森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

頭の芯を殴られたい

2006-02-14 10:01:51 | ’08/12/7までの未整理日記
 ここ数年テレビドラマにはまっている。気に入っていたドラマが相次いで最終回を迎える頃になると、まるで親しい友と離れるような寂しさを感じてしまう。そして、また新しいシーズンが始まると、新学期が始まる時と同じように新しい出会いにワクワクしてしまうのだ。

人生は愛するものに出会う為の「時」の旅

なんていうと、大袈裟だけれど  もう~、だーいすきというものにめぐり会いたいと日々、願っているのは私だけではないと思う。

 そういうものに、出会えるチャンスとしては、テレビドラマはEAGYだ。もちろん、チャンスはドラマだけではない。小説だったり詩だったり、風景だったりする。または、漫画だったり。

もう~、だーいすき  というものも、感じ方がいろいろあって

 頭の芯殴られたように感じたりする時がある。
そんな時一日他の事に手がつかない。あまりそんなものに出会わない。むかし、ヘミングウェイの「日はまた昇る」を読んだ時は、そうだったかな。漫画だけど、大島弓子の「海にいるのは」を読んだ時も。萩尾望都の「ポーの一族」は、学校でお昼休みに読んでしまったりしたら、午後の授業はアウトだった。みんな大昔のことばっかりだ。


 キシッと心の奥がきしむ時もある。例えば
「夏草や  兵どもが  夢の跡」   という芭蕉の句に触れた時。

 心を囚われると言う感じの時も。
昔の大河ドラマの「花の乱」を見ていた時、吉田栄作とともさかりえの「新しい風」を見ていた時、そんな感じがした。
低視聴率でも気にしない。良いものは良いのさ。この作品は、本当にそれが言える内容でしたよ。

 もちろん、今までの素晴らしい出会いの数々を簡単には羅列できないし、感じ方もこのようにと分析するのも意味がないので、もうやめよう。

 だけど私は、願っている。この先も素晴らしい出会いがあるようにと。頭の芯を殴られたような衝撃的な何か・・



新シーズンのドラマは、どうでしょうか。







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