前回と同じで、ビデオにとって今朝見た。ビデオで見るといいのは、CMが抜けることかな。映画見ている時みたいに何もしないで、真剣に見ちゃいました。
どんな展開で見せてくれるのかなと楽しみにしていたんだ。いろんな意味で。私的には、映画より心に残るものがあって良かったな。
予告編を見ても、嶋村(だったよね)が、三成斬っちゃうシーンがあったので、ハハーン、これは、嶋村が三成に入れ替わっちゃうつもりだなというのはわかっていた。じゃあ、もしかして嶋村が切ったのも影武者ではなく本物で、歴史の転覆を計ろうとする嶋村に対して、歴史の修正を施すために伊庭は、家康の影武者として、関が原に参戦するのかと思ってしまった。それなら、小早川が、あんなにひどい目にあいながらも家康側につくのが納得がいくじゃない。
もちろん、そんな風にはならなかった。でも、私がそんな事を思ってしまったのは、自衛隊の戦力を過大評価してしまったに過ぎない。それはこのドラマの登場人物たちも同じだ。セリフのなかにもあったよね。
「われらが付いたのだから、西軍が勝つにきまり」・・みたいな。
ところが、そうもならなかった。
そうそう思い出したわ。この人たちは、考える事をしない人たちだった。この時代にはない戦力と、歴史が培ってきた知識という武器を持ちながら、このテイタラクさは、なあに。
大体、三成の陣の半端な事。陣を張る事を布陣というのだよ。(この前辞書で調べたばかり)せめて格好だけでもつけて、もう少し三成になりきっての関が原であって欲しかった。この嶋村三成は口ばかりで策というものがないね。
策というのがあったのは狸ばっかりだ。でも、その狸だって変だよね。戦さ場でお菓子なんか食べちゃって、妖しげに阿茶の局なんて出てきたりして。このドラマで怪しげな音楽を背負って登場する阿茶の局って、いったい何の意味が・・・。
余裕かましているつもりかもしれないけれど、天下分け目の関が原で、家康にだって余裕はないはずだ。余裕がないから、小早川がキーマンになり得るんじゃないのかな。
文句たらたら・・、それなのに、泣きながら見ていた私。だって、あんなかわいい子に
「お帰りなさい、お父上・・おりんは、ずっと待っていました。」なんて、息も絶え絶えにいっているのを見て、泣かない人っている?
・・・なんか、今も涙が
前回のときも思ったんだけど、ドラマは何を見せたいか一本、筋通したら、(太い細いはあったとしても)枝葉はあまり問わなくても成り立つと言う事なんだと思う。そこが、映画とは違うところなのかもしれない。
なぜ、小早川があんな狸じじいの方に付いたのか、これが、このドラマのポイントだよね。家康が、本当に嫌なじじいに描かれていたけれど、その目先の小を捨て、その先にある天下泰平ー平和のためにという大儀をとったということだろう。
たとえ、後世に卑怯者と言う名で残ろうが、・・・
題は忘れてしまったが、前に読んだ本では、小早川が関が原合戦に近い夜、本当に高台院を訪れたそうだ。そして、高台院に恩よりも太平のためにと諭されたとあった。関が原のあと卑怯者と言うそしりに耐えられなくて乱心の末死んだというのは、本当のことなのだろうか。歴史の真実は知りようもないが、天下泰平のために
家康に付いたのだと信じたい。
最後は悲しい展開だが、「歴史は、不本意に介入したものを許さない」ということだろうか。
ただ、ここでもちょっといいですか~
「守る」というのは、その人のために犬死することではないんだよ。
時間切れというのはわかるが、それなら、エピソードのだらだらした部分を削って、最後をもう少し盛り上げて見せて欲しかった。あんなあっけない死に方では気の毒でー登場人物ではなく俳優がねーかえって余韻が残ってしまった。
神社のところで伊庭の妻と娘が、彼のメッセージを見つけた時
「お帰りなさい、パパ。ゆうは、ずっと待っていたの。」
って、きっと心の中で言ったよね。
どんな展開で見せてくれるのかなと楽しみにしていたんだ。いろんな意味で。私的には、映画より心に残るものがあって良かったな。
予告編を見ても、嶋村(だったよね)が、三成斬っちゃうシーンがあったので、ハハーン、これは、嶋村が三成に入れ替わっちゃうつもりだなというのはわかっていた。じゃあ、もしかして嶋村が切ったのも影武者ではなく本物で、歴史の転覆を計ろうとする嶋村に対して、歴史の修正を施すために伊庭は、家康の影武者として、関が原に参戦するのかと思ってしまった。それなら、小早川が、あんなにひどい目にあいながらも家康側につくのが納得がいくじゃない。
もちろん、そんな風にはならなかった。でも、私がそんな事を思ってしまったのは、自衛隊の戦力を過大評価してしまったに過ぎない。それはこのドラマの登場人物たちも同じだ。セリフのなかにもあったよね。
「われらが付いたのだから、西軍が勝つにきまり」・・みたいな。
ところが、そうもならなかった。
そうそう思い出したわ。この人たちは、考える事をしない人たちだった。この時代にはない戦力と、歴史が培ってきた知識という武器を持ちながら、このテイタラクさは、なあに。
大体、三成の陣の半端な事。陣を張る事を布陣というのだよ。(この前辞書で調べたばかり)せめて格好だけでもつけて、もう少し三成になりきっての関が原であって欲しかった。この嶋村三成は口ばかりで策というものがないね。
策というのがあったのは狸ばっかりだ。でも、その狸だって変だよね。戦さ場でお菓子なんか食べちゃって、妖しげに阿茶の局なんて出てきたりして。このドラマで怪しげな音楽を背負って登場する阿茶の局って、いったい何の意味が・・・。
余裕かましているつもりかもしれないけれど、天下分け目の関が原で、家康にだって余裕はないはずだ。余裕がないから、小早川がキーマンになり得るんじゃないのかな。
文句たらたら・・、それなのに、泣きながら見ていた私。だって、あんなかわいい子に
「お帰りなさい、お父上・・おりんは、ずっと待っていました。」なんて、息も絶え絶えにいっているのを見て、泣かない人っている?
・・・なんか、今も涙が
前回のときも思ったんだけど、ドラマは何を見せたいか一本、筋通したら、(太い細いはあったとしても)枝葉はあまり問わなくても成り立つと言う事なんだと思う。そこが、映画とは違うところなのかもしれない。
なぜ、小早川があんな狸じじいの方に付いたのか、これが、このドラマのポイントだよね。家康が、本当に嫌なじじいに描かれていたけれど、その目先の小を捨て、その先にある天下泰平ー平和のためにという大儀をとったということだろう。
たとえ、後世に卑怯者と言う名で残ろうが、・・・
題は忘れてしまったが、前に読んだ本では、小早川が関が原合戦に近い夜、本当に高台院を訪れたそうだ。そして、高台院に恩よりも太平のためにと諭されたとあった。関が原のあと卑怯者と言うそしりに耐えられなくて乱心の末死んだというのは、本当のことなのだろうか。歴史の真実は知りようもないが、天下泰平のために
家康に付いたのだと信じたい。
最後は悲しい展開だが、「歴史は、不本意に介入したものを許さない」ということだろうか。
ただ、ここでもちょっといいですか~
「守る」というのは、その人のために犬死することではないんだよ。
時間切れというのはわかるが、それなら、エピソードのだらだらした部分を削って、最後をもう少し盛り上げて見せて欲しかった。あんなあっけない死に方では気の毒でー登場人物ではなく俳優がねーかえって余韻が残ってしまった。
神社のところで伊庭の妻と娘が、彼のメッセージを見つけた時
「お帰りなさい、パパ。ゆうは、ずっと待っていたの。」
って、きっと心の中で言ったよね。