先週見逃した「姫の涙」を土曜日の再放送の時に見ました。その時やはり感じてしまったのは、なんだかんだと言ってもいても由布姫の強さと禰々の儚さです。それはなぜか。「生き地獄じゃ」とか言っていても、それは「この先は」と言う自分の人生の予告編であって、今このときの現実ではないからで、禰々の地獄は今この時だからなのかと思ったのでした。
まるで幽霊のような生気のない禰々の言葉には思わず涙が溢れました。
その禰々は、今回逝ってしまいましたね。寅王丸の未来を暗示させる言葉を言って。思わずこう来たかと思いました。諏訪を継がせないでと言うのが、禰々の願いであって遺言でもあったということで、寅王丸問題は、これと言って晴信にダークなイメージを与えることなく終了ですね。
巧くやったじゃんと思ったら、今頃作家様が気になりました。遅い私です。「大森寿美男」と言う人は「寝ずの番」「花田少年史」「クライマーズ・ハイ」「星になった少年」を書いている人でした。(いろいろ思ったけれど、ここでは省略。果てしなく横道に行きそうなので。)
そんなこんなで(何が・・)、禰々は往ってしまいましたが、大事な言葉を言った後はナレーションだけ。だからなのか、撮った順番は違うのかも知れませんが、ナレーションが入ったとき、桜井さんが寝床から、「ふう、やれやれ」とか言って起き上がり、花束貰って去っていく姿が思い浮かんでしまいました。ごくろうさま~
ただ、うちのだんなの呟きを聞いていると、最初に諏訪が裏切っておきながら、武田のことを怨み責めている禰々と由布姫は、かなり自分勝手なことを言っている様に感じていたみたいです。
だけれど、兄が何とかしてくれる、兄はそういう人ではないと信じていた禰々の絶望と、由布姫の怨みは同列ではないと思います。片や死に至る絶望ではありましたが、由布姫は生きると決めた時から、自分の中でその大儀を探しまくっていたはずです。「生き地獄であっても、この先を見たい。」と言うようなセリフの繰り返しでは納得できません。この先を見たいと言うのは、ただ生きたいと言うのとあまりかわりがないような気がしてしまうからです。
「姫の涙」の回で見せた嘆きは本音でも、甲斐にきてしまってからの態度は姫の戦いのように思えました。
ああ、そう言えば「功名が辻」でも、そんなシーンとセリフがありましたね。茶々の事を寧々様が「あの姫はたった一人で闘っているのだ。」と言っていましたね。
見つけた大儀は一つであっても、そこに行きつく出口が、勘助の説得や晴信のわざとへたに作られた和歌では出るに出られません。
その出口を作ってしまったのが、甘利のおじ様と三条夫人の訪問だったと思います。
「みんなが斬られにきているのに、私だけが無傷でいるわけにはいかない。」と言うような事を言っていましたが、ここも流れのままに流れて行き、収まるべき所に巧く収まったという感じがしました。
ですが、ワタクシ・・・あのようにうまいこと言わせるなあと思いつつ、みんなを丸め込むような物言いは、あまり好きではありません。作家様は男なので、同じ女としてというのは間違いですが、ああ言うのを、無意識がなせる計算と言うのだとと感じてしまうからです。
このような事を書くと、由布姫に顔をしかめられて、「世にも浅ましきことを言う。」とか叱られてしまうかも知れませんが、別に私はそれを責めているわけではありません。
たぶんですが、多くの方が「じゃあ、どうしたいんだよ。」と由布姫のことを見守っていたと思うのです。闘った分、姫は勘助の忠義の心や晴信の興味、家臣たちへの存在感を高めたと思います。そして、姫自信も、周りを特に晴信をしっかり見てみると言うきっかけを得たのではないでしょうか。
この姫は、甘利の言うように賢い姫であり、そして強い姫だと思いました。
なので、私は強くない人の味方です。三条夫人の斬られ方は、見ていても痛かったです。浅田さんのお気楽発言が救いでした。
でも、あのシーン、不自然に感じました。眼科検診のような短冊チェックの所もそうですが、対峙した場所に引っ掛かってしまいました。まだ、側室ではないので正室だからと言うのは当てはまらないかも知れませんが、晴信夫人が庭で、庇護されている亡国の姫が上から物申すとは、これ如何に?
と言うどうでもいいことに疑問を抱きながら、又来週。
あ~あ、又木曜日だ~
さらにどうでもいいことをもう一つ。
一週間の始まりは月曜日、それとも日曜日? どちらでしょうか。
どうしても月曜日からに感じてしまう、私の感覚は古いのでしょうか?
まるで幽霊のような生気のない禰々の言葉には思わず涙が溢れました。
その禰々は、今回逝ってしまいましたね。寅王丸の未来を暗示させる言葉を言って。思わずこう来たかと思いました。諏訪を継がせないでと言うのが、禰々の願いであって遺言でもあったということで、寅王丸問題は、これと言って晴信にダークなイメージを与えることなく終了ですね。
巧くやったじゃんと思ったら、今頃作家様が気になりました。遅い私です。「大森寿美男」と言う人は「寝ずの番」「花田少年史」「クライマーズ・ハイ」「星になった少年」を書いている人でした。(いろいろ思ったけれど、ここでは省略。果てしなく横道に行きそうなので。)
そんなこんなで(何が・・)、禰々は往ってしまいましたが、大事な言葉を言った後はナレーションだけ。だからなのか、撮った順番は違うのかも知れませんが、ナレーションが入ったとき、桜井さんが寝床から、「ふう、やれやれ」とか言って起き上がり、花束貰って去っていく姿が思い浮かんでしまいました。ごくろうさま~

ただ、うちのだんなの呟きを聞いていると、最初に諏訪が裏切っておきながら、武田のことを怨み責めている禰々と由布姫は、かなり自分勝手なことを言っている様に感じていたみたいです。
だけれど、兄が何とかしてくれる、兄はそういう人ではないと信じていた禰々の絶望と、由布姫の怨みは同列ではないと思います。片や死に至る絶望ではありましたが、由布姫は生きると決めた時から、自分の中でその大儀を探しまくっていたはずです。「生き地獄であっても、この先を見たい。」と言うようなセリフの繰り返しでは納得できません。この先を見たいと言うのは、ただ生きたいと言うのとあまりかわりがないような気がしてしまうからです。
「姫の涙」の回で見せた嘆きは本音でも、甲斐にきてしまってからの態度は姫の戦いのように思えました。
ああ、そう言えば「功名が辻」でも、そんなシーンとセリフがありましたね。茶々の事を寧々様が「あの姫はたった一人で闘っているのだ。」と言っていましたね。
見つけた大儀は一つであっても、そこに行きつく出口が、勘助の説得や晴信のわざとへたに作られた和歌では出るに出られません。
その出口を作ってしまったのが、甘利のおじ様と三条夫人の訪問だったと思います。
「みんなが斬られにきているのに、私だけが無傷でいるわけにはいかない。」と言うような事を言っていましたが、ここも流れのままに流れて行き、収まるべき所に巧く収まったという感じがしました。
ですが、ワタクシ・・・あのようにうまいこと言わせるなあと思いつつ、みんなを丸め込むような物言いは、あまり好きではありません。作家様は男なので、同じ女としてというのは間違いですが、ああ言うのを、無意識がなせる計算と言うのだとと感じてしまうからです。
このような事を書くと、由布姫に顔をしかめられて、「世にも浅ましきことを言う。」とか叱られてしまうかも知れませんが、別に私はそれを責めているわけではありません。
たぶんですが、多くの方が「じゃあ、どうしたいんだよ。」と由布姫のことを見守っていたと思うのです。闘った分、姫は勘助の忠義の心や晴信の興味、家臣たちへの存在感を高めたと思います。そして、姫自信も、周りを特に晴信をしっかり見てみると言うきっかけを得たのではないでしょうか。
この姫は、甘利の言うように賢い姫であり、そして強い姫だと思いました。
なので、私は強くない人の味方です。三条夫人の斬られ方は、見ていても痛かったです。浅田さんのお気楽発言が救いでした。
でも、あのシーン、不自然に感じました。眼科検診のような短冊チェックの所もそうですが、対峙した場所に引っ掛かってしまいました。まだ、側室ではないので正室だからと言うのは当てはまらないかも知れませんが、晴信夫人が庭で、庇護されている亡国の姫が上から物申すとは、これ如何に?
と言うどうでもいいことに疑問を抱きながら、又来週。
あ~あ、又木曜日だ~

さらにどうでもいいことをもう一つ。

一週間の始まりは月曜日、それとも日曜日? どちらでしょうか。
どうしても月曜日からに感じてしまう、私の感覚は古いのでしょうか?