、Qooなど、日本発のブランドになっている。
爽健美茶なども好例だ。お茶の世界には、伊藤園が立ちはだかっていたが、ブレンド茶という新たな分野を作り、その世界のNo1にちゃっかりおさまった。最初、爽健茶という名にしようとしたら、すでに商標登録されていて、”美”の一文字を入れたのだそうだ。
言われてみると簡単なのだが。

これだけ、グローバルな競争が厳しい時代になると、ブランド価値を中心とした企業価値作りがかかせないと、つくづく感じた。

まだまだいろんな話を聞けて、とってもためになった次第。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする