2日間にわたっての「女王の教室」は、ドラマの面白さはもちろん最高だったが、そのメッセージ性も高く、受け取ったものを、一気に表現する事ができなかったので分けて書くことにした。それでも、体罰の事や第三の選択に関しては、またいつかと言う事にしよう。
「イメージ出来る?何もかも見通しているような女教師は、昔、余りにも愚かな若い母だったことを。」
こんなのただのドラマだよ、とか、子供死なして涙を誘うなんて卑怯だよと思う。だけど、私は、その罠から逃れられた事がない。(別に、本当は涙を誘っているわけではないんだけどね。)
真矢の子供が川で溺れ死んでしまった時、見ていられなくて逃げ出してしまった。真矢のだんなが「お前が殺したようなもの。」と言った時も「そうよ、あなたが殺したようなものよ。」と涙でかすんだ目で、心の中でせめてしまった。
だって、辛すぎる。あの子は、何時だって母の幸せばかりを考えているような子供だったから。
時に若い母は、その若さゆえに本当に愚かなことがある。
子供は、母に対して無条件で愛を注ぐ。その愛は、まるで流れの速い清流のようだ。だけど、母は、自らが子供に対して注ぐ愛ばかりに、気をとられて、子供からのその大きな愛を受け止め損ねてしまっている時がある。守ってるようで守られている。支えているようで支えられている。
あの時もこの時もと受け止め損ねた愛を思うとき、私は後悔ばかりで、心は涙の沼に沈む。ただ、生きて生意気でも成長していってくれれば、あの時は、この時はありがとうと伝えていく事が出来る。
だけど、失ってしまっては、もうそれも出来ない。真矢が川に向かった気持ちは、本当に良く分かる。
死のうと思った川の真ん中で、教え子からの電話。「死のうと思ってるんだ。」・・・・・人は皆、生きるべき道があるということか。もっと硬く言うと生きる使命とか。涙の川から這い上がってきたからこそ、あの覚悟の真矢先生が誕生したんだなあと納得した。
このドラマは縦糸横糸、しっかり織られている。過去から現在、現在から過去へしっかりつながっていて全て納得だった。この作品の脚本は「遊川和彦」という人が書いている。
子供たちの流れの速い清流のような愛を、母達が受け止められるなら、親に殺される子供はいなくなると思う。
「イメージ出来る?何もかも見通しているような女教師は、昔、余りにも愚かな若い母だったことを。」
こんなのただのドラマだよ、とか、子供死なして涙を誘うなんて卑怯だよと思う。だけど、私は、その罠から逃れられた事がない。(別に、本当は涙を誘っているわけではないんだけどね。)
真矢の子供が川で溺れ死んでしまった時、見ていられなくて逃げ出してしまった。真矢のだんなが「お前が殺したようなもの。」と言った時も「そうよ、あなたが殺したようなものよ。」と涙でかすんだ目で、心の中でせめてしまった。
だって、辛すぎる。あの子は、何時だって母の幸せばかりを考えているような子供だったから。
時に若い母は、その若さゆえに本当に愚かなことがある。
子供は、母に対して無条件で愛を注ぐ。その愛は、まるで流れの速い清流のようだ。だけど、母は、自らが子供に対して注ぐ愛ばかりに、気をとられて、子供からのその大きな愛を受け止め損ねてしまっている時がある。守ってるようで守られている。支えているようで支えられている。
あの時もこの時もと受け止め損ねた愛を思うとき、私は後悔ばかりで、心は涙の沼に沈む。ただ、生きて生意気でも成長していってくれれば、あの時は、この時はありがとうと伝えていく事が出来る。
だけど、失ってしまっては、もうそれも出来ない。真矢が川に向かった気持ちは、本当に良く分かる。
死のうと思った川の真ん中で、教え子からの電話。「死のうと思ってるんだ。」・・・・・人は皆、生きるべき道があるということか。もっと硬く言うと生きる使命とか。涙の川から這い上がってきたからこそ、あの覚悟の真矢先生が誕生したんだなあと納得した。
このドラマは縦糸横糸、しっかり織られている。過去から現在、現在から過去へしっかりつながっていて全て納得だった。この作品の脚本は「遊川和彦」という人が書いている。
子供たちの流れの速い清流のような愛を、母達が受け止められるなら、親に殺される子供はいなくなると思う。