森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

功名が辻「妻の覚悟」ー悲しみ乗り越えて少年は・・

2006-02-19 22:50:40 | ドラマ (大河)
 今日の「功名が辻」は、ちょっぴり泣けちゃいましたね。
 
 今日、微笑みかけてくれていた母が、明日にはいない。そんな悲しみに耐えられる子供なんかいない。
 やんちゃ盛りの少年にとっては、なおさらの事だと思う。優しい大人達に支えられて乗り越え成長していった様子が、ショートドラマのように描かれ、戦国ホームドラマは今日も終わりぬ。・・と言った感じでしょうか。

 ただ、これは戦国の常識だろうなと思うと切なさが伝わってきます。いいえ、少年のことではありません。少年のエピソードは、「金八」や「ごくせん」でもいけちゃいますね。妻のふねが死んだ事も知らずに、離れた地で妻や家族を思っている新右衛門。帰ってきてもどこにもいない妻。切ないだろうなあ。子供が荒れているので、悲しみに浸る暇さえないなんて(あっ、これは演出の問題か)

 でも、悲しみ乗り越えて少年はさむらいになっていく・・
 
 戦国時代では、家臣は家族丸抱えで、その家の財産だと思います。だから、千代が、山の洞穴で、
「母ですよ。」
と、言ったのは、母を求める気持ちを不憫に思ったからだけではないようにも思えます。
 「お方さま」は家臣全ての母なのですね。死に逝く妻も、生きる妻も本当に覚悟が必要な時代でしたね。


 歴史マニアの方々には、前半の方が面白かったと思われますが、お市の方のセリフにはうなってしまいました。うち掛けを縫え。と言う事ですが、
「生きて帰っったならば、このことを千代に伝えよ。」
ー生きて帰るには、今日と言う日を気をつけよ。-と言う事でしょうか。
わっ、わかりずらい
 だから、その後六平太が出てきて、直訳してくれたのでやっぱりいいのかと確認しましたよ。
この「妻の覚悟」と言うのは、戦国を生きるお市の方のことも言っていたんだなと、今思いました。

 
寧々様が、とてもきれいな小袖を着て登場し胸のつかえもとれましたね
 
コメント (12)
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物の魂を信じている? <その2>

2006-02-19 00:03:39 | 思いつくまま
  かなり前の話だけど・・
 
 ある時、人通りのない住宅街を自転車で走っていた。その時、後ろの方から
「おーい、おーい。」
と呼ばれているような気がした。振り向いてみると誰もいない。その時、私は閃いた。こういう時って、そんな気がする方から知人が来る事があるって言うじゃない。確かめてみるチャンス
わざわざ、自転車から降りて待ってみる。   ワクワク、誰が来るんだろう・・
2分しないうちに車が走ってきた。
びっくり
 そう、私は、驚いてしまった。車に乗っていた人は知らない。私は、その車を知っていた。1ヶ月か2ヶ月前車を買い換えていた。その時下取りに出した車・・派手なステッカーを後ろの窓とドアのところに貼っていて、自分の家の車はすぐに分かった。下取りに出した時、
「あの車は、どうなるの」
と、聞いたら
「9年乗ってるんだから、廃車だろ。」とだんなは言っていたなあ。
通り過ぎていった車には、初心者マークのステッカーが増えていた。

「おーい、おーい。」と呼んでいた知人は君だったんだね。
その時私は、通り過ぎていった車が、
「ヒャッホー、シンパイスンナッテ。オイラハ、コウシテガンバッテルンダゼ。」
と、言った。・・・様な気がした。


 「ばい、ばい」
私は、小さな声で、走り去っていく車に向かって言ったんだ。




「物の魂を信じている?」のお話は、まだ続きがある・・
コメント (2)
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