今日は、野暮用で、ずっと東京にいたが、真夏の天気は続いている。沖縄に台風が来たり、雲もちょっと秋らしい感じもしてきて、夜も涼しげな虫の声も聞こえだしているのだが。
宮地嶽神社の後、訪れたのが、香椎宮。これまた、由緒ある神社で、仲哀天皇、神功皇后を祀っている。元は、熊襲を平定するためはるばる九州に来た仲哀天皇が、ここで、ご崩御されたという。だから、香椎廟と呼ばれていた。社殿ができたのは、724年の聖武天皇の時代という。
また、雨が降ってきて暗いが、町全体が、香椎宮中心にできているような造りになっていた。場所的には、昨夕行った志賀島に突き出した砂州の根元ぐらいになる。
朱も鮮やかな拝殿と、奥の本殿。本殿は、日本唯一の様式で、需要文化財に指定されている。
本殿横の奉楽殿。
武内神社。今の天皇家の創生時のキーマンかもしれない、武内宿祢を祀っている。
奥に、古宮がある。ここが、仲哀天皇の宮の跡で、香椎宮創建の地でもある。
中に椎の木がある。仲哀天皇の棺を立て掛けた椎の木が、匂ったことから、香椎の名がついたと伝えられる。紀元200年のことというから凄い?!
綾杉と呼ばれるご神木がある。神功皇后が、海外から持ち帰った三種の宝をここに埋め、杉枝を差したのが、この大木になったという。
とにかく凄い歴史だ。神話が今に生きている。
今日は、南アルプスの麓でプレー。天気最高だけど、流石に暑かった。それでも、ちょっとは、涼しかったはずなんだけどね。
宗像大社の次に訪れたのが、宮地嶽神社。
駐車場から、結構登ったところにある。
鳥居が、たくさん並んでいる。
やっと門が見えてきた。
本殿。
注連縄が、出雲大社のもののように、巨大。3年に一度掛けかえる。
ところが、まだまだ序の口だった。奥に七福神社が続く。
これは、稲荷神社。鳥居の朱が、まぶしい。
これが、不動神社。何と小山を祀っている。この小山が古墳で、その横穴を通して、古墳を祀っているのだった。これは、見たことない。
逆から見ると、こんな感じで、巨大な円墳であることがわかる。
この古墳で発掘された出土品は、九州博物館で見てきた。本書の表紙の写真に使われた馬具も、この古墳から発掘された。
地下の正倉院と称され、この古墳で見つかった刀、馬具等は、300点にもおよび、内16点は国宝に指定されている。
さらに奥に行くと、菖蒲園が広がっており、合掌造りの建物が移築されていた。
菖蒲は、盛りを過ぎていたが、まだ残っているものも。
実は、この日は、うるさかったのだが、地元の高校対抗ロックバンドの野外音楽祭の真っ最中。MIYA-JICKと名付けられているが、神社名と、MUSICを合成した名前。
地元に密着はいいんだけど、やっぱりちょっとうるさかった。
そして、帰る途中に見下ろしたら、何と海が見える。驚いた。登ってくる時は、夢中で気づかなかった。
ここに葬られた王様は、故郷を見下ろす山の上に葬られていたのだった。
移民一世とか、二世の人だったのだろうか。
第14代仲哀天皇の后で、朝鮮に出帆した神功皇后を祀った神社という事実をどう理解したらいいのだろう。
古事記、日本書記には、渡韓の折、この地に滞在し、宮地嶽山頂より大海原を臨んで祭壇を設け、天神地祇を祀り、祈願し、船出したとある。
今回訪れた神社の中で、一番意外性のある神社だった。
最初に行ったのは、宗像大社。
大社というだけあって、由緒ある神社。
古事記、日本書紀によれば、宗像大社が祀る三姉妹の女神は、天照大神と素戔嗚尊の誓約の下に誕生されたというから、古事記元祖という感じだ。
三姉妹は、沖津宮(沖ノ島)、中津宮(大島)と、辺津宮(宗像大社)に祀られているが、この三宮は、一直線になっている。その先は、対馬であり、プサンになる、
その三宮の拝殿が、宗像大社にあり、宗像大神を祀る神社は、全国に6千以上あるという。
祈願殿は、近代的だが、巨大で立派。その前の駐車場の大きさも半端じゃない。
神社内は、静かで落ち着いている。鳥居の奥に、太鼓橋が見える。
神門。その奥が本殿。
手前が、拝殿で、奥が本殿になる。
奥にも社が並ぶ。
さらに奥に行くと、神木相性の樫があった。幹が二股に分かれている。
さらに奥に行くと、第二宮(右)と、第三宮(左)がある。それぞれ、沖津宮と中津宮の御分霊を祀っている。
さらに奥に行くと、高宮祭場があった。こここそが、宗像大伸降臨の地といわれ、沖ノ島と並び最も神聖な場所になる。いかにも、古代祭祀の場所という雰囲気だ。
建物は、何もなく、祈りの場という感じ。
神宝館に向かう途中に、土俵があった。大雨のため、土俵が崩れてしまっているようだった。
神宝館。私一人だったが、ここは凄い。沖ノ島で出土した神宝は、すべて国宝に指定されている。馬具、金製の指輪など見事なものばかり。銅鏡もすばらしいものがあり、古代史ファンは必見だろう。図録はなかったので、気に入った展示品の絵はがきをGETしてきた。
まさに、韓国と日本が、ほぼ一体だった時代のお宝たちだ。
今日は、恵比寿の東京都写真美術館で開かれている鋤田正義展に行ってきた。
名付けて、"SOUND & VISION"。デヴィッドボウイのヒットソングの題名だが、鋤田氏が写真家として、名を馳せているのも、当時の、デビッドボウイと、T.REXの写真によるところが大きい。
私が、鋤田氏の名前を知ったのは、T.REXの写真の方だが。
まさに、彼らの最高の時代の、最高の写真が、展示されている。
テーマ毎の小さな部屋に展示があり、大きな部屋に、ポスター大のロール印画紙に、鋤田氏が撮ったアーティストの写真が、ずらっと並んでいるのは、圧巻だ。斬新な展示法。
動画の部屋もあって、4つのショートムービーが流されているが、内、1970年代の初期の、寺山修司の作品(町へ出よう?)と、デビッドボウイのコンサートの映像だけ見た。
インパクト大。アングラというか、挑戦的というか、試行錯誤というか。
写真も、インパクト大なのだが、時代の匂いが、それぞれの写真から伝わってくるのが、不思議だ。
40年前、ビートルズが、いなくなったところに、ふっと現れたグラムロック。その最高潮の姿を、鋤田さんは、今に伝えることを成功した。
もちろん、他の写真にも、おぉっ!というものが沢山あるのだが、私にとっては、この2人の写真の存在感がずば抜けている。
思わず、ポストカードも2枚GETしてしまった。
この2枚を見ていると、40年前の自分に戻れるような気がするのだ。
金印公園の近くに、蒙古塚がある。
当時、外交の仕方を知らなかった鎌倉幕府は、元からの使者を次々と切り殺した。
鎌倉にも、元の使者を弔う塚がある。
知らないとは、恐ろしいことだ。
蒙古塚から、志賀島をぐるっと回って、外港を臨む地に、志賀海神社があった。
こんな感じでびっくりしたが、こちらは、裏門だった。
神功皇后が、三韓征伐?の時、立ち寄ったという。筑前風土記に記されているという。
海神の総本山。伊邪那岐命のこどもの3神を祀っている。
流石に、暗くなってきて、十分拝むことは、できなかったが。
まだ、日が沈んでいなかったので、志賀島に向かう途中にあったマリンワールド海の中道に寄ってみた。
立派だ。中は、見てないけど、八景島本体と同じぐらい?観覧車もあったし。
ここからも、やはり、福岡方面が見渡せる。
すばらしいロケーションだ。
福岡県民は幸せだ。